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奈良東大寺戒壇院
「菩薩のためのリハビリ・メニュー その2」は、戒律を守る・保持すること、「持戒(じかい)」です。
この言葉を聞いただけで、「堅苦しそう」、「めんどくさそう」と思う方もおられるでしょう。
私も含め戦後の日本人は、自由、というより自分の好きなようにすることがいいことだという思い込みが強く、「戒律を守る」なんていう言葉はほとんど死語になっています。
そこで、仏教でいわれている戒律の内容の説明に入る前に、「戒」についての考え方そのものについて一言コメントをしておきたいと思います。
重い病気になった場合、いろいろなことに「だるくて、めんどくさくて、何もしたくない。放っておいて、寝かせといてくれ。もういい。いろいろするくらいなら、死んだほうがましだ」という気分になることがあるようです。
そういう気分になるのはよくわかります。
しかし、いろいろ治療をしないでいると、よくなるのならいいんですが、よくなりません。
ちっとも「もういい」なんてことはないんです。
どんどん悪くなります。
すんなり死ぬのなら楽になるかもしれませんが、たいてい死ぬ前にもっと悪くなって苦しみますから、ちっとも「まし」なんかではありませんね。
よくなったほうがいいに決まっています。
よくなるためには、やるべきことはやらなければなりません(←条件付mustですね)。
やるべきでないことは、やってはいけません。
その場合、よくなるのは誰でしょう?
医者ですか、患者ですか?
そう、患者さんご本人ですね。
自分のために、やるべきことをやり、やるべきではないことはやらない、というのは、これは誰かに強制・束縛されることでしょうか?
そうではありませんね。自分で自分をコントロールすることですね。
それは、他律ではなく自律です。
自分のために自分を律する、自分のために治療に必要な規則を守るわけです。
それに似て、「持戒」というのは自分の心の健康回復-成長のためにすることですから、自分で納得して自分のために自分に戒律を課すこと、つまり「自戒」なのです。
「持戒」は「自戒」で、自分のためです。
「不放逸」と「不誠実、怠惰、好き勝手な心」の記事で、私たちはマナ識と非論理的な考え方のせいで、目先、自分が楽をすること、自分の楽しいことをすること、自分の好きなように、自分勝手にすることがいいことだと思いがちだという話をしました。
でも、よく考えたら、それは違うんでしたね。
もう1つ、譬え話を。
また金メダルの話ですが、金メダルを目指す選手は、毎日、どういう生活をしているんでしょう。
好きなように食べ、好きなように寝、好きなように夜更かしをし、めんどくさいことはなるべくやらないようにし……というふうにしているわけはありませんね。
筋肉トレーニング、ウェイト・コントロール、メンタル・トレーニングにいたるまで、できること=やるべきことは何でも精一杯やります。
そういう人たちが口をそろえていうことは、「自分に勝つ」ということです。
怠けたい、楽をしたい、好き勝手をしたい自分に、向上したい、金メダルを取りたい、世界記録を出したい自分が勝つんですね。
目標のために自分で自分をコントロールする、セルフ・コントロールすなわち「自律・自戒」が「持戒」の基本です。
もちろん仏教では、「戒師」から「授戒」されるのですが、それはトレーナーからトレーニング・メニューを提案されるようなものだと考えればいいでしょう。
他から提示されたメニューを自分のために受け容れて実行するということです。
「持戒」の基本的な意味がわかってから、私も「持戒・自戒」の努力をする気になりました(といっても、伝統的な仏教の戒律を授かって保つということをしているわけではありませんが)。
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