幼い女の子が殺害されるという事件が3件も連続で起こりました。
本当に心が痛みます。
たまたまふだんあまり見ないニュースとバラエティの番組を見ていたら、これらの事件が報道されていました。
そして、よく聞く
「今、日本の大事な何かが音を立てて崩れていっているような気がします」といったセリフと
「なんとかしなければならないと思います」いうセリフが語られていました。
こういうセリフを聞く度に、ある種のむなしさと怒りと非常な残念さを感じます。
「崩れていこうとしているのは、何かといったあいまいなものではなく、社会全体としての倫理性の水準ではないか」、
「なんとかといった漠然としたことではなく、しなければならないのはコスモロジーの再構築とそれによる社会全体の倫理性の再構築以外の何だというのだ」
と思ってしまうのです。
もちろん、当面の対策、子どもの送迎、地域の力による監視体制、防犯カメラなどなど、できるだけの工夫は必要です。
しかし、そうした外面の対策に加えて、何よりも長期的展望による内面の再構築に向けた本格的な対策がなされなければ、事態は日を追って悪化するほかない、と私には思えるのです。
これは単なる抽象論、理想論にすぎないのでしょうか?
みなさんは、どうお考えですか?
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思わず、チャンネルを変えたくなります。
胸が本当につまって、痛みます。
何かが崩れているというのは、
私もコスモロジーだと思います。
MUST化せずに、
コスモロジーを再構築したいと思います。
短期と長期の二段構えで、手を打っていく必要があると思います。
原因を捉えるためには、一見、観念的・抽象的・理想的に思わざるをえない「内面の問題」に向き合う必要があると思います。
内面とは、個の内面と集団の内面の両方を含むと思います。
「私がこうしたい!」というのも大切です。
それと同時に、それ以上に「何だか知らないけど、ここではこうした方がいい!」という規範・文化こそ大切だと思います。
個々人の善意と、社会の規範、両面の再構築が望まれると感じます。
それにしても、いくら涙があっても足らないほど悲惨な事件が続きます。
論理療法・他者憐憫で学ばせて頂いたことを活用し、明日への活力としたいと思います。
有り難うございます。
法事の後のお膳の席で、近日連続して起こっている冷酷な犯罪について話題になりました。
私が、宇宙137億年の歴史が詰まった一人一人の命を、どうして殺すことができるのでしょうか?このことを知れば殺そうにも殺せないはずですよね、と言ったところ、檀家さんも深く納得された様子でした。
コスモロジーは、命の意味、命の大切さを伝えるのに、極めて有効です!
それを再認識しました。
コスモロジーによる、柔軟かつ新しい倫理観の再構築が急がれます。
自利利他・・・草の根から頑張ります!
有難うございます。
でも、「かわいそうなあなた」でうつになっても問題は解決しない。できることをするだけ。
りょうさん、法事の後のコスモロジーはすばらしいです。まさに、現代的寺子屋の実践だと思います。りょうさんのようなお坊さんは、「希望のほーし(法師)」です。
希望の法師が希望の星たちを導いて輝く星座を形成するような日本に早くしたいですね。
かと言って自分の意見を求められても、言葉につまります。
つまった言葉の影で、本当に言いたかったことは何なのか、このブログを読んで薄々わかりつつあるように思います。
コスモロジーの崩壊でさまざまな事件のすべてが説明できるわけではありませんが、しかし非常に重要な核心については当たっていると思っています。
これからもこのブログ読み続けて、コメントを寄せてください。