随煩悩2-3:怒りはコントロールできる

2006年04月09日 | メンタル・ヘルス

 怒りも含む随煩悩はすべて、それがまぎれもなく煩悩であることにしっかりと気づくと(意識上の智慧)、(完全にではないにしても)かなり鎮まり、コントロールできるようになります。

 みなさんは、心穏やかな時と腹を立てている時と、どちらが気持ちがいいでしょう?

 「そんなこと当たり前だろう」と言わないでください。

 当たり前のようなことがしっかりわかっているかどうかが大切なのです。

 腹を立てている時は、たいてい不愉快です。

 怒りを爆発させて、その時だけはせいせいした気分になることはありますが。

 ここでは、腹を立てて当然(だと私が思っている)かどうかは置いておきましょう。

 当然だろうと不当だろうと、(たいていの場合)不愉快であることは確かです。

 さて、不愉快なのは誰でしょう?

 直接怒りを相手にぶつける場合は、もちろん相手も不愉快でしょうが、私も不愉快です。

 まして相手はもう目の前にいないのに怒っている場合は、不愉快なのは相手ではなく私です。

 私が腹を立てていると知っていれば、相手も少しは気になるかもしれませんが、私ほど不愉快ではないでしょうし、まして知らなければ、全然不愉快ではありません。

 よく考えると、腹を立てるとまず私が不愉快になりますし、比較しても私の不愉快のほうがどうも大きそうですね。

 さて、みなさんは、愉快なのと不愉快なのとどちらがお好きですか?

 愉快な気分でいるのと不愉快な気分でいるのと、どちらが得だと思いますか?

 言うまでもないようですが、はっきりと言って気づいたほうがいいのです。

 気づかないと変われませんが、気づいたら変われるからです。

 愉快なほうが好きで、得だと思いますよね?

 不愉快なのは嫌いで、損ですよね?

 ならば、どうして好きで得なほうを選ばないんですか?

 当然だろうと不当だろうと、とにかく腹を立てたら私は不愉快になり、そういう意味で損をする、んですよね。

 どうして、不愉快で損な気分を選ぶんでしょう?

 「そんなこと言ったってえ」という声がここでありそうですね。

 でも、お話ししたことを、どうぞよく考えてみてください。

 よく考えて、腹を立てたら誰よりもまず〈自分〉が損をするんだということに、しっかりと――ぼんやり、あいまいにではだめです――気づいたら、かなり怒りをコントロールすることができるようになります。

 自分に損をさせ、煩わせ悩ませるようなこと=煩悩は、コントロールしておいたほうが得ですよね。

 (私の場合は、そうでした。腹が立ちそうな場面でも、瞬間的に「ここで腹を立てたら自分が損をする」「損したいのか?」とセルフ・トークできるようになってから、腹を立てることがかなり少なくなりました。)

 これは、自分の損得勘定に過剰に敏感なマナ識を逆手に取るやり方です。


 前回もご紹介しましたが、さらに詳しいことは拙著『唯識と論理療法』(佼成出版社)をご覧ください。

 特に怒りについては、エリス『怒りをコントロールできる人、できない人―理性感情行動療法(REBT)による怒りの解決法』(金子書房)が参考になると思います。


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コメント (5)
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