シビアな社会の中で優しくあり続けるためには

2009年07月15日 | メンタル・ヘルス

*今日、O大のチャペル・アワーの講話をしてきました。純粋な、優しい心をもった若者が学校を出て社会に入ると、しばしば折れてしまうのを見てきて、何とか賢く強くなってほしいと思い、現役の学生諸君にメッセージを送りました。100人以上のキリスト教とはこれまでほとんど無縁だったらしい学生諸君が、真剣に耳を傾けてくれました。「残念ですが、今日用事があって出席できないんです。後で、話の要点だけでも教えてもらえませんか」という学生もいたので、原稿を掲載することにしました。




 わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。(マタイによる福音書10・16)


 前回もいいましたが、いうまでもなく聖書はキリスト教の聖典です。

 そのためにキリスト教徒でない学生のみなさんのなかにはしばしば、「聖書はキリスト教徒にとっては意味があるかもしれないが、キリスト教徒でない自分には意味がない」と思っていて、「キリスト教大学で義務だから」と感じながらしかたなく学んでいる人がいるようです。

 しかしちゃんと読んでもらうと、キリスト教徒であるないに関わらず意味のある、よりよい人生のヒントになる言葉がたくさん含まれています。

 せっかくキリスト教大学に来て、キリスト教の授業があるのですから、それを有効利用して、これからの人生のためになるヒントをしっかりと自分のものにしてもらうといいのではないかと思っています。

 さて、今日のこの箇所は、直接的にはイエスが弟子たちを宣教・布教のために外部へ派遣する時の注意の言葉です。

 しかし、基本的にはいつも自分を保護してくれ、少々の失敗など許してくれる家庭や、そこまで優しくはなくてもやはり生徒・学生を大切に育てようという基本姿勢のある学校から、やがてシビアな・厳しい社会に出て行かなければならない学生のみなさんにもヒントになることが語られていると思います。

 話に入る前に注意しておくと、いうまでもなく、「狼」とか「羊」とか「鳩」というのは喩えです。

 特に狼の名誉のためにいっておくと、動物行動学の学者が詳しく観察した本当の狼は人間が勝手に思い込んでいるのよりもはるかに平和な生き物であるようです。

 それはともかくとして、まず社会というのは「狼の群れ」のようなものだといわれています。

 それは、狼はいつも餌・食い物になる生き物を求めているということです。

 そこに「羊」のように優しいけれども弱い生き物が入っていくと、当然ながら「食い物」にされてしまう、というのです。

 もしその肉がまずくて食い物にもならないようだったら、当然見捨てられてしまいます。

 現代の日本社会は、みなさんもおわかりのとおり資本主義社会であり、利益追求が原理であり、利益をめぐって会社同士が闘っている競争社会です。

 そこに入っていく、具体的にいうと就職するということは、ほとんどの場合、利益追求に貢献することを求められるということです。

 (もちろん、多少条件は悪くても、あえて「非利益団体」に就職するという選択肢もないわけではありませんが。)

 基本的に利益追求のために存在している会社がみなさんを雇用する目的は「利益」です。

 残念ながら、みなさんの人格や生活や幸福は最終的目的ではありません。

 比較的社員を大切にしてくれる「いい会社」もありますし、なるべくそういう会社を選んで就職できることを祈りますが、いい会社でも会社の利益に反してまでみなさんを守ってくれるということはないでしょう。

 会社自体、他の会社と利益追求の競争をしていて、生きるか死ぬかの闘いをしているわけで、あなたが会社の利益に貢献するかぎりはいい待遇をしてくれますが、貢献できなくなってもあなたを待遇してあげるという余裕・優しさはあまりありません。

 特にこんな大不況の時代になってくると、ほとんど、まったくといっていいくらいなくなりつつあります。

 そういう意味で、イエスの時代だけでなく現代の日本もとてもシビアな・厳しい社会です。

 イエスは、そういうシビアな社会に入っていくに際しては、純粋で優しくて弱くてというだけではダメだといっています。

 「蛇のよう」な賢さが必要だというのです。

 聖書では「蛇」というのは世界の始めての人間であるアダムとイヴを誘惑して「知恵の木の実」を食べさせ、神から楽園を追放される原因を作ったずる賢い生き物として描かれています。

 イエスという人は、私たちに愛情豊かで純粋で、でも弱い人間になることを求めているという誤解をしている人がいますが、この箇所を読むとまるで違うことがわかります。

 この社会で生き延びるためには、蛇のようにずる賢いくらい賢くあっていい、それどころかそうである必要がある、といってるのです。

 学生のみなさんが仕事について話す場合、よく聞くのは「やりたい仕事」という言葉です。

 確かにどうせやるのならば自分のやりたい仕事であったほうがいいでしょう。

 しかし、そこで多くのみなさんが見落としているのは、雇う側・会社が「やらせたい仕事」は何か、ということです。

 雇う・雇われるという関係では雇う側が圧倒的に主導権をもっていることはいうまでもありません。

 そして、雇うには雇う目的、「やらせたい仕事」があるのです。

 会社がやらせたい仕事をやる人材を求めているのであって、自分のやりたい仕事をやりたい人間を求めているのではありません。

 それはシビアな事実です。

 会社のやらせたい仕事の目的は、基本的に「競争社会にあって競争に勝って利潤をあげること」です。

 そういう会社の「やらせたい仕事」が先で私の「やりたい仕事」はその後、あえていえば、後の後だという、そのシビアな事実をしっかりと認識するのが、賢さの第一歩だ、と思います。

 しかし、それだけではありません。

 会社がやらせたい仕事は何かをしっかりと見極めたうえで、自分のやりたい仕事とどう一致させることができるか、せめて妥協させることができるかをしっかりと見抜くのが、賢さの第二歩だ、と私は思うのです。

 これまた残念なことに、社会は私を中心に・私のために回っているわけでありませんから、必ずしも私の希望と社会の要求は完全には一致しません。

 それどころか、一致しないことのほうが多いようです。

 そのことをシビアに認識して、覚悟して、腹に収めて、どの程度一致させることができるか、せめて妥協できるかをシビアに見極める賢さが、ぜひ必要だと思います。

 しかし聖書の話は、そこで終わりではありません。大事なのはむしろその次です。

 「蛇」のような賢さをもった上で、しかし「鳩」のような素直さ・純粋さ・優しさをもち続けるように、といっているのです。

 鳩は古代ユダヤでも現代日本でも、平和の象徴です。

 平和ということは、ただケンカをしないという消極的なことではありません。むしろ、積極的に協力あるいは連帯していくということです。

 人間の本質は競争やまして闘争にではなく、協力・連帯・愛にある、というのがイエスそしてキリスト教の基本的な主張です。

 そして、イエスやキリスト教がいおうというまいと、事実、人間は、人と競い争っている時には決して心が安らかでなく、幸福ではありません。

 協力しあい連帯し愛しあっている時にこそ、安心感や幸福感を味わうことができるというふうに、もともと出来ているのではないでしょうか。

 強がったり、つっぱったり、すねたり、かっこつけたりしないで、そういう人間の本質を素直に認める必要がある、と思います。

 しかし、ここで分析・解明している時間の余裕がありませんが、さまざまな歴史的・社会的な事情があって、古代のユダヤ社会も現代の日本社会も人間の本質を実現した社会ではなく、むしろ人間の本質には反したような社会です。

 そういう社会の中にあって、人間にとっていちばん大切な素直で優しい心を決して失うことなく、しかもちゃんと生き延びていくには、相当に、ずる賢いくらい賢くある必要があるのですが、その結果、ひたすらずる賢いだけになって、肝心の素直で優しい心を失ってしまっては、いわば本末転倒です。

 意識的に「鳩のように素直でありなさい」「素直で優しくあり続けなさい」とイエスは命令形で語っています。

 そうしないと、たとえ社会での闘いに勝てたとしても、生き残れたとしても、決して人間として本当にいい、クォリティ・質の高い人生を送れないからです。

 クォリティ・オブ・ライフ=人生の質という言葉がありますが、クォリティ・オブ・ライフの高い人生を送りたいのなら、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」というのが聖書の勧めですし、私のみなさんへの勧めでもあります。

 昔々の映画に『カサブランカ』というのがありましたが、その中でハンフリー・ボガードという男っぽくて強い男優の主人公がいう名セリフがあります(*記憶違いを指摘してくださる方がありました。レイモンド・チャンドラー『プレイバック』に出てくるセリフだそうです)。

 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない」。

 私は、それに加えて、現代社会での強さは肉体的・筋肉的強さだけではなく、なによりも「賢さ」という心の強さ・メンタルタフネスであり、そういう強さがなければ生きていけない、けれどももう一方、確かに素直で優しい心を保ち続けなければ、生きている意味を感じられなくなる、といいたいと思います。

 さて、いかがですか、聖書には学ぶ値打ちのあるいい言葉がある、と思いませんか。




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コメント (3)
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