今朝、ホテルで目を覚ますと、土日連続の集中講義をした後のわりには元気だったので、帰りの新幹線に乗る前の時間、少しだけ神田の古本屋街に行くことにした。
若い頃のように一日中歩く体力も時間もないのがちょっと残念なのだが、ともかく行くと思いがけない本との出会いがあったりして楽しい。
これまですでに買い溜めた本の量を冷静に考えると、健康でかなり長生きができたとしても、残りの人生で全部読むことは物理的に不可能なので、もうあまり買わないようにしようと思っている……が、行くと少しは買ってしまう。
今日は、荷物も重いのでぐっとこらえて、A・ヴィディヤーランカール『ギーター・サール バガヴァット・ギーターの神髄・インド思想入門』(東方出版、バガヴァット・ギーターのエッセンスの詩句をサンスクリット原典しかもローマナイズではなく元のデーヴァナーガリーで読めるのが魅力)1冊にとどめた。
買うのはそれだけにして、いろいろ見てまわりながら、あれも読みたい、これも欲しいと心がさわさわ動いて楽しかった。
古本のウィンドー・ショッピングである。
だが、驚いたのは、ある店の前に、岩波の『西田幾多郎全集』が6000円、河出の『ドストエフスキー全集』が6500円という貼り紙があったことだ。
一瞬、60000円、65000円の見間違いではないかと、しっかり見直したが、やはりそう表示してあった。
貼り紙だけで現物を見ていないから、本がよほどひどい状態なのかもしれない。
しかしそれにしても……この二人の全集がこの値段とは。
これは、今どき西田哲学やドストエフスキーの思想に取り組もうという読者、特に新しい・若い読者がほとんどいないということを意味しているのだと思った。
自分は貧乏学生で、当時、どちらの全集もとても欲しかったにもかかわらず高すぎて手が届かず、行く度に指をくわえて棚を見たものだ。
その悔しさ・恨みがずっと残っていて、一人前の収入が得られるようになってから、ここで恨みを晴らしてやるといった気分でぱっと買い揃えたことを思うと――そういう同世代の元貧乏学生がたくさんいたに違いない――何と時代は変わってしまったのだろう。
昔に比べるととてもすっきりと都会的にキレイになった明治大学の通りを御茶ノ水に向って登っていきながら、これは、どう考えても、とんでもなくまずい方向に変わっているのではないか、と私には思えた……が、どうなのだろうか。
![]() | ギーター・サール バガヴァッドギーターの神髄 インド思想入門 |
クリエーター情報なし | |
東方出版 |
ネット情報が溢れる中で、全集にチャレンジする気持ちは薄らいでいるのでしょうね。分かります。
でも、「岡野守也全集」が出た際には、かなり持っている本とダブりますが、買って読みます!
二日連続の講座+二次会への参加、お疲れ様でした。
今朝は、充実感のある疲れが残っています。これから、『サングラハ』133号の発送作業にかかります。
振り返ってみると、私自身も、より古い仏教とより新しいコスモス・セラピーに集中してきていて、西田や京都学派のものやドストエフスキーが今でも苦労して読む価値があるというメッセージ発信をちゃんとやってきていないとは思うのですが、それにしても大きな文化的ジェネレーション・ギャップが生じていると思われます。
文化は持続しないが社会は持続するということはあまり想定できないので、社会の持続を願うのならば文化の持続の努力も必要でしょう。
どちらかというと西谷啓治を先に、余裕があったら西田幾多郎も、とお勧めしたいと思いますが、ドストエフスキーは小説でもあり、読みやすい新訳も出ているようですから、機会があったら、ぜひ読んでみることをお勧めします(好みで言えば旧い米川正夫訳が好きですが)。
「岡野守也全集」、いつの日か、出るとうれしいですが……そうなるように、固定読者の数を増やす努力を続けてみましょう。
そうですね。かつては教師から深いものを求めるように促されたものですね。
私も、大学で教えている時は、できるだけそういうメッセージを伝えて育てようと努力しました。
もちろん、これからも深い心を育てる――そのためにはまず自分が成長し続ける必要がありますが――努力を続けます。
龍心さんも、いまどきの学生相手でご苦労も多いでしょうが、それでもわかってくれる学生をどうぞしっかり育てていってください。