随煩悩13:のぼせたり落ち込んだり動揺する心

2006年04月23日 | メンタル・ヘルス

 掉挙(じょうこ)・のぼせと惛沈(こんじん)・落ち込みは対になった随煩悩です。

 私たちは、自分に都合よくいっている時には、周りが不幸かどうか関係なく、のぼせていい気になり、ルンルンしてしまいます。

 自分に都合が悪いことがあると、自分だけが世界でいちばん不幸なような気がしてきて、落ち込んでしまいます。

 どちらにしても「自分」の都合が原因です。

 その場合、落ち込みが煩悩であることは、誰にでも納得できるでしょう。

 落ち込みが、「軽うつ」、「うつ」という状態にまでなってしまえば、言うまでもなく「心の病」で、深刻な煩悩です。

(補足的コメントですが、うつは「心」の病だと言っても、脳生理の面も大きく、今では非常にいい薬が出来ていますので、治療としては、薬物療法と心理療法を併用するやり方がいいようです。大野裕『うつを治す』PHP新書、参照)

 そして、人によって程度の差や、どちらが多めかという違いはありますが、たいてい誰でも、日々、のぼせと落ち込みの感情の間を行ったり来たり、動揺しているのではないでしょうか。

 感情の大きな浮き沈みが煩悩であるということも、納得できるでしょう。

 のぼせっぱなし、いい気になりっぱなしということができるのなら、のぼせは、人迷惑ではあっても、自分にとっては煩悩ではないように思えるかもしれませんが、そういう幸福な――あるいはおめでたい――人はごく少ないのではないでしょうか(皆無ではないとしても)。

 ここでは、例外的なハッピーな人のことは置いておきます。

 私たちが、自分(の都合)を中心にして生きているかぎり、人生には落ち込む種はいっぱいありますし(四苦八苦)、時々はいいことがあるにしても、のぼせと落ち込みの浮き沈みは避けられません。

 もちろん適度な上下なら人生の味わいですが、過剰な浮き沈みは煩悩です。

 落ち込みや過剰な浮き沈みという感情に悩まされている人の薬は、知恵から生れる「平静さ」です。

 この「平静さ」というのは、心理学的に言えば、退屈で平坦な無感情・無感動のことではなく、適度でゆるやかな上下のリズムのある、ややハイ気味の、爽やかな状態が持続していることだと思います。

 そういう平静さを得る方法としては、論理療法、コスモス・セラピー、それからもちろん唯識と坐禅などをお勧めします。

 いずれも、私の主宰するサングラハ教育・心理研究所で随時講座を開いています。



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コメント (4)
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