『ニルスのふしぎな旅』(偕成社)の第4巻の最後の「解説」によると、日本では長い間、部分訳しか紹介されず、全訳が出たのは奥付を見ると1982年の末です。
昔読んで『ニルス…』の地理教育-環境教育の面を読み取れなかったのは、私が子どもで理解力が足りなかったというだけの理由ではないようです。
日本の児童文学の水準ということもあるのではないでしょうか。
日本の子どもたちには面白くない、わからないと訳者が思った部分は省略されたりしたのです。
しかし、それは児童文学者にとって面白くない、わからないだけだったのかもしれないと思ったりします。
例えば第3巻に、山火事で森が焼け雨や風で腐植土が失われつつあり荒れていた山に、子どもたちが木を植える話があります。
そこには、こんなことが書かれています。
*
子どもたちは苗を植えながら、もっともらしい顔をして
「ぼくたちの植えた小さな苗木が、腐植土を風に飛ばされないようにおさえることになるだろうね」
などと、お互いに話しあっていた。そればかりではなく、そのうち木の下には新しく腐植土ができるだろう。その新しい腐植土のなかに種がおちて、何年かたつと、いまはなにもはえていない、このはだか山でも、エゾイチゴやブルーベリーもとれるようになるだろう。それから、はえた苗木は、そのうち高い木になるだろう。大きな家や、りっぱな船をつくれる材木にもなるだろう……。
山はだの割れめに、まだすこしでも土がのこっているあいだに、子どもたちがここにやってきて苗木を植えなかったら、腐植土は雨水にみんなさらわれてしまって、山はもう、どんなことをしても森などしげれなくなってしまったろう。
「ぼくたちがここにきて、ほんとうによかったね。もうすこしおそかったら、もうだめだったよ。」
子どもたちはそういって、自分たちのすることは、とてもたいせつなことだと思った。
……
この仕事はちょうど、つぎの時代の人たちのための記念碑のようなものである。そのままにしておいたら、つぎの時代の人たちにはげ山だけをのこすことになるのだが、こんどはりっぱな森を残すことができるのである。そして、のちの世の人たちは、祖先がりっぱな考え深い人たちであったと知って、ありがたく思い、尊敬するだろう。
*
ここには、自然と人間、そして先祖と子孫の、「いのちのつながり」を伝えようという作者の願いがはっきりと示されています。
そして面白いかわかるかといった余計な気づかいせず、子どもたちに向かってストレートに、ただ今(の時代)の自分(たち)だけのために生きるのではなく、子孫のために大切なものを残して、感謝され尊敬される先祖になることこそ、ほんとうに生きるということなのだ、というメッセージ・教訓を語っています。
(もちろん全体は圧倒的に面白く、感動があるので、こういった個所も読ませてしまうという作者の文学的力量の問題はあるでしょう。)
こうしたメッセージ・教訓は、戦後日本の大人が子どもに語ることを忘れてしまった、自分自身も忘れてしまったものではないでしょうか。
しかし、今私たちは、まず自分が思い出し、子どもにも伝える必要があると思います。
私たちは先祖のいのちを受け継いだ子孫であり、やがて次の世代の先祖になるのだ、ということを再確認しましょう。
もうすこしおそくなって、もうだめになる前に、子孫たちにいのちを伝え、いのちの場・環境を安全なものにもどして引き継ぐ、いいご先祖さまになりたいものです。
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