鹿児島県の離島、薩摩硫黄島を目指す旅の2日目。11月23日(土・祝)は、鹿児島中央駅前の東横インで朝を迎えました。チェーンのホテルならではの、ハズレがない快適な一夜でした。
同じ東横でも、地方に行くほど充実しているというサービスの朝食を食べて、元気な一日の始まりです。
鹿児島中央駅は見慣れた大階段が消え、駅ビルの建設工事が進んでいました。
いいシンボルだった大階段が消えたのは寂しいですが、当初計画通りの規模の駅になるのは喜ばしいことです。同じ九州新幹線のJR久留米駅も、早く当初構想の規模の駅ビルになってくれたらなあ…と思います。
バスで鹿児島本港高速船ターミナルへ。三島(みしま)、十島(としま)への離島航路は、少し離れた船着き場から発着します。
高速船乗り場付近から見た、8時49分頃の穏やかな桜島は…
三島方面への船着き場に着いた9時05分頃には、噴火を起こしていました。
まさに活火山。自然の驚異と、それを承知で隣り合わせて暮らす鹿児島市という土地の気概に、改めて感じ入る光景でした。
三島方面の村営フェリー「みしま」に乗り込みます。通常は週に2~3便が出る航路なのですが、この11月末は十島方面の「としま」がドック入りのため、助っ人に十島航路へ「みしま」が就航しています。
そのため三島航路は週一回の運航。しかも黒島への宗教団体さんの乗船のため、2等船室はかなりの混雑になりました。
前回と同じくテープで結ばれたまま、定刻に出航。
テープが切れた後も、大きな手で見送ってくれました。
前回は離島への転校プログラム「しおかぜ留学」へ出発する子どもの見送りで、多くの親御さんが集まっていましたが、今回はそういうわけでもなさそう。毎回見られる、見送り風景なのでしょうか。
鹿児島から南へ向かう離島航路はまず、波穏やかな錦江湾を1時間強、航行します。段々と小さくなっていく桜島や、大隅半島の風力発電、開聞岳など、見どころは多いエリアです。
種子島航路の高速船「トッピー」が、勢いよく追い抜いて行きました。
円錐型の開聞岳は、船が進んで見る角度が変わっても、同じ形です。
移り変わる風景が楽しくて、少し肌寒い天気でしたが、結局ずっとデッキで過ごしました。
外洋に出ると、遠く水平線上に島影が見えてきました。高い山影から最初は屋久島かと思っていましたが、地図と照らし合わせると、どうやら目的地の硫黄島のようです。
前回は曇りの天気だったので、外洋に出ると見るべき景色もなかったのですが、晴れだと本土と三島村は有視界圏内でした。
鹿児島本港出航から3時間、12時30分に竹島へ寄港。その名の通り、台地上は竹で覆われた島です。
晴れだと海の色も、より鮮やかに。港の深い底まで見通せるほどの透明感です。
1週間ぶりの船に、出迎えの光景があちこちで見られます。
そして降ろされたコンテナからは、ごっそり生活物資が取り出され、島の人々の車に乗せられていきました。
フォークリフトを使って、続々と降ろされるプレカットされた木材。家一軒を新築するようです。
竹島を出航すると、硫黄岳はもうすぐそこ。噴煙を上げる、勇壮な姿で出迎えてくれます。
フェリーみしまはシーズンによって枕崎から乗ることもできますが、硫黄岳が正面から出迎えてくれるのは鹿児島発のみ。せめて往路だけは、鹿児島から乗りたいものです。
前回訪問時は雲天で、麓しか姿を見せてくれなかった硫黄岳。
絶海に浮かぶ雄姿を見られただけでも、はるばる来た甲斐がありました。
茶色に染まる硫黄島の波止場に入ります。土石流が流れ込んだわけではなく、海底から湧き出る硫黄によって、こんな海の色になっているのです。
硫黄分は海面に固まっているので、スクリューでかき回された船の軌跡は、普通の海の色になっています。
硫黄島の温かさは、フェリー到着の際はどんな時でも歓迎の意を表してくれること。
今回も、横断幕とジャンベのリズムで出迎えてくれました。
宿は、港の目の前の「島宿ほんだ」さんへ。
バスもタクシーもない硫黄島にはレンタカーもありませんが、島の宿では車を貸してくれるところがあります。ほんださんでも、ワンボックスカーを5,000円/1泊で貸してくれました。
前回は徒歩のため、行ける範囲も限られましたが、今回はもう少し島の奥まで行ってみたいと思います。
島で2軒の商店、そして島では数台しかない自販機。前回は陳列棚そのものがガラガラでしたが、ずいぶん充実していました。
飲み物を買い込んで、いざ出発!
まずは体験型宿泊施設、冒険ランドいおうじまを見学しました。よく手入れされた芝、清掃の行き届いた施設。鹿児島郡にありながら、鹿児島市が運営する体験学習施設です。
管理室の扉に手を掛けてみれば、ガラッ。しかし中は無人でした。まず家に鍵をかけることがないという硫黄島、鹿児島市の施設といえども「島の常識」が通用します。
峠を越えて、島の北側へ。大谷(うーたん)海岸への入口の目印を見つけました。海岸には大谷温泉があると島のガイドマップに書いてあったので、さっそく駐車して海岸を目指します。
ダートは途切れ、木の橋を渡り、岩を越えて海岸に出ましたが、ナニモナイ…引き潮の時のみ、海岸に沸く温泉を楽しめる海岸とかで、潮が満ちていればただの海岸なのでした。
海の向こうには開聞岳がそびえます。
さらに島の北へと進み、平家城跡へ。見降ろす海岸は、乳白色のグラデーションに染まっていました。
海底から沸く硫黄分の影響ですが、茶色の港とはまた違った不思議さを感じます。
歌舞伎の上演記念像。
帰路には、坂本温泉にも立ち寄りました。前回は港から1時間以上かけ歩いてきた温泉で、フナムシの大群に圧倒されつつ入浴した思い出があります。
とりあえず足だけ浸かって、次なる目的地へ。
再び峠を越えて、島の東側へと抜けて行きます。目の前には、硫黄岳がそびえます。
以前は硫黄岳の近くまで行けたようですが、現在は火山性ガスの影響から、登山道の入口で通行止めになっているのが残念でした。
東海岸の入口に車を止め、海岸沿いの歩道を歩いていきます。
夕方4時、岩場はオレンジ色に染まりつつありました。
たどり着いた海岸の秘湯、東温泉。さっそく服を脱いで、飛び込みました!夕暮れを眺めながらの温泉は、極楽、極楽。2度と言わず、何度でも訪れたい名湯です。
お湯はびっくりするほどの酸性で、傷やひげそり跡がヒリヒリします。しかし肌への効果はテキメンです。
東温泉にも、日没が訪れようとしていました。でも、まだ間に合う!
車を、島の西海岸の牧場へと走らせると…
まさに、今日の陽よサヨウナラの瞬間。
思っていたよりずっと早いスピードで、大海原へ太陽は沈んでいきました。
恋人岬への橋から、島の集落を見下ろします。
宿に戻れば夕ご飯の時間。離島の宿は、食材調達のむずかしさから食事が質素な所も多いのですが、島宿ほんだのご飯はとにかくウマイ!ご飯が何杯もいけちゃいます。
硫黄島を目指す旅人はタダものではなく、宿の人みんなが顔を合わせる食事の時間は、その素性を知る貴重な機会でもあります。
今回も、国内の全空港を制覇した飛行機大好き関西夫婦(ホントに漫才のようなやり取りでした!)や、悪石島と硫黄島を目指して来られた盛岡の方(世界72ヶ国に訪れた経験の持ち主!)などのツワモノ揃い。旅人を魅了する島です。
食事の合間には、村内限定の焼酎「みしま村」を楽しみ、2次会は波止場でお湯割りをチビチビ。
頭の上には、見たこともないような星と青雲で埋まった空が広がっていました。
同じ東横でも、地方に行くほど充実しているというサービスの朝食を食べて、元気な一日の始まりです。
鹿児島中央駅は見慣れた大階段が消え、駅ビルの建設工事が進んでいました。
いいシンボルだった大階段が消えたのは寂しいですが、当初計画通りの規模の駅になるのは喜ばしいことです。同じ九州新幹線のJR久留米駅も、早く当初構想の規模の駅ビルになってくれたらなあ…と思います。
バスで鹿児島本港高速船ターミナルへ。三島(みしま)、十島(としま)への離島航路は、少し離れた船着き場から発着します。
高速船乗り場付近から見た、8時49分頃の穏やかな桜島は…
三島方面への船着き場に着いた9時05分頃には、噴火を起こしていました。
まさに活火山。自然の驚異と、それを承知で隣り合わせて暮らす鹿児島市という土地の気概に、改めて感じ入る光景でした。
三島方面の村営フェリー「みしま」に乗り込みます。通常は週に2~3便が出る航路なのですが、この11月末は十島方面の「としま」がドック入りのため、助っ人に十島航路へ「みしま」が就航しています。
そのため三島航路は週一回の運航。しかも黒島への宗教団体さんの乗船のため、2等船室はかなりの混雑になりました。
前回と同じくテープで結ばれたまま、定刻に出航。
テープが切れた後も、大きな手で見送ってくれました。
前回は離島への転校プログラム「しおかぜ留学」へ出発する子どもの見送りで、多くの親御さんが集まっていましたが、今回はそういうわけでもなさそう。毎回見られる、見送り風景なのでしょうか。
鹿児島から南へ向かう離島航路はまず、波穏やかな錦江湾を1時間強、航行します。段々と小さくなっていく桜島や、大隅半島の風力発電、開聞岳など、見どころは多いエリアです。
種子島航路の高速船「トッピー」が、勢いよく追い抜いて行きました。
円錐型の開聞岳は、船が進んで見る角度が変わっても、同じ形です。
移り変わる風景が楽しくて、少し肌寒い天気でしたが、結局ずっとデッキで過ごしました。
外洋に出ると、遠く水平線上に島影が見えてきました。高い山影から最初は屋久島かと思っていましたが、地図と照らし合わせると、どうやら目的地の硫黄島のようです。
前回は曇りの天気だったので、外洋に出ると見るべき景色もなかったのですが、晴れだと本土と三島村は有視界圏内でした。
鹿児島本港出航から3時間、12時30分に竹島へ寄港。その名の通り、台地上は竹で覆われた島です。
晴れだと海の色も、より鮮やかに。港の深い底まで見通せるほどの透明感です。
1週間ぶりの船に、出迎えの光景があちこちで見られます。
そして降ろされたコンテナからは、ごっそり生活物資が取り出され、島の人々の車に乗せられていきました。
フォークリフトを使って、続々と降ろされるプレカットされた木材。家一軒を新築するようです。
竹島を出航すると、硫黄岳はもうすぐそこ。噴煙を上げる、勇壮な姿で出迎えてくれます。
フェリーみしまはシーズンによって枕崎から乗ることもできますが、硫黄岳が正面から出迎えてくれるのは鹿児島発のみ。せめて往路だけは、鹿児島から乗りたいものです。
前回訪問時は雲天で、麓しか姿を見せてくれなかった硫黄岳。
絶海に浮かぶ雄姿を見られただけでも、はるばる来た甲斐がありました。
茶色に染まる硫黄島の波止場に入ります。土石流が流れ込んだわけではなく、海底から湧き出る硫黄によって、こんな海の色になっているのです。
硫黄分は海面に固まっているので、スクリューでかき回された船の軌跡は、普通の海の色になっています。
硫黄島の温かさは、フェリー到着の際はどんな時でも歓迎の意を表してくれること。
今回も、横断幕とジャンベのリズムで出迎えてくれました。
宿は、港の目の前の「島宿ほんだ」さんへ。
バスもタクシーもない硫黄島にはレンタカーもありませんが、島の宿では車を貸してくれるところがあります。ほんださんでも、ワンボックスカーを5,000円/1泊で貸してくれました。
前回は徒歩のため、行ける範囲も限られましたが、今回はもう少し島の奥まで行ってみたいと思います。
島で2軒の商店、そして島では数台しかない自販機。前回は陳列棚そのものがガラガラでしたが、ずいぶん充実していました。
飲み物を買い込んで、いざ出発!
まずは体験型宿泊施設、冒険ランドいおうじまを見学しました。よく手入れされた芝、清掃の行き届いた施設。鹿児島郡にありながら、鹿児島市が運営する体験学習施設です。
管理室の扉に手を掛けてみれば、ガラッ。しかし中は無人でした。まず家に鍵をかけることがないという硫黄島、鹿児島市の施設といえども「島の常識」が通用します。
峠を越えて、島の北側へ。大谷(うーたん)海岸への入口の目印を見つけました。海岸には大谷温泉があると島のガイドマップに書いてあったので、さっそく駐車して海岸を目指します。
ダートは途切れ、木の橋を渡り、岩を越えて海岸に出ましたが、ナニモナイ…引き潮の時のみ、海岸に沸く温泉を楽しめる海岸とかで、潮が満ちていればただの海岸なのでした。
海の向こうには開聞岳がそびえます。
さらに島の北へと進み、平家城跡へ。見降ろす海岸は、乳白色のグラデーションに染まっていました。
海底から沸く硫黄分の影響ですが、茶色の港とはまた違った不思議さを感じます。
歌舞伎の上演記念像。
帰路には、坂本温泉にも立ち寄りました。前回は港から1時間以上かけ歩いてきた温泉で、フナムシの大群に圧倒されつつ入浴した思い出があります。
とりあえず足だけ浸かって、次なる目的地へ。
再び峠を越えて、島の東側へと抜けて行きます。目の前には、硫黄岳がそびえます。
以前は硫黄岳の近くまで行けたようですが、現在は火山性ガスの影響から、登山道の入口で通行止めになっているのが残念でした。
東海岸の入口に車を止め、海岸沿いの歩道を歩いていきます。
夕方4時、岩場はオレンジ色に染まりつつありました。
たどり着いた海岸の秘湯、東温泉。さっそく服を脱いで、飛び込みました!夕暮れを眺めながらの温泉は、極楽、極楽。2度と言わず、何度でも訪れたい名湯です。
お湯はびっくりするほどの酸性で、傷やひげそり跡がヒリヒリします。しかし肌への効果はテキメンです。
東温泉にも、日没が訪れようとしていました。でも、まだ間に合う!
車を、島の西海岸の牧場へと走らせると…
まさに、今日の陽よサヨウナラの瞬間。
思っていたよりずっと早いスピードで、大海原へ太陽は沈んでいきました。
恋人岬への橋から、島の集落を見下ろします。
宿に戻れば夕ご飯の時間。離島の宿は、食材調達のむずかしさから食事が質素な所も多いのですが、島宿ほんだのご飯はとにかくウマイ!ご飯が何杯もいけちゃいます。
硫黄島を目指す旅人はタダものではなく、宿の人みんなが顔を合わせる食事の時間は、その素性を知る貴重な機会でもあります。
今回も、国内の全空港を制覇した飛行機大好き関西夫婦(ホントに漫才のようなやり取りでした!)や、悪石島と硫黄島を目指して来られた盛岡の方(世界72ヶ国に訪れた経験の持ち主!)などのツワモノ揃い。旅人を魅了する島です。
食事の合間には、村内限定の焼酎「みしま村」を楽しみ、2次会は波止場でお湯割りをチビチビ。
頭の上には、見たこともないような星と青雲で埋まった空が広がっていました。