4月の熊本地震以来、ようやく余震は収まってきましたが、まだまだ被害を受けた地域の復興は道半ばです。鉄道路線の被害も大きく、第三セクターの南阿蘇鉄道は一部区間の復旧に留まっています。
鉄っちゃんとして、微力ながら復旧を応援したい! そこで秋分の日、NPO法人日本九援隊さんのボランティアバスに乗って、線路復旧のお手伝いに行ってきました。
ボランティアバスは博多駅、大野城駅、広川サービスエリアを経由して南阿蘇へと向かいます。久留米住まいの僕は、広川から乗せて頂きました。
50系統建設学校前バス停から徒歩15分。車を持っていないと、なかなかアクセスが大変な場所ではあります。
熊本ICを降りて、国道57号線を阿蘇方面へ。4月16日の本震に伴う立野付近での大規模土砂崩れの影響で、ミルクロードが迂回路になっています。
57号は、阿蘇方面へのドライブの定番ルート。友人や同僚とワクワクしながら走った記憶と、窓の外に広がる厳しい現況のギャップに戸惑います。
道の駅大津には、仮設の国道情報センターが。
被災状況の説明と、今後の復旧方針が示されていました。現行ルートではなく、ミルクロード沿いに4kmのトンネルを掘ってバイパスするルートが計画されています。
今回のバスを出して頂いたのは、福岡の早良観光さん。狭い道を、快適に運んで頂きました。ありがとうございます!
57号線を左折し、ミルクロードへ。地震後、仕事やボランティアで何度か熊本市内までは行きましたが、阿蘇方面は初めて足を踏み入れます。
本来は阿蘇の大自然を体感できる、快適なドライブコース。
今は熊本と阿蘇、大分を結ぶ大動脈。車が途切れることはありません。
阿蘇のカルデラに降りてきました。豊肥本線も、大規模に被災した肥後大津~阿蘇間が長期運休中。赤水駅には、キハ147系が閉じ込められていました。
この1週間後、車両は駅から搬出されています。
赤水駅の阿蘇方の踏切は、線路が撤去されていました。一旦停止の必要はありません。ミルクロードの交通量の急増に対応したのでしょうか。
豊肥本線の復旧が長期戦になることを、暗に示す光景でした。
南阿蘇の被害も大きく、倒壊した家屋や、崩れた宅地の擁壁など手つかずのままになっています。
しかし観光施設は、再起しているところも少なくありません。避難所としても大活躍した阿蘇ファームランドは、8月1日に再開。遊びに行くことも支援です。
落橋した阿蘇大橋を大きく迂回して、南阿蘇の観光ルートでもある国道325号線へ。南阿蘇の大自然は、今も美しいものです。
約3時間で、ようやく今回の活動拠点である南阿蘇水の生まれる里白水高原駅着。言わずと知れた、日本で一番長い名前の駅です。
とても覚えきれる駅名ではなく、「南阿蘇ナンチャラ駅」と呼ぶ人も。
5ヶ月列車の来ていない線路は、赤くさび付いています。
作業現場までは、線路上を徒歩で移動。貴重な経験ではあります。
赤さびだけではない、線路の傷みも。木製の枕木は、いくつか朽ち果ててしまっていました。
外れてしまった線路の連結部分も。
築堤ごと崩れてしまい、大きく傾いた線路。大なり小なり、積み重なって大きな被害になっています。
そして今回の活動現場へ。直接的な地震の被害ではなく、その後の集中豪雨で土石流の直撃を受けてしまい、埋まった線路の掘り出し作業です。除草と聞いていましたが、なかなかの肉体労働になりそう。
まずは午前中の2時間弱、スコップで土砂を掻き出します。軽く水を吸った火山灰質の土砂は重く、大学生に交じって作業していたら、すぐに腰が悲鳴を上げ始めました。できる範囲で、無理なく、コツコツと。
南阿蘇ナンチャラ駅のホームでお昼ごはんを食べた後は、駅近くの寺坂水源へ。駅から道を歩くと15分ほどかかる場所ですが、今日は線路の上を歩けるので、ものの数分です。
鉄橋の下でこんこんと湧く、生活に密着した水源でもあります。
水の底では、沢蟹が散歩していました。
午後から作業再開。雨も降ってきたので、カッパを着てみな黙々と泥をよけていきます。1日の作業の末、埋まっていた線路が姿を現しました!
もちろんこれだけで列車が走れるわけではないけど、なかなか復旧作業にも着手できない中、少しでも目に見えて前に進めただけでも、小さな成果なのかもしれません。
夕方のミルクロードも大渋滞。もっとも国道57号線も、観光シーズンには渋滞名所でした。観光客が戻ってくれば、多少の渋滞もやむを得ないのかもしれません。
午後8時前には久留米へ。さすがにちょっとしんどかったけど、機会あらばまた阿蘇の地を訪ねたいと思います。
鉄っちゃんとして、微力ながら復旧を応援したい! そこで秋分の日、NPO法人日本九援隊さんのボランティアバスに乗って、線路復旧のお手伝いに行ってきました。
ボランティアバスは博多駅、大野城駅、広川サービスエリアを経由して南阿蘇へと向かいます。久留米住まいの僕は、広川から乗せて頂きました。
50系統建設学校前バス停から徒歩15分。車を持っていないと、なかなかアクセスが大変な場所ではあります。
熊本ICを降りて、国道57号線を阿蘇方面へ。4月16日の本震に伴う立野付近での大規模土砂崩れの影響で、ミルクロードが迂回路になっています。
57号は、阿蘇方面へのドライブの定番ルート。友人や同僚とワクワクしながら走った記憶と、窓の外に広がる厳しい現況のギャップに戸惑います。
道の駅大津には、仮設の国道情報センターが。
被災状況の説明と、今後の復旧方針が示されていました。現行ルートではなく、ミルクロード沿いに4kmのトンネルを掘ってバイパスするルートが計画されています。
今回のバスを出して頂いたのは、福岡の早良観光さん。狭い道を、快適に運んで頂きました。ありがとうございます!
57号線を左折し、ミルクロードへ。地震後、仕事やボランティアで何度か熊本市内までは行きましたが、阿蘇方面は初めて足を踏み入れます。
本来は阿蘇の大自然を体感できる、快適なドライブコース。
今は熊本と阿蘇、大分を結ぶ大動脈。車が途切れることはありません。
阿蘇のカルデラに降りてきました。豊肥本線も、大規模に被災した肥後大津~阿蘇間が長期運休中。赤水駅には、キハ147系が閉じ込められていました。
この1週間後、車両は駅から搬出されています。
赤水駅の阿蘇方の踏切は、線路が撤去されていました。一旦停止の必要はありません。ミルクロードの交通量の急増に対応したのでしょうか。
豊肥本線の復旧が長期戦になることを、暗に示す光景でした。
南阿蘇の被害も大きく、倒壊した家屋や、崩れた宅地の擁壁など手つかずのままになっています。
しかし観光施設は、再起しているところも少なくありません。避難所としても大活躍した阿蘇ファームランドは、8月1日に再開。遊びに行くことも支援です。
落橋した阿蘇大橋を大きく迂回して、南阿蘇の観光ルートでもある国道325号線へ。南阿蘇の大自然は、今も美しいものです。
約3時間で、ようやく今回の活動拠点である南阿蘇水の生まれる里白水高原駅着。言わずと知れた、日本で一番長い名前の駅です。
とても覚えきれる駅名ではなく、「南阿蘇ナンチャラ駅」と呼ぶ人も。
5ヶ月列車の来ていない線路は、赤くさび付いています。
作業現場までは、線路上を徒歩で移動。貴重な経験ではあります。
赤さびだけではない、線路の傷みも。木製の枕木は、いくつか朽ち果ててしまっていました。
外れてしまった線路の連結部分も。
築堤ごと崩れてしまい、大きく傾いた線路。大なり小なり、積み重なって大きな被害になっています。
そして今回の活動現場へ。直接的な地震の被害ではなく、その後の集中豪雨で土石流の直撃を受けてしまい、埋まった線路の掘り出し作業です。除草と聞いていましたが、なかなかの肉体労働になりそう。
まずは午前中の2時間弱、スコップで土砂を掻き出します。軽く水を吸った火山灰質の土砂は重く、大学生に交じって作業していたら、すぐに腰が悲鳴を上げ始めました。できる範囲で、無理なく、コツコツと。
南阿蘇ナンチャラ駅のホームでお昼ごはんを食べた後は、駅近くの寺坂水源へ。駅から道を歩くと15分ほどかかる場所ですが、今日は線路の上を歩けるので、ものの数分です。
鉄橋の下でこんこんと湧く、生活に密着した水源でもあります。
水の底では、沢蟹が散歩していました。
午後から作業再開。雨も降ってきたので、カッパを着てみな黙々と泥をよけていきます。1日の作業の末、埋まっていた線路が姿を現しました!
もちろんこれだけで列車が走れるわけではないけど、なかなか復旧作業にも着手できない中、少しでも目に見えて前に進めただけでも、小さな成果なのかもしれません。
夕方のミルクロードも大渋滞。もっとも国道57号線も、観光シーズンには渋滞名所でした。観光客が戻ってくれば、多少の渋滞もやむを得ないのかもしれません。
午後8時前には久留米へ。さすがにちょっとしんどかったけど、機会あらばまた阿蘇の地を訪ねたいと思います。