Tatsuro Yamashita 40th Anniversaryサンデー・ソングブック増刊号~シュガー・ベイブ スペシャル~

2015年08月14日 | Sunday Song Book

2015年08月09日プレイリスト
「Tatsuro Yamashita 40th Anniversaryサンデー・ソングブック増刊号~シュガー・ベイブ スペシャル~」
1. SHOW / SUGAR BABE "ソングス" '75
2. すてきなメロディー(REMIX)/ SUGAR BABE "ソングス 40TH ANNIVERSARY ULTIMATE EDITION"
3. DOWNTOWN / SUGAR BABE "ソングス" '75
4. パレード(LIVE)/ SUGAR BABE 76/04/01 荻窪ロフト "ソングス 40TH ANNIVERSARY ULTIMATE EDITION"
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■内容の一部を抜粋
・Tatsuro Yamashita 40th Anniversaryサンデー・ソングブック増刊号~シュガー・ベイブ スペシャル~
『山下達郎のJXグループ サンデー・ソングブック』(毎週日曜14:00~14:55放送)の特別プログラムとして、8月9日(日)19時から山下達郎デビュー40周年記念特別番組として放送された。出演は山下達郎、鈴木万由香(聞き手)。

鈴 木 今日はいろいろとお話をこの短い時間にどうやって詰め込めばいいのかなとドキドキしておりますが...
達 郎 適当でいいですよ。もうだって40周年ですよ、あなた。40年経って何を言うかって、もう言い尽くしてるんですからね。 
鈴 木 でも30周年があって、また40周年があって、その前にもありますけれど、ということは今後50年、60年をやらないともう示しがつかないような状態ではないんですか?(笑)
達 郎 ないでしょ、それ。なんだかな~。日光の東照宮みたいになってきましたね、それ。
鈴 木 みんなお参りしちゃうぞっていう(笑)
達 郎 くくく(笑)

鈴 木 達郎さんのスタンスが変わらないから、時間に追い越されるとか、置いてけぼりになるとか、なんかそういうものがない...
達 郎 幸運な時代を生きたっていうかね。ポピュラー・ミュージックは特にそうなんですけれどビジネスと不可分じゃないですか。でもそういう商業音楽の世界って浮き沈みがものすごくあって、好むと好まざるとに関わらず路線変更を余儀なくされるとか、お客さんの質が変わってきちゃうとかさ、いろんなことがあるんですけれど私の場合は幸運なことに(笑)、シュガーベイブを聴いてた時代のお客さんがまだライヴにも来てくれるので、そういうところは本当にありがたいなっていう。
鈴 木 でも、それは時代とはあんまり関係ないんじゃないですか?
達 郎 あんまりがんばってこなかったんですけれどね(笑)。なまけものですからね(笑)。シュガーベイブだってレパートリー少なかったんですよ。解散するまで16,7曲しかなかったですからね。常にその16,7曲しかやる曲なくて。どこ行ってもそればかりやってるんですけれど、それでも、まぁ。

・SHOW

鈴 木 リマスターとリミックス、どう違うんだというところにぶつかったときにはリスナーには何を?
達 郎 こういう40年前のカタログをCDで再発する場合に、40年前のマスター・テープというのがあるんですよ、ステレオのね。それを、まぁCDの世の中になると、その当時の2トラックのマスターをそのままCD化すると、デジタルで録られた音に比べると、ちょっと聴き劣りがする。高音とか低音が不足してたり、デジタルでの音圧はアナログよりもちょっとデジタルの方が優れてるので、それをデジタルに寄せていく、それをデジタル・リマスターというんですよね。あくまでリマスターというのはアナログのステレオのマスターの音をどうやって加工するか。古い音源の音を今のラジオでかけると、例えばEXILEとかそういうのがかかると全然もう聴き劣りしちゃうんですよ。それを防ぐために古い音源は今のコンテンポラリーな音楽、例えばラジオとか有線とかダウンロードとか、そういうので聴いても、あんまり聴き劣りしないように作るのがリマスターというものなんですけれど。リミックスというのは、もともとレコードというのはマルチ・トラックっていって、ドラムとかベースとかを全部違うチャンネルに録って、それをバランスとってドラム、ベース、それにリバーヴ入れたりして、それにイコライザーかけて固くしたり甘くしたりして、それに歌乗っけて、そういう具合にして作るんですけど、そういうのをミックスダウンっていうんですけれど。ミックスダウンしてステレオの2トラックで聴かせてもらうんですね、僕らはね、ステレオでね。今回の場合はシュガーベイブの『SONGS』というアルバムを40年前のマルチ・トラックからもう一度リミックスして作ってんですけれど、ほとんど同じなんです。素人の人が聴いたらどっちがどっちだかよくわからない。ラジオで聴いてもあんまりわからない。で、何のためそんなことしたかというと今のハイレゾとか、これから先のストリーミングというのは48kHzとか96kHzとか、192kHzとかいわゆるハイサンプリングっていうんですけど、そういうのを総称してハイレゾっていうんです。ハイレゾの時代が来る場合、こうした古い音源はそのまま古いマスターを使ってるとやっぱり聴き劣りがする。今回、リミックス作った一番の目的はそのハイレゾに対応するソースがほしかった。オリジナルの『SONGS』のバランスとか歌の感じとかリバーブの感じとかを全く同じものにしようというのが目的なので、似れば似るほど成功したという、そういうものなんです。

鈴 木 なるほど。じゃあ、ここが違うねってわかってしまわないほうが...
達 郎 (わかってしまわないほうが)いいんです。それでも微妙に違いますけれど。
鈴 木 ここであえてリマスターとリミックス聴き比べてみたいなと思うんですが(笑)。
達 郎 「すてきなメロディー」という僕と大貫妙子さんのデュエットがあるんですけれど。実はこの曲の間奏というのがあるんですけれど、オリジナルは入ってないんですけれどね、リミックス・ヴァージョンというのはカズーの間奏が入ってるんですよね。実はカズーというのはもともとのやつに入れてあったんですけれど、大瀧(詠一)さん、間違ってそれ消しちゃって、カズーなしでオフィシャルは出てるんですけど。大瀧さんの持ってる仮ミックスというのがありましてね。それにカズーが入ってるんです。それを今回のリミックスに入れたんで、ようやくオリジナルでやるべきフォームになったという。重箱の隅ですいません。

・すてきなメロディー

達 郎 お聴きのように間奏部分にピアノだけが寂しく鳴ってるとこがあるんですけど、あそこは本当はカズーが入ってたんですよね。それを今回リミックス・ヴァージョンで加えることができましたので、リミックス・ヴァージョンの「すてきなメロディー」。

・すてきなメロディー(REMIX)

鈴 木 リマスターに引き続いてリミックスという聴き比べをしていただきましたけれどいかがでしたでしょうか。一度このカズーを味わってしまうと...
達 郎 元に戻ると物足りないでしょ。だから聴き込んでる人ほど喜んでもらえるんですよね。このリミックス・ヴァージョンはね。音の粒だちが微妙に違うんですよね。聴こえなかった音が聴こえて来る。

鈴 木 実際のレコーディングはかなりハードな状態だったんですか?
達 郎 もうちょっと、すごくいいスタジオでやるものだと思っていたのだけどエレック・レコードのスタジオに連れて行かれて、ビルの二階のすごい湿度むんむんのところで、練習スタジオに毛が生えたようなところで、「ここでやんの?」ってね(笑)。なので環境が結果的にインディだったので、大瀧さんがミキシングをやったっていうことによって普通のものじゃない、大瀧さんは完全に独学で自分でエンジニアリング学んだ人なので、インディな、いってみれば南部のマッスルショールズとかね、スタックスとかね、ああいうところと同じ。みんな独学でああいう人たちやってるから。完全なインディペンデントですよ。この劣悪な環境といわれたものが、例えば'90年代のオルタナとか、そういうものと同じような、要するにガレージ・パンクな、パンクな音だったんです。音はパンクなんだけれどメロディはメジャー7thのきれいなメロディだというこのアンバランスが『SONGS』のすべてだった。今から考えればね。
鈴 木 どうしようもない、そうしなければしょうがない環境だったんだけれど、逆に時代の先端をやっていたということになりますよね?(笑)
達 郎 要するにロックな音なんですよ。1994年に最初にCD出したときに、けっこう若い人が聴くようになってくれたのは、若いバンドの人なんかがきっとそういうのに感応したんですよね。だから商業主義的な音じゃないっていう。
鈴 木 感性で受け止めるアナーキズムというか、そういうものかなと思うんですけれど。
達 郎 そうとしか考えられない。

・サンボマスターの山口隆さんからのメッセージ
山口隆 どうも。サンボマスターの歌とギター山口隆です。山下達郎さん、音楽活動40周年ということでおめでとうございます。シュガーベイブはねぇ、僕好きでねぇ。僕、都会で育ってなかったものですから、街にくりだすみたいなところが、すごく自分の中ではドキドキするっていうか、街というか何か素敵なことが起こるんじゃないかっていう。原点はなんかこうキッズが街にくりだそうぜみたいな感じ、なんか起こってるぜちゅうか、そういう空気があったのが、僕はとってもすごい素晴らしいなぁと思うんですよねぇ。村松さんのギターもヒップだし。なんかこんなこと言うと怒られますけど(笑)、ロック・バンドっていう感じがね(笑)、あの、こういうこと言うと怒られますけど(笑)、上手い人たちじゃないっていう(笑)、これがまたこう、あの、いいですよね。技術的なアレじゃなくても、なんて言うかな、技術的に上手い下手よりもキッズの心に届くのが上手いというか、上手いつかそういう、それも上手い下手じゃないのか、うまいこと言えませんけれど。僕はとっても好きなロックンロール・バンドだと思ってるんですよねぇ。オルタナティブというのかねぇ、なんかうまく言えませんけれど。大好きなバンドです。達郎さんへの質問をお願いしますということなので、達郎さんのお家に一度バリー・マンのレコードを、聴かしていただくということを、一度どうぞって言っていただいたんですけれど。それ以来なってなくて住所が、行ってみたいんですけれど住所がよくわかりません。僕ラジオ聴いてますので、達郎さんここで住所教えていただいてよろしいでしょうかね(笑)。ふふ。すいません。これからますます、今度対バンしていただければうれしいです。また音楽の話教えてください。サンボマスターの山口でございました。

鈴 木 まさに達郎さんが今仰っていたロックなんだよね、オルタナティブなんだよねっていう、サンボマスターの山口隆さんからのメッセージでした。
達 郎 サンボマスターは(ライヴの)オープニングが「今日はなんだか」なんですよね。「なんで?」と思いましたけれど。ありがいことですけれど。
鈴 木 サンボマスターと山下達郎さんて何の接点もないような...
達 郎 ひゃははははは。いやいや僕好きですよ、CD持ってます、たくさん。サンボマスター。十年くらい前にね、対談したことがあるの一回。エネルギーの塊っていうか、ライヴもそうですけれど。でも全然変わってませんね(笑)。バリー・マンいつでも来てください。今、レコード室が汚れてますから。いらっしゃるときは整理して、片付けてお待ちしております。
鈴 木 まず住所をお伝えしないことには。
達 郎 放送で言ってどうすんだ。 
鈴 木 山口さん今、街っていうそういう観念がなかったって仰ってたんですけれど違うもんなんですかね?
達 郎 いや僕、ハッと気がついたことがあるんですけれど。僕の作る歌って基本的に池袋、渋谷と下北沢を結んだ三角形ぐらいのテリトリーの歌しか作ったことがないんですよね。だからそういう意味ではシンガー・ソングライター然としてるんですけれどね。どっちか言うと直木賞より芥川賞に近いというか私小説に近いものなんですね、きっと。
鈴 木 日常のサウンドトラックっていうそういう感じ...
達 郎 そうなんですよね。ハッとそういうことを思ったことが何年か前にあって。そうだったんだと思って、そうなるとシュガーベイブってまさにそういうものなんですよね。でも伊藤銀次と何曲か一緒に書いてた時代というのがあって、銀次は逆に大阪の人間なんで、銀次の描く詩の世界つうのは東京の街じゃなくて大阪の街なんです。だから「DOWNTOWN」という歌があってアレはどう考えても道頓堀のあの辺の色彩感なんですよね。七色の黄昏降りてきてってね。たぶんそうだって言うと思いますけれど。
鈴 木 池袋、渋谷っていうのはいわゆるダウンタウンじゃないですよね。下町じゃない...
達 郎 そうです。だからミナミだからDOWNTOWNなんでしょ、きっと。おそらくそういうセンスだと思いますよ、銀次の場合。

・DOWNTOWN

・OKAMOTO'Sのハマ・オカモトさんからのメッセージ
ハマ・オカモト 山下達郎さん、お久しぶりです。OKAMOTO'Sというバンドでベースを弾いておりますハマ・オカモトと申します。僕は今、24歳なんですけれども、はじめて『SONGS』を聴いたのは高校二年生のときなので17歳。だから約7年くらい前ですかね。とにかくジャケットだけは知っていて、ただどういう内容なのか知らず手に取ったのがきっかけでした。それこそ達郎さんがやってらっしゃるということも知らずに聴いたんです。初めて聴いた日から好きな曲ばかりのアルバムですが。僕は「雨は手のひらにいっぱい」がこのアルバムの中ではいちばん好きな達郎さんライティングの曲でございます。今の僕と同い年、少し若いぐらいの頃と思うんですけれどシュガーベイブをやられた頃。やはり3年くらいの活動期間、シュガーベイブ自体が。3年ってもうクリーム(笑)、クリーム2年くらいか、わずかな活動期間なので唯でも濃密な時間だったと思うんですけれど、シュガーベイブの活動期間のことを振り返ってくださいと言われると達郎さんは何を思い出すのかなという、シュガーベイブ山下達郎が思い出す何が痛烈な思い出だったのかなというのと、バンド自体どういう目標というのか、何かそういうものを持って活動されてたのかなというのがとても気になるところで、当時、日本はフォークとか勢いを持ってたりとか、日本の音楽のそういう流行的にいうと、だいぶシュガーベイブは特殊だったんじゃないかなと。『SONGS』って特殊なアルバムだったんじゃないかなと、とても思うのでその頃を是非振り返って話していただけると。そんなのもう何回も話したよってことだったら本当に申し訳ないですけれど(笑)。せっかくこういう機会をいただいたので是非お答えしていただけるとうれしいです。以上、OKAMOTO'Sのハマ・オカモトでした。

鈴 木 ハマ・オカモトさんとの関係というのは?
達 郎 夏フェスでよく会ったり、OKAMOTO'Sって変なバンドでね(笑)。さっきの山口くんにしてもオカモトくんにしても、当時の評論家とか音楽ライターとか、そういう差異とか是非を一言も言ってくれたことがなくて。音楽的な特色とかね。そういうことの指摘みたいなことを誰も言ってくれた奴いなくて。却ってこうこいう息子、娘より若い人たちの方が本質を見ているというのはすごく驚愕で。40年前に言ってほしかったね、本当にね(笑)。
鈴 木 なんの先入観もなく聴いたまま感じたままを語るからということなんでしょうかね?
達 郎 そうでしょうね。こんだけロックとかそういうものの歴史が積み上げられてきたところで、この人たちの年代だとどうやって差別化するかだとか、自分の個性をどうやって出すとか考えなきゃいけないので。昔は僕らの時代はロックやってりゃそれでいいっていう、そういうような時代だったから、そういうときの運動論と、今の音楽的な方法論と全く違うというか。むしろ純粋になってくる、純化してるというか。そんな感じがするな。意外とこっちがインパクトが。どんなアレでバンドやってたかって、とにかく食えなかったんですよ。どうやって食いつなごうかってんで、たまたまCMで拾ってくれる人がいて、それからコーラスのスタジオ・ミュージシャンになって、編曲して、CM作家やって、やれる仕事なんでもやりましたね。
鈴 木 ハマ・オカモトさん24歳って言ってらっしたけれど、この当時の達郎さん更にもっと若い...
達 郎 「雨は手のひらにいっぱい」を書いたのは21ですから。
鈴 木 そのときにもう作家としての技量持ってらっしゃったということになる...
達 郎 そんな自覚ないですけど。自分で曲を作ってそれを音楽にしたいっていうの。自分が中学高校で見ていたのグループサウンズで、そういう人たちはほぼ100パーセント洋楽のカヴァーだったんです。で、シングル盤だけ既成の作曲家に作曲してもらって、それだけなぜか歌謡曲なのに、やってる曲他はローリング・ストーンズとかそんなのばっかりで。そっから僕らの時代になったら自分で作って自分で歌うっていうシンガー・ソングライターっていうか、そういうものが音楽的に求められてるというか、僕らがそういうものじゃないとダメだと思ってた時代だから。歌いたいことがないかって言われたらないことはない。でもそれがヒット・ソングかどうかって全く考えてないから。今でもシングルがヒットするとかしないとかはっきり言って全くわかんない僕。なんでこっちの曲が売れて、こっちの曲がそれより売れなかったか理由全然わかんない。
鈴 木 それなのに売れてしまうというのがすごい...
達 郎 それは人が選ぶんだもんしょうがない。だって「クリスマス・イブ」だって別に偶然ですからね。「クリスマス・イブ」が30年近く人に聴かれる最大の理由はなんですかっていつも訊かれるけど、あれはね、ヒット狙ってないの。例えばクリスマス・ソングで一発当ててやろうとか、今の時代のクリスマス・ソングはこれだってそういうこと一切ないの。だから楽曲としての普遍性って、自分で普遍性っていうのもアレだけど、そういうものがたぶんあるんだろうなって自分ではそうやって思ってる。
鈴 木 それっていうのは最初のお話にあったシュガーベイブのレコーディングの劣悪な状況がというのと何か通じるものがありますよね。
達 郎 通じる。だから音楽を作りたかったんです。スターになりたかったわけでも金儲けしたかったわけでもないので、ただ音楽をその時代のオリジナリティーのある音楽が作りたかった。歌謡曲とは違う、新しいものを作りたかった。それは僕も大貫さんも全く同じで、当時の日本のロック・フォークっていわれる趨勢、その時代に僕らのやってる音楽が特にイベントとか、あと評論家の評判が悪いっていうか。当時の日本語のロックって大衆扇動というか、「のってるー!」最近もあるけれど僕らそういうのと全く違うフィールドでやってるから、リズム・チェンジも激しいし、そうすると踊れない。ノレない、踊れない音楽はロックじゃないそういう時代だったんですよ。
鈴 木 これだけ自分のスタンスであったり、音楽に対するポリシーとかを曲げない達郎さんが挫けるっていう...
達 郎 レコード評とか本当に挫けましたよ。これで歌がなきゃ最高だと書かれてね。それはやっぱり21,2ですから。へこみますよ、それ(笑)。でも、その頃にそれだけやられたから今へこまないです。若いうちの苦労は買ってでも... だから大貫さんとこないだ対談しましたけれどね、この『SONGS』で。「私たち打たれ強いよね」って(笑)。

鈴 木 プロデューサーの大瀧詠一さんはアルバム制作をするときに何かアドバイスとか、話し合いみたいなものはしたんですか?
達 郎 シュガーベイブに関してはですね、大瀧さんと僕の共同プロデュースなんですけど、この『SONGS』というアルバムに大瀧さんが最大に貢献しているのは何度でも言いますけれどエンジニアなんですね。ミキサーなんですよ。で、今回のシュガーベイブの40周年のこのライナーはミキサー、大瀧詠一、笛吹童子ってペンネームでやってんですけれど、ミキサー、大瀧詠一にスポットを当てたライナーでずーっと全面的にやってるんです。プロデューサーは本当に僕と彼で二人でディスカッションしてやったので、基本的にシュガーベイブってギター・バンドなんですね。なので村松くんとはひじょうに大瀧さんはコミュニケーションがよくて、例えば「DOWNTOWN」という曲があるんですけど、あれはイントロが左のチャンネルから出てくるんですけれど、チャーン、スチャ、チャと弾くと左から残響が真ん中でゆれるんです。ながれてゆくの。あれはリミッターを入れるギターと普通のプレーン・トーンのギターをパラって、それで右左に送ることによって、リミッターが入ってるやつは残響が伸びるのでプレーン・トーンが減衰してゆくと音が真ん中に寄ってゆくと、そういう効果ね。例えばそういうことはずいぶんみんなでディスカッションしてね、それはいちばん大瀧さんと村松くんが一生懸命やって、それはアルバムの全面的なギター・サウンドのところに反映されてる。なんですけれど、結局それをミキシングして具体的な形にするのは大瀧さんの仕事だったので、かなりだから彼はプロデュースというよりはエンジニアのほうに結構集中してやってた節が多いんですね。今から考えるとね(笑)。だから、まぁ、そういうことは僕はリミックスとかやりながらひじょうに感じたので今回は笛吹童子というものにスポットを当ててやりました。だからレコードというのはいろんなファクターでできてるので、気づくまでにすごく遅かったり。アルバム出たときなんかもう人の音なんか聴いてませんから。それが10年20年経つと「あぁ、ベースこんなことやってたんだ」とかね(笑)。で今回、リミックスしたから、それが更に細部まで明らかになって「こいつ、こんな(笑)」。
鈴 木 すごいですね、40年経ってもまだそこに新発見があるっていう。曲はもう数は限られてるわけじゃないですか。それなのに。
達 郎 普通のバンドでしたらそれまでやってるステージの曲をステージの演奏のままに記録して一丁あがりっていうやつアレだったんですけれど。僕らはちょっと変わってたんでね、ちょっと作家的なアレもあるし、大瀧さんがエンジニアだから、エンジニア的なそういうトライもやってみたいし。
鈴 木 レコードならではの音ということですね。
達 郎 そうですね。「蜃気楼の街」なんてそれまでステージでやってたアレンジと変えちゃったの、レコードでね。バンドのレコードじゃないですよ、これ。そういう意味ではね。でも、まぁこの頃はCMもはじめてたし、スタジオに習熟しかけてたときなので、そういうことが大瀧さんとスムーズに。何にも知らないとそんなのできないでしょ。マイクの立て方とか録り方とか、そういうの少し学習しかけてたときなのでそれはよかったですね。
鈴 木 達郎さんがこのレコーディングをしたときも大変な状況ではあったけれども、違った意味で今は今の大変さっていうのが...
達 郎 別の言い方をすればこの時代はやれることがそんなになかったの。トラックも16しかないから。入れられるものがないし、でも今は選択肢が無限なの。100トラック使っても200トラック使ってもやろうと思えばできちゃうしね。逆に時間がかかっちゃって予算が膨れ上がる? あの新国立(競技場)みたいなもんですね。そういう逆に不幸な時代っていうか。
鈴 木 そしてどんどんどんどん達郎さんがお籠りする時間が長くなってゆく(笑)。
達 郎 すいません。なんでそっちに話がゆくんでしょうね。
鈴 木 早く出してくださいよーという話があちこちでよく聞こえてくるんです。
達 郎 今は6年に一枚くらいでいいんです。
鈴 木 今度はボーナス・トラックがたくさん入ってるので、そこからも選んでいただこうかと思います。
達 郎 ボーナス・トラックってのはね、シュガーベイブは何度でも言いますけれど、マイナーなバンドだったんですよ。だからライヴ・レコーディングが正規なものってないんです、一個も。強いて言うなら解散ライヴのアレなんですけれど。それも一発録りなのでピアノが聞こえなかったりとかいろいろあるんですよね。で何よりも歌詞間違えてる、演奏間違えてる、すごいんです、間違い。今、シビアにアレするとね。昔、25年くらい前だったら、それでも、まぁいいかって、たぶん出したと思うんですけど。やっぱり自分だって演奏の、自分のライヴのね、クオリティーを上げようと40年間努力してきたわけですよ。その耳で聴くとですよ、こんなもんとても金取って売れるようなシロモンじゃないと、どんどんシビアになってゆくんです。
鈴 木 ファンにしてみれば逆にそれがちょっとお宝的な(笑)...
達 郎 嫌です。それでも今まで2回リマスターしてるので、それに入れたボーナス・トラックは全部やめて、全部初CD化の音源ばっかりなんですけど。そうすると更にすごいことになってオーディエンスからワンポイントのマイクで録ってるカセットのコピーとか、そんなのばっかりなってきて、エアチェック・テープとか。だから音質はもうご勘弁っていうアレですけど。一応そうやってね、レアだとか言って。
鈴 木 そのうちどんどんマニアックになってゆく...
達 郎 一応、演奏、歌、いろいろそういうもので許せるもの。1976年の4月の1日シュガーベイブの解散ライヴ、荻窪のロフトでのライヴです。「パレード」。

・パレード(LIVE)

・浜田省吾さんからのメッセージ
浜 省 山下くん、ご無沙汰しております。浜田省吾です。お元気ですか。シュガーベイブと俺のいた愛奴は1975年に同じ年にレコード・デビューしたわけですが、はじめてシュガーベイブのアルバムを聴いたとき、その素晴らしいソングライティングの力と、それからサウンド・プロデュースの凄さに驚かされました。まぁ、たくさんではないんですけれども、同じステージを一緒にやることがあって、その演奏力の凄さっていうのかな、高さにこれもまた感服したものです。あれからあっという間に40年が経って今もね、お互いこうして現役で音楽シーンの中に入られるっていうこと励まし合いたいというか、讃え合いたいと思います。これからもね、いつも連絡を取り合ってるわけじゃないですけれども、遠くから山下くんのこと応援していきたいと同志のような気持ちでおります。浜田省吾でした。
 
鈴 木 なんと浜田省吾さんからメッセージが届きました。
達 郎 浜田くんは本当にシーンとしていちばん近いというか、音楽じゃなくてね、スタンスとして近いというか。愛奴って広島のバンドなんですけど、ほぼ同時期にデビューして、ほぼ同時期に解散して、同時期にソロになって(笑)。
鈴 木 じゃあ愛奴も本当に短い時間だったんですか?
達 郎 短いですよ。愛奴は浜田くんドラマーだったんだけど、ドラマーで先に脱退してそれでソロになったんですよね。僕より先にソロになったんですけど。ほぼ同じ経緯を辿ってね、彼もメジャー・フィールドっていうか、そういうものじゃなくて、しこしことライヴで積み上げていってやった人なんで、本当に同志のようなものですね。年も同じですし。
鈴 木 浜省さんもバンドではじまって、ずーっと今はソロじゃないですか。達郎さんもソロでっていう。なんかその同じ地獄を見てしまった仲間とかそんなことを思ってしまって(笑)
達 郎 彼もドラマーでしょ、僕ももともとドラマーだから。でも僕はシュガーベイブ入るときにドラマーがリード・ヴォーカルはかっこ悪いなと思って。
鈴 木 ドラムをやってた人がヴォーカリストになったときっていうのはすごいことが起きるんじゃないかと。スティーヴン・タイラーとかもね、並外れたリズム感とか、歌だけしか歌ってこなかった人よりも、ものすごく魅力を感じるんですよね。
達 郎 ですか。浜田くんに言っときますよ。
鈴 木 達郎さんも「二人の夏」ライヴでカヴァーしたりとか、お互いにしょっちゅう連絡取り合ったりしてなくても、ジャンルは違っても同じ土壌でお互いの活躍を応援しあえるというのは本当に貴重ですし...
達 郎 スタンスとしてはいちばん似てますね。だからものの考え方とかそういう感じはね。
鈴 木 どうしても音楽から離れていってしまう方とかたくさんいる中で心強いのかなぁーなんてふうに想像しますけれど...
達 郎 全くね。だから一世代上のフォークの人たちの中で絆の強い人たちっているじゃない。それに似てますね、やっぱりね。男だっていうのもありますしね。
鈴 木 同じものを乗り越えてきたっていう、そういうものがあるのかもしれないですね...
達 郎 そうですね。同じ時代を生きてきたですし。ありがたいですね。

鈴 木 確か30周年のときでしたっけ? 自分の中にロックンロールはまだ鳴り続けているのか? ロックへの忠誠心というか。それは今でも変わらないものなんですか?
達 郎 ロックンロールが好きだから音楽をはじめたんでね。ロックンロールがなかったら僕絶対に音楽家なってないから。ロックンロールの何が好きかってね、ロックンロールという言葉は別に音楽の何を表してるわけじゃないんですよ。スピリットなんですよ。人生いろいろいいこともあるし悪いこともあるんだけど、それを音楽が助けてくれたっていうか、音楽だけは嘘を言わなかったんですよね。てかロックンロールだけは嘘を言わなかった。それが僕にとってのロックンロール。いわゆるロッカーの、いわゆるロックの音楽の人の言ってるロックンロールの意味と、僕の言ってるロックンロールはちょっと違うんです。でも同じなんですよ(笑)。カタチは違ってもね。そういうところが40年やってきて変わらないから、そういう音楽はこれからも付き合いられるだろうと思うんだけど。ロックンロールはね、もともとティーンネイジ・ミュージックなんですよ。ガキの財布からカネ搾り取る音楽なんだけど、だから故にモラトリアムだとか、ジュブナイルだとか、そういう色をすごく持ってるので、それのおかげで僕らはそんなに年取らずに、精神的に年を取らなくて済んだっていうのが、ロックンロールのいちばんの価値っていうかね(笑)、そういうものだと思いますけどね。

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