ゴータマ・ブッダの弟子たちの言葉を記した『テーラーガータ』というお経があります。
そのなかに、こんな言葉がありました。
「きらめく星の花環は、さしあたって〔われわれが〕眠るためにあるのではない。こうした夜は、識見ある人がめざめて努めるためにあるのである」
美しくて深い言葉です。
夜の坐禅を「夜坐(やざ)」といいますが、古代インドの修行者たちの夜坐は禅堂の中や僧堂の縁側などではなく、まったくの野外で行なわれたそうです。
他に明かりなどまったくない深い闇の上には、数え切れない星々がきらめいていたのです。
そのかすかな星明りをたよりに、修行者たちは、お互いに離れて思い思いの場所に一人で行き、深く深く禅定に入っていきます。
夜が更ければ更けるほど、禅定も深まっていったことでしょう。
夜空の星も冴えわたり、修行者の心も冴えわたっていきます。
私もワークショップの時に行なったりするのですが、満天の降るような星空の下で、夜遅くまで瞑想に耽っていると、心の中がいいようもなく爽やかで透明になっていきます(時には妄想が湧いてくるだけの時もありますけどね)。
そういう自然の中に行けなくて家の中にいる時には、今坐っている自分の頭上にも実は銀河がきらめているのだ、というイメージ瞑想をすることがあります。
そういう瞑想法を私は、「銀河瞑想」と呼んでいます。
銀河瞑想をしたりていると、ふと、「坐禅は大安楽の法門」という言葉を思い出すことがあります。それもまた、雑念の一種ではありますが。
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