リヒテルの、透明できらきらしていながら深みとどこか渋さも感じさせる「バッハ平均律ピアノ曲集」のCDを聴きながら書いています。
特に嬰へ短調のプレリュードが、しみじみと美しく、1年を振り返る季節にぴったりです。
この1年は、まず何よりもスウェーデン・イヤーでした。
何度も書いたことですが、経済・財政と福祉と環境のみごとなバランス、ここまでやれる国があるという驚きと希望、そして日本の現状との落差にため息、という感じが続いています。
それから、去年8月から始めたブログの記事を書き続けることにも、時間と精力をかなり注ぎました。
ちょうど1年ほどで、コスモロジー教育=コスモス・セラピーと仏教-唯識について、できるだけわかりやすくしかも体系的に書くという作業は完了しました。
続いて、環境について考えてきたこと(「自然成長型文明に向けて」とスウェーデンのこと)もまとめました。
もちろん、シンポジウムの準備にはもっとも時間を費やしました。
そんなこともあって(その他のこともあるのですが)、今年は1冊も本を出さずじまいになりました。
こんなことでは物書きの端くれとしては生活にかかわるので、来年は何とかしたいと思っています。
だいぶ前から懸案だったアドラーの翻訳から取り掛かろうかな……。
それから『サングラハ』誌で連載した「落ち込みを克服する6つの方法」を単行本化できるといいのですが。
「空」について、思想としてはかなりしっかりと理解できたつもりで、それがまちがいないかを確かめるためにちょっと見てみようと思った『摩訶般若波羅蜜経』が思いがけず興味深く、引き込まれて読み続けていて、全90品(「ほん」と読みます。現代風にいえば「章」のこと)のうち第70品にまで到達しました。
年内に読了したいと思っていますが、いろいろな用事もあるのでどうなるでしょう。まあ、must化はしないことにしていますが、かなり強くpreferです。
その影響を受けて、道元禅師『永平広録』は途中で止まってしまいました。これは、来年かな。
帳簿のまとめ、レポートの評価、部屋の片付け、床のワックスかけ、エッセイを1本……ものすごく忙しいというほどではありませんが、そこそこに忙しい、でもちょっと考えたり、感慨にふけったりする時間もある、いい暮れにできそうです。
でも、出産をひかえているので大事をとって長女夫婦と孫娘がこの暮正月は帰ってこないのと、次女も仕事のつごうで31日の夜にしか来られないので、ちょっとさみしい気もする暮です。
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スウェーデンのことについて教えていただけたら幸いです
私は、まだスウェーデンに行ったことがありません。
今年の初めからスウェーデンが「緑の福祉国家」を目指して着々と進んでいることを知り、ぜひ行ってみたいと願っているところです。
「緑の福祉国家」については、過去の記事と、特に小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日新聞社)をお読みになるといいと思います。
私も、来年、今年集中的に学んだことをまとめる記事を書いていこうと思っていますので、よかったら参考にしてください。
今、夕食後に次男と二人でバッハの平均律のCDを聴いて、それから、パソコンを開いたら、先生もバッハを聴かれていたと書いてあり、ちょっと驚きました。
バッハの曲には精神的な深みを感じ、心が癒されます。
シンクロニシティ、でしょうか?
息子さんと二人でバッハを聴くなんて、いいですね。
ブログ、拝見しました。音楽をやっておられるんですね。
バッハ、もっとも好きな作曲家の一人です。
『平均律』は僕も結局リヒテルを選んでしまいます。
バッハの中でも特に”コスモスの調和”を実感させる
曲集だと思います。昨日のクリスマス・メッセージ
を読むと、本当はこの時期に聴くべき曲なのだと
思って今聴きながら書いています。
ただ難点なのは、あと一曲・・といいながら最後まで
聴かないとおさまらない所ですね。
暮のバッハは、日頃にましていっそう心に沁みますね。
実はお恥ずかしながら、リヒテルがすばらしいバッハを弾くことを知ったのはここ1、2年なのです。
リヒテルがクラシック・ファンなら知らない人のいない巨匠であることは、知識としては知っていたのですが、なぜか特に聴こうとしなかったのです。
ところが、数年前、ふとリヒテルの弾くシューベルトを聴いて、いかにも巨匠というにふさわしい格調と同時にまるで若者のような瑞々しい響きに驚いてしまい、それからリヒテルのラフマニノフ、グリーク、そしてバッハとたどり着いたというわけです。
クラシック愛好家のみなさんには、当たり前すぎて笑われそうですが、リヒテルはほんとうにいいですね。
次は、ブラームスでも聴きたいな、と思っているところです。