空と仏とすべてのものと

2006年12月29日 | 心の教育

 昨夜、ブログ記事を書いた後と今朝、『摩訶般若波羅蜜経』の第83~90品まですべて読み終えました。

 拙著『よくわかる般若心経』(PHP文庫)では、「筆者がいまのところわかった範囲では、『空』も『仏』も『全体』もほぼおなじことをいい表わそうとしている言葉だといっていいと思うんですが……」と書きました。

 しかし正直なところ、研究書などを読んでわかった範囲だったので、「そんなこと、お経のどこに書いてあるんだ」と聞かれるとちょっと困る状態でした。

 その証拠・典拠探しという意味もあって、『摩訶般若波羅蜜経』全部を読んでおきたいと思ったわけです。

 読んでみると、ちゃんとどこに書いてあるか把握できました。

 まさにそのとおりのことが書いてある個所が、なんと、最後の1つ前の「法尚品(ほうしょうぼん)第八十九」というところにあったのです。

 諸法如は即ち是れ仏なればなり。……空は即ち是れ仏なればなり。……諸仏如と諸法如は一如にして分別なし。……是の如は常一にして無二無三なり。(法尚品第八十九)

 もろもろすべての存在のあるがまま(の姿)は仏なのである。……空はすなわち仏なのである。……もろもろの仏のあるがままともろもろの存在のあるがままは一つのあるがままであって分離していない。……このあるがままは永遠に一であって二や三はない。

 文献はちゃんと最後まで読むものです。

 これで、読者にいいかげんなことを言っていなかったことがはっきりして、内心ほっとしました。

 しかも「ほぼおなじこと」ではなく、「まったくおなじこと」だと捉えてまちがいないことがはっきりしました。

 これですっきりして、後は床のワックスかけやパンフレットの発送や部屋の片付けなどを、雑務ではなく作務(さむ)――日常の細々としたことも大切な務めをすることとして行なうという禅の考え方――の気持ちで行なうことができました。

 夜は、とても美味しい濁り酒をお猪口に2杯ですっかりいい気分になりました。

 いい暮を過ごすことができて、本当に感謝です。




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コメント (3)
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