シンポジウム:日本を〈緑の福祉国家〉にしたい! 広報1

2006年05月17日 | 持続可能な社会




 今日は、シンポジウム「日本を〈緑の福祉国家〉にしたい!(仮題)」の広報の意味で、書き終えたばかりの『サングラハ』の「近況と所感」の一部を刊行に先立って掲載することにしました。

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 今年度は、学生だけでなく教師の方ともとても不思議な出会いがありました。

 前号でもご紹介した『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)の小澤徳太郎先生との出会いです。

 私がその本をブログで紹介したら、教え子の一人がそれを読んで、今年法政社会学部に小澤先生が非常勤で環境論の授業に来られることを知らせてくれました。

 お会いして話をしたいと思っていたので、「これは何というタイミングだろう。大学へ行ったら連絡先を聞こう」と喜んでいて、最初の授業に行って終わって講師室に帰ると、なんと、事務の方が小澤先生の名刺と伝言を伝えてくれたのです。

 その教え子が小澤先生の授業に出て、終わって話に行き、私の紹介で小澤先生の本を読み始めていると伝えたのだそうです。

 先生は、「スウェーデンはどうでもいい。日本をなんとかしたいのだ」と言っておられたそうで、どうも本気の人のようでした。行動の速さはその本気さの表われのようです。

 早速連絡を取って、次回の私の授業の後でお目にかかることになりました。ところが、小澤先生は、私の「自然成長型文明に向けて」もHPを検索してすでに読んでくださっており、さらにその日は早めに来て、なんと私の授業を聞いて下さったのです。

 終わってからうかがうと、授業を聞いた結果、持っていた疑問がほとんど解消したとのことでした。そして、環境に関する見解がほぼ一致していることも確認できました。

 その日は、お互いに次の予定があって時間が足りなかったのでもう一度会うことになり、次にお会いした時には、徹底的に合意点を確認することができました。

 そこで、「日本を〈緑の福祉国家〉にしたい!(仮題)」というシンポジウムを提案したところ、全面的に参加・協力していただけることになりました。

 本誌に連載してくださっている前国立環境研究所所長の大井玄先生にも加わっていただいて、これまでの環境論、環境運動に足りなかったところをはっきりさせ、これからの日本と世界がどこに向かったらいいのか、明快な方向指示になる共同提案をしようということで、完全に意思一致ができました。

 今後、本誌でもやや詳しく論じていくつもりですが、まず三者の合意点を簡略にお伝えしておきます(先日、大井先生ともしっかり確認をしました)。

①エネルギーの無制限な消費を続けることは地球環境そのものの限界からして不可能である(しかしエネルギーの浪費をしなくても、環境・福祉・経済のバランスを取ることが可能であることはスウェーデンで実証されつつある)。

②(スウェーデンが典型的であるように)環境問題の根本的な解決には政治・政府主導の方向付けが必要である。

③本当に環境・福祉・経済のバランスの取れた〈緑の福祉国家〉を実現するには、それを可能にする国民の文化、指導者の資質という心の問題を視野に入れることが不可欠である。

 まず、夢のエネルギー技術ができたら、無限にエネルギー消費を続けるような経済の拡大もそのままできる、ということは、廃熱―熱汚染ということを考えるとまったく不可能です。

 そのことに気づいていない、技術によって環境問題がすべて解決できるかのような主張に対しては、ここではっきりノーを言った上で、しかし、環境・福祉・経済のバランスの取れた社会の質的成長は可能であることをスウェーデンは実証しつつあることの事実認識を共有していきたいと思います。

 それから、環境問題という大きな問題は、個々人ができることからすることによっては解決できません。

 一国の経済システムそのものの方向転換は、政治・政府の強力な方向づけなしには実現しないでしょう。逆に言うと、スウェーデンは、政府の方向づけがあれば実現しそうな実例です。

 日本人もここで政治アレルギーを克服して、持続可能な社会を構築できる、政権担当能力のある政治勢力を創出する必要があると思われます。

 そういう政治勢力を創出するには、そういうヴィジョンと能力のある政治的指導者が必要です。

 その指導者は、権力そのものを自己目的としてしまうことのないような、高い人間的資質を持っている必要があります。

 そして、そういう指導者が生まれ選出されるには、そういう質の高い国民文化が必要です。

 そして、ここからはまだ討論―合意の過程を踏んでいない私の意見ですが、岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』(岩波新書)などを見ると、スウェーデンはきわめて賢明な指導者を次々に生み出す国のようです。

 同書に描かれている、スウェーデンの政治家たちの柔軟で実際的でありながら、時間をかけて確実にヴィジョンを実現していく政治力には驚いてしまいます。

 しかも、「スウェーデンは長期政権にありがちな政治腐敗の定期的噴出・腐敗の構造化という事態を慎重に回避してきた。そのために、権力が自ら、定期的にその構造を徹底的に分析・調査してきた。権力の自虐的とも言える自己省察は感動的でもある。権力が自らの既得権を調査の対象にするという行為は、デモクラシー成熟の条件であるかもしれない。」(同書137頁)というのです。

 「権力は必ず腐敗する」という言葉がありますが、驚くべきことに、ほとんど腐敗しない権力も実在するようです。「自浄能力のある権力」というのが現実にあるのです。

 こうしたスウェーデンの実例からすると、日本の良識的な人の多くが無意識にもっている――私ももっていました――「権力(政治)は汚い。だから、権力(政治)に近づくと自分も汚れる。だから、汚れないためには、権力(政治)には手を出してはいけない」という思い込みは、日本の政界の現状を見ただけの「過度の一般化」であったということが言えそうです。

 岡沢氏の語るスウェーデンの政治の姿が、理想化・美化されたものでなく、おおむね事実だとしたら(どこまで事実かこれから自分で確かめていきたいと思っていますが)、その事実をしっかり認識することが日本人の政治アレルギーへのきわめて有効な解毒剤・治療薬になるのではないか、と私は期待しているところです。

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 つい最近の授業の後、話しにきた学生にシンポジウムの話をしたら、日本の良識的な人(学生)の典型的な反応をしました。

 〔そういう政治的な運動をすることは〕「危なくないですか?」と。

 私は、「放っておいてこのまま環境が悪化していくことの危なさと、運動をすることの危なさの、どちらがより危ないと思うかい? 運動しないでおいたら、自動的に環境はよくなるのかな? 今の政府がちゃんとよくしてくれているのかな?政治の主導権を取ることを考えない市民運動をすることで、全体の環境はよくなってきたのかな?」と問うと、その学生はポイントに気づいてくれたようです。

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 確認しておくと、かつても今後も、サングラハでは直接政治運動をするつもりはありません。

 しかし何よりもまず、現代において「本当によりよい社会とはどういう社会か」、「そういうよりよい社会を創出できるよりよい指導者とはどういう人間か」ということを明らかにしたいと思うのです。

 そのことを通じて、政治も含めあらゆる分野のすぐれた指導者を育てたいと思っています。

 それは、創設以来変わることのない、サングラハの目標です。

 心のことを重要視してきましたが、決して、ただ心のことだけをやっているのではないのです。

 この秋(日程はほぼ11月19日(日)で決まると思います)、予定しているシンポジウム「日本を〈緑の福祉国家〉にしたい!」も、それ自体を政治運動や政治集団へと展開していくつもりはありませんが、そこで示された方向を刺激―ヒント―指針とした新しい政治運動や政治家が育つことは期待しています。

 何度もお話ししていますが、一つのモデルは松下村塾です。

 ある方向性をもった学びの集まりですから、ある意味で思想運動だということはできるでしょう。

 しかしこれも何度でも繰り返す必要があると思いますが、決して参加者に何かを強制することのない、まったくの自発性と合意に基づいて学びの共有を目指す運動なのです。

 私たちの時代の大きな危険を放置したくない方、よかったらコミットして下さい(ということは、よくなかったら、いつでも自由に去っていただいてかまいません、ということです)。

 みなさんのご支援とご参加を心からお願いします。


*以上の記事を、自由にリンクしたり、コピー、引用して広報に協力したいただけると幸いです。


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コメント (6)
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