来春のJRグループダイヤ改定のニュースリリースが、九州を除く各社から発表されました。もはや絶滅危惧種となった夜行列車は、昨春に続き大鉈がふるわれることに。
・ブルートレイン「富士・はやぶさ」は廃止
・夜行快速「ムーンライトえちご」「ながら」は季節列車化
になるとのことです。
ムーンライト2兄弟の季節化は、最近になって話題に上がるようになっており、まさか一気に2列車の格下げに至るとは驚きでした。
いずれも「青春18きっぷ」のシーズンには、指定券が入手困難になるほどの人気をほこるものの、それ以外のシーズンはあまり芳しい乗りではなかったようで、ついに毎日運転に終止符を打つことに。これをもって、100年以上続いた(であろう)普通列車の定期夜行列車は、全廃ということになってしまいました。
ムーンライトシリーズはお金のなかった学生時代、数え切れないほど世話になってきた列車です。青春18きっぷ共々、安い汽車旅を保障してくれた、ありがたい列車でした。いろんな思い出をありがとう、合掌。
ところで特急「東海」はおろか、「ながら」という活躍舞台まで失った東海道筋の373系。どうなるんだろ?
そして一方の「富士・はやぶさ」。幼い頃から憧れ続け、ずっと乗りたいと思ってきた列車だけに、感慨深いものがあります。
「はやぶさ」に乗ったのは、小学1年生の春。熊本の伯母の家に行くため、久留米から「ヒルネ」乗車したのが初めてのこと。食堂車で朝食を食べ、満員近く賑やかな車内は、長距離列車の風格を漂わせていました。その後も何度か「ヒルネ」で乗っており、上り列車に乗った時には、
「このまま誰か列車ジャックして、東京まで行ってくれねーかな」
と思ったものです。
そんな憧れの九州ブルートレインも、食堂車はおろか車内販売まで廃止になり、旅の楽しみは半減。列車そのものも、「みずほ」「あさかぜ」「さくら」と年を追うごとに削減され、ついに1往復となっていました。
ようやく「はやぶさ」を本来の夜行列車として利用できたのは、2001年。休みの間に続けたバイト代を1週間で叩いて行った、北海道旅行の帰路でした。食堂車こそなかったものの、ロビーカーは健在。ゆったりソファーでくつろぎつつの1000kmの旅で、
「夢はいつかかなうものなんだな」
と満足したものです。
社会人になれば懐に余裕もでき、憧れの中の憧れだったA寝台個室にも乗れたものの、老朽化が進みボロボロの状態の車両からは、すでに風格は消え去っていました。直視するのも辛いほどに…
廃止の噂はすでに去年から流れていたこともあって、今回の発表に特に驚きもしませんでした。新幹線ですら5時間、それ以前に飛行機が1時間少しで飛ぶ九州と東京を、一晩以上かけて結ぶ寝台特急。いくら乗り換えを嫌うお年寄りや、旅にロマンを求める乗客がいても、利益にかなうだけの絶対数ではないというのは、現状を見れば明らかでした。
民営化後、特に大きなサービス改善を見せることもなく、国鉄時代そのままの姿で走り続けた「はやぶさ」が、スマートな「白いかもめ」やN700系の並ぶ博多駅に止まっている光景は、あるいは奇跡だったのかもしれません。
民営化後20年、よくここまで走ってくれたものと思います。ずっと憧れでいてくれてありがとう。そして、さようなら。
最後にもう一度、会いに行こうと思います。
・ブルートレイン「富士・はやぶさ」は廃止
・夜行快速「ムーンライトえちご」「ながら」は季節列車化
になるとのことです。
ムーンライト2兄弟の季節化は、最近になって話題に上がるようになっており、まさか一気に2列車の格下げに至るとは驚きでした。
いずれも「青春18きっぷ」のシーズンには、指定券が入手困難になるほどの人気をほこるものの、それ以外のシーズンはあまり芳しい乗りではなかったようで、ついに毎日運転に終止符を打つことに。これをもって、100年以上続いた(であろう)普通列車の定期夜行列車は、全廃ということになってしまいました。
ムーンライトシリーズはお金のなかった学生時代、数え切れないほど世話になってきた列車です。青春18きっぷ共々、安い汽車旅を保障してくれた、ありがたい列車でした。いろんな思い出をありがとう、合掌。
ところで特急「東海」はおろか、「ながら」という活躍舞台まで失った東海道筋の373系。どうなるんだろ?
そして一方の「富士・はやぶさ」。幼い頃から憧れ続け、ずっと乗りたいと思ってきた列車だけに、感慨深いものがあります。
「はやぶさ」に乗ったのは、小学1年生の春。熊本の伯母の家に行くため、久留米から「ヒルネ」乗車したのが初めてのこと。食堂車で朝食を食べ、満員近く賑やかな車内は、長距離列車の風格を漂わせていました。その後も何度か「ヒルネ」で乗っており、上り列車に乗った時には、
「このまま誰か列車ジャックして、東京まで行ってくれねーかな」
と思ったものです。
そんな憧れの九州ブルートレインも、食堂車はおろか車内販売まで廃止になり、旅の楽しみは半減。列車そのものも、「みずほ」「あさかぜ」「さくら」と年を追うごとに削減され、ついに1往復となっていました。
ようやく「はやぶさ」を本来の夜行列車として利用できたのは、2001年。休みの間に続けたバイト代を1週間で叩いて行った、北海道旅行の帰路でした。食堂車こそなかったものの、ロビーカーは健在。ゆったりソファーでくつろぎつつの1000kmの旅で、
「夢はいつかかなうものなんだな」
と満足したものです。
社会人になれば懐に余裕もでき、憧れの中の憧れだったA寝台個室にも乗れたものの、老朽化が進みボロボロの状態の車両からは、すでに風格は消え去っていました。直視するのも辛いほどに…
廃止の噂はすでに去年から流れていたこともあって、今回の発表に特に驚きもしませんでした。新幹線ですら5時間、それ以前に飛行機が1時間少しで飛ぶ九州と東京を、一晩以上かけて結ぶ寝台特急。いくら乗り換えを嫌うお年寄りや、旅にロマンを求める乗客がいても、利益にかなうだけの絶対数ではないというのは、現状を見れば明らかでした。
民営化後、特に大きなサービス改善を見せることもなく、国鉄時代そのままの姿で走り続けた「はやぶさ」が、スマートな「白いかもめ」やN700系の並ぶ博多駅に止まっている光景は、あるいは奇跡だったのかもしれません。
民営化後20年、よくここまで走ってくれたものと思います。ずっと憧れでいてくれてありがとう。そして、さようなら。
最後にもう一度、会いに行こうと思います。