少しずつ読むつもりだった『摩訶般若波羅蜜経』が面白くて、今日も大学の行き帰りの電車の中でずっと読みふけってしまいました。
そろそろ、またスウェーデンものに帰ったほうがいいんですけどね……
今日、心に残ったのは、次の言葉でした。これは、漢文書き下しのままでもわかる文章なので、そのまま引用しておきます。
「般若波羅蜜は諸(もろもろ)の三昧(さんまい)に異ならず、諸の三昧は、般若波羅蜜に異ならず、菩薩は般若波羅蜜及び三昧に異ならず、般若波羅蜜及び三昧は、菩薩に異ならず、般若波羅蜜は是れ三昧、三昧は即ち是れ般若波羅蜜、菩薩は即ちこれ般若波羅蜜及び三昧、般若波羅蜜及び三昧は即ち是れ菩薩なればなり。」(相行品第十)
ものごとをばらばらに見てしまう分別知に対して、すべてを一体であり空であると見る智慧を般若といいます。そして、その智慧に到る修行が般若波羅蜜であり三昧なのですが、菩薩(求道者)は徹底的に般若波羅蜜および三昧と一体であってこそ菩薩なのだ、というのです。
こうした句を読んでいると、大乗仏教で語られる「般若」や「空」といったコンセプトは、単なる哲学的な理念・概念・観念ではなく、徹底的に実践-体験に裏付けられたものであることが、はっきりとわかります。
般若・空の智慧を得たかったら、三昧・瞑想を行なうこと。三昧・瞑想のない般若や空の話は、『摩訶般若波羅蜜経』の語っている大乗の菩薩のものとしての般若・空ではない、ということでしょう。
美しい秋の山を味わいたかったら、山の本を読んでいるだけでなく、実際に山の見えるところまで行くこと、できれば自分の足で登ること。
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