コスモロジーへの典型的な反応 1

2007年07月22日 | メンタル・ヘルス

 今日もレポート採点に明け暮れました。

 運動不足にならないように、合間にスクワットをしたり、腕立てをしたりしながら、でもほとんどデスクの前でした。

 1つ典型的な感想があったので、ご紹介したいと思います。

 社会学部2年生の男子学生のものです。


 私はこの授業を受けるまで間違いなく「ニヒリズム」と「エゴイズム」におちいっていたと思う。最初の講義での先生の「死んだらどうなると思いますか」という質問の時も、私は「死んだら無になると思う」に手を挙げた。その頃の私は、先生がおっしゃっていたように、死んだら無になってしまうのだから、今私が生きている事に意味はあるのか?とか、私とはいったい何なのだろうと思う事がよくあった。また死んで無になるというのは、やはり孤独のようなものなのだろうか?とも思った。

 しかし、この講義を受けて私の人生感は変わった。私の命には、価値があると思えるようになった。それに「死」というものの見方も変わったと思う。「死」とは、ただ元にあった所に帰るだけの事なのだ。それは、誰でも同じ所にかえるという事。つまり死は孤独ではないという事だ、と思うようになった。

 この講義では、興味深い事をたくさん知る事ができた。特に、私たちの体を構成している原子は、百五十億年も昔にできたものであるという話と、物はエネルギーに転換しうるという話だ。

 どちらの話も、科学的に確かな事なのであるが、私が今まで学んできた科学では、全くそんな事は教わらなかったので衝撃的だった。しかし納得のできる話だった。いい話を聞けたと思う。


 現代科学の定説をベースにして宇宙の始まりから私までを語るコスモロジー――の1つの解釈=「大きな物語」――は、若者の多くがおちいって、時には心の病(例えばうつ)にまで到るニヒリズムを克服することができる――場合が多い――ことは確かです。

 「科学的に確か」で、しかし「今まで学んできた科学では、全くそんな事は教わら」ず、「しかし納得のできる話」で、「いい話」で、「私の命には、価値があると思えるようになった」としたら、これはきわめてすぐれたセラピー的教育、教育的セラピーと自負していいのではないでしょうか。

 ぜひ、多くの若者のために多くの方に使っていただきたいと願わずにはいられません。



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