新しいテキスト Dominique de Villepin <<Résistons à l'esprit de guerre>> 2015年02月09日 | Weblog 今年度最後のテキストとして、フランスがあの惨劇に襲われた翌日にLe Monde紙に寄稿された、ドミニック・ドヴィルパン「戦争の精神に抗して」を読みます。テキストをご要望の方は shuheif336@gmail.com までお知らせ下さい。Shuhei #学習 « エチエンヌ・バリバール「ジ... | トップ | ドミニック・ドゥ・ビルパン... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Resistons a l'esprit de guerre (misayo) 2015-02-17 10:32:37 こんにちは、みさよです。Les amalgames の新しい使い方を教えていただいてありがとうございます。辞書だけでは分からないことで、幅広い勉強をしなければと実感しました。 今では三つ目の敵があります。それは排斥です。私たちの国は日々緊張を高めています。首脳たちは日ごとに嫌イスラムを許すような対立と排除の論議に向かっています。歴史は私たちに教えています。堤防が壊れる時、国は崩壊の危機に瀕すと。もしも私たちが暴力を引き寄せるなら、それは私たちが分裂し、衰弱し、自らの殻に閉じこもっているからです。傷つき血を流している国だと言うことです。文学上の論争や党派的なデマゴギーは、そういった争点が私たちを他者から、つまり侵略や偽りの交代から助け出すものではなく、むしろ私たち自身、私たちのあきらめや、衰退へのナルシスムや、西洋化主義や自殺願望の誘惑から私たちを助け出すことを示しています。試練の時にあって、私たち一人ひとりが果たさなければならない役目があります。責任を持って、冷静に連帯して行動しましょう。民主的な模範性を持って、反論しましょう。もう一度自分を取り戻し、対話を信じ、文化や教育の力を信じ、平和を信じる共和主義者になりましょう。 返信する Resistons a l'esprit de guerre (NI) 2015-02-17 17:15:52 こんにちは。NIです。初挑戦でした。日本の政治家にもそのスピーチライターにも、こんな文章は絶対書けないだろうと思いながら読みました。今日では第三の敵もいる。それは排除だ。われわれの国は日増しに苛立ちを強めている。エリートたちは日々、これまで以上に分断と排斥の言説にすがるようになっているが、それはあらゆる不当な同一視を許容してしまう。歴史はわれわれに、歯止めが吹き飛ぶとき、国家は崩壊の危機に瀕すると教えている。われわれが暴力に引き付けられるとすれば、それはわれわれが分断されており、ひよわで、自分の殻に閉じこもっているからだ。これが傷つき、失血している国家の姿である。文学をめぐる論争や党派的な扇動はわれわれに次のことを示している。すなわち、争点はわれわれを他者から、つまり想像上の侵略者あるいは乗っ取り屋から守るというようなことではない。そうではなく、われわれをわれわれ自身から、つまりわれわれの諦観、衰退がもたらす自己愛、われわれの西欧主義への、そして自殺への誘惑から、守ることなのである。この試練の時にあって、われわれ一人ひとりが果たさねばならない義務がある。責任を持って、沈着に、そして一丸となって行動しようではないか。模範的な民主主義によって事態に応じようではないか。われわれの本来の姿に、すなわち対話と、文化教養の力と、そして平和を信じる共和主義者に、戻ろうではないか。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
今では三つ目の敵があります。それは排斥です。私たちの国は日々緊張を高めています。首脳たちは日ごとに嫌イスラムを許すような対立と排除の論議に向かっています。歴史は私たちに教えています。堤防が壊れる時、国は崩壊の危機に瀕すと。もしも私たちが暴力を引き寄せるなら、それは私たちが分裂し、衰弱し、自らの殻に閉じこもっているからです。傷つき血を流している国だと言うことです。文学上の論争や党派的なデマゴギーは、そういった争点が私たちを他者から、つまり侵略や偽りの交代から助け出すものではなく、むしろ私たち自身、私たちのあきらめや、衰退へのナルシスムや、西洋化主義や自殺願望の誘惑から私たちを助け出すことを示しています。試練の時にあって、私たち一人ひとりが果たさなければならない役目があります。責任を持って、冷静に連帯して行動しましょう。民主的な模範性を持って、反論しましょう。もう一度自分を取り戻し、対話を信じ、文化や教育の力を信じ、平和を信じる共和主義者になりましょう。
今日では第三の敵もいる。それは排除だ。われわれの国は日増しに苛立ちを強めている。エリートたちは日々、これまで以上に分断と排斥の言説にすがるようになっているが、それはあらゆる不当な同一視を許容してしまう。歴史はわれわれに、歯止めが吹き飛ぶとき、国家は崩壊の危機に瀕すると教えている。われわれが暴力に引き付けられるとすれば、それはわれわれが分断されており、ひよわで、自分の殻に閉じこもっているからだ。これが傷つき、失血している国家の姿である。文学をめぐる論争や党派的な扇動はわれわれに次のことを示している。すなわち、争点はわれわれを他者から、つまり想像上の侵略者あるいは乗っ取り屋から守るというようなことではない。そうではなく、われわれをわれわれ自身から、つまりわれわれの諦観、衰退がもたらす自己愛、われわれの西欧主義への、そして自殺への誘惑から、守ることなのである。
この試練の時にあって、われわれ一人ひとりが果たさねばならない義務がある。責任を持って、沈着に、そして一丸となって行動しようではないか。模範的な民主主義によって事態に応じようではないか。われわれの本来の姿に、すなわち対話と、文化教養の力と、そして平和を信じる共和主義者に、戻ろうではないか。