昨日で、ようやく2学部の採点が終わりました。残るはもう1つ。
しかし今日は、中級の『信心銘』の講義、明日からは箱根で合宿(という名目の遊び)、というわけで、記事の更新がままなりません。
「自縄自縛」とか「無縄自縛」という言葉があります。
誰も縛っていないのに、自分で自分を縛ってしまう、縛る縄もないのに勝手に縛られていると錯覚している、という意味です。
ブログの更新も習慣化してくると、下手をすると無縄自縛ぎみになります。
論理療法でいう must化(ねばならない化)です。
しかし誰も縛ってないのに自分で自分を縛って苦しむなんてバカげていますから、やめたほうがいいですね。
……というわけで、あくまでも自発的に、できるだけ続けます。
また、私が喜んでいる感想を、みなさんにご紹介または押し付けたいと思います。
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1年 女
仏教の教えというのは私の中で、とても古い考え方だというイメージがあった。
昔の人がすがりついた気休め程度のものだろうと思っていた。
ところが、先生の授業を聞いて驚いた。
仏教の教えは、現代でもとても論理的で納得のできるものだったからだ。
むしろ、進んだ考え方だと思った。
この授業を取らなかったら、この考え方を知らずに生きていたのかと思うとこわくなる。
これからは人を助けることを、もっと素直に自然に行えると思う。
人を助けることは、上の者が下の者に手をさしのべるようなイメージがあった。
しかし、宇宙が自分自身を助けることはごく自然なのだと知った。
私の中では大きな発見だった。
まだ、私のアーラヤ識は自分に執着する心でいっぱいになっているが、少しずつ変えていきたいと思った。
変えていきたいと思えるようになったことが嬉しい。
ありがとうございます。
(コメント:こちらこそ、学んでくれて、有難う。)
1年 男
社会人(成人という意味ではなく、他とのつながりの中に生きる人という意味で)として生きていく中で、様々な苦労をし、仏教を体得していきたいと思っています。
知識として仕込むのは簡単ですが、体得して行動に反映させることはとても難しい。
自然の意識や、他人への意識においてです。
例えば国際“社会”は今、競争が激化し闘争に変化しつつあります。
つながり・調和・一つの社会に生きている地球人、としての意識が薄くなっているのを感じます。
愛国心を持ち、地球も愛し、60億人間全てのために考え、行動する人間になりたいのです。
(コメント:そういう人に私もなりたい。)
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彼らはみんな、「リトル・ブッダ」ならぬ「リトル・ボサツ」になってくれたようです。
心の中で彼らと一緒に「四つの大きな願い」を唱えているイメージを描きました。
「四つの大きな願い」
世界中のみんなを幸せにできたらいいよね。
つまらない悩みはぜんぶなくしたいよね。
いいことはいつまでもずっと学びつづけたいよね。
ほんとに最高にいい人になれるといいよね。
「四弘誓願(しぐせいがん)」
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
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