唯識は希望を生み出す魔法の言葉

2006年01月28日 | 心の教育

 生きる自信の心理学、コスモロジー、唯識-仏教を学ぶと、どうなるのでしょう?

 学んでくれた学生たちのレポート漬けになっています。

 その成果をさらにご紹介させてください。


                    *


  2年 男

 この授業を受けるまでは、自己中心的な考え方や損得の考えで生きていて自分が凡夫であることにすら気がつくことができませんでした。

 しかし、話を聞いていると、自分の今での生き方、行いが恥ずかしく思えてきました。そのようなことに気付けただけでも一歩進むことができたのではないかと嬉しく思います。

ありがとうございました。


 (コメント:凡夫であるという自覚は、もう凡夫を抜け出しはじめたということです。すばらしい! さらに一歩を進めよう。)


  1年 男

 私がこの講義を受ける前は、全てのものがつながっている、私に生きている意味があるのか? などとは考えたこともなかったです。

 私は正直、私だけが楽しめればそれでOKであるという、自己中心的な人間でした。

 なぜ生きているのかと問われても、決して答えられなかったでしょう。

 しかし、先生の講義を受けるにつれ、その自己中心的な思考はどんどん変化してきました。

 自分には生きている意味があり、それを放棄したら、私の親が、祖母が……となるのです。

 大地や宇宙に助けられながら、自分中心的な発言、行動ばかりをしてていいのだろうか?……と、そのように考え方が変化してきました。

 先生の講義を受けていなければ、自己中心的な人間のままであったでしょう。

 この1年で学んだ先生の講義は、私を変化させました。

 この考え方を、多くの人に教えていきたいと思います。

 ありがとうございました。


 (コメント:人生は、自己中心をやめるとかえって、自己の生きている意味がわかってくる、という不思議な――よく考えると当たり前の――構造になっているんですね。生きている意味がわかって、おめでとう! 私もとてもうれしいです。このメッセージ、たくさんの人に伝えていきましょう。)


  3年 女

 人間であるということは、仏になれる可能性があると大乗仏教は語ってきました。

 私はそれは、絶望と孤独とかいった人間のさびしさから救ってくれる、魔法の言葉だと思います。

 そして唯識を学び、理解して、納得していことで、仏になるということ徐々に確信していくのだと思いました。

 唯識の言葉を理論として学ぶことは、私たちの生活面からいうとほんのささいな、小さいことだと思います。

 私は、六波羅蜜全体を体験することが、唯識に染まること、人間の成熟の依りどころ・原因なのだと思います。

 だから、私たちはもっともっと唯識な知識や思想を学んでいくべきだと思いました。

 (コメント:おかげで、すばらしいメッセージ・コピーができました。「唯識は希望を生み出す魔法の言葉、私たちをさびしさから救ってくれる」。有難う。もっともっと、一緒に学んでいきましょう。)


  3年 女

 前期から、私はこの授業にとても興味を持っています。

 今あるすべてのものもともと一つで、だからこそ家族、友達、恋人、自然、人間以外のすべての生き物が今はとても大切に思えるようになりました。

 何に取り組むにしても前向きに、今の自分が存在していることがうれしく思えるようになりました。

 後期で学習した唯識においても、基本は前期のコスモロジー論と同じであって、一段と生きる力が湧いてきました。

 私は塾の講師のアルバイトをしています。

 その中で、先生にこの一年を通して教えていただいた「すべてはつながっている、私たちは宇宙の子」を、私なりですが理解をし、考えて生徒たちに伝えました。

 みんな真剣に聞いてくれ、私と同じように生きる力を自分の中に見つけ出してくれました。

 ○○大学に入学し、一番出会えてよかったと思う授業でした。

 ありがとうございました。

 (コメント:希望を生み出す「魔法の言葉」を聞いたら、どんどんリレーをしていきたくなりますね。社会に希望を広げるお手伝いをしてくれて、ほんとうに有難う。)


                    *


 これから合宿に行ってきます(温泉、楽しみだなあ)。

 今回行けなかった、あるいはお誘いしなかった仲間のみなさん、ごめんなさい。

 次回こそ、一緒に行きたいですね。

 まだ仲間に入っていないみなさん、よかったら入りませんか。楽しいですよ。


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コメント (1)
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