自殺を考えている人にかける言葉が見つかった!

2012年08月21日 | いのちの大切さ

 学生の感想・報告の紹介を続けます。

 ご紹介したい文章があまりにたくさんあって、どこで区切りをつけるか、かなり困惑していますが、とりあえずもうしばらく続けたいと思っています。



 H大学社会学部3年男子

 現代科学のコスモロジーが、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を克服していく過程は僕にとっては、いわばカタルシス状態であった。

 宇宙全体はひとつの宇宙エネルギーであるという考えは驚愕に値した。

 宇宙137億年という歴史が僕の体の中に秘められており、僕と宇宙は1つでつながっているという考えは、人の命には絶対的な価値や尊厳があるのだということ思い知らせることが可能であり、そのことによって人がニヒリズムやエゴイズム、快楽主義を克服していくことができると実感した。
 それは、実際に、僕個人として、体感として身をもって実感した。

 特に、ニヒリズムに陥っている考え方をもち、自殺したいと考えている人にたいして、僕がその人にどのような言葉をかけて、その自殺を思いとどまらせるのかという、具体的な言葉や文章が頭の中に今まではなかった。
 むしろただ単に、「頑張って」とか「君なら大丈夫だよ」とか「もう少し考えてみようよ」など、そのようないわば誰でも言えるような、短くて、根拠のない、自殺しようと思い悩んでいる人からすればなんの効果もない形式的、儀礼的な言葉しか思いついていなかった。

 しかし、この講義を通じて、その自殺しようとしている人にたいして投げかけるべき言葉が見つかった。それはこういう言葉である。

 「考えたことないだろうけど、君の祖先は10代遡ると1024人もいることになるんだよ。その人たちが本当に必死になって努力して、苦労して、愛情を次の世代に注いでくれたから、今の君がいるんだよ。その1024人の愛情の結晶が君なんだよ。もちろん、会ったことも、見たことも、聞いたこともない、けれども確実に君の祖先である多くの人が、今の生きてる君をつくったんだ。その君という人間がどうして死ぬことを考えるんだい。君には間違いなく生きていく価値があるし、生きていく意味があるよ。」と。

 実は、僕が高校2年生になったばかりの4月、同じクラスメートの弟が電車に飛び込んで自殺した。
 そのクラスメートの弟には、会ったこともないし、顔も知らなかったけれども、上の言葉を投げかけてあげるべきだったと後悔している。
 その弟本人に、直接言う機会がなかったとしても、僕がそのクラスメートと話をして、間接的にでも、その弟に、言葉を届けることができたかと思うと、とても残念で、後悔している。

 理由はもちろん、その弟は、生きる価値があったし、生きる意味があったからである。

 現代科学のコスモロジーを理解していくにつれて、僕という存在は、両親だけではなく、様々な人のおかげで生きているということも実感した。

 僕が小学6年生のときの話である。
 卒業式が無事終了し、卒業式が行われた体育館から教室に戻り、担任の先生の最後の話を聞くことになった。
 何を話すのかなとドキドキしていたところ、先生は好きな言葉について話し始めた。先生が好きな言葉は「お陰さまで…」という言葉であるとのことだった。
 当時の僕は、その話を聞いている時、ポカンとしていた。何のことを言っているのかイメージできなくて、理解できていなかったからだと思う。先生が最後の話に、わざわざ、その好きな言葉を話した理由も分らなかった。
 だが、今になって思うことは、先生が、「様々な人のお陰で生きていることを、今は分からなくても、いつかこの子たちが分かるようになったら、うれしいわ」と思い、だからこそ1番貴重で、大切な最後のお話で、このことを話されたに違いないということである。

 現代科学のコスモロジーが認知されて、日本に浸透していき、ニヒリズムやエゴイズム、快楽主義をもつ人々の数を減少させていき、その結果として、最終的には、様々な面において日本人が再び元気を取り戻すことができると確信している。

 また、この考え方は日本中にとどまらず、世界中で通用する思考法であるとも僕は考えている。



 コスモロジー教育のメッセージを伝えた場合、前回書いたように、当初不安や抵抗という反応があることも少なくありませんが、当人のレディネス(準備状態)が熟している場合にはきわめてスムーズに受け入れられることもあります。

 上記の学生の場合は、友人の弟という身近な存在が自殺したというきつい体験があったため、「自殺したいと考えている人を思いとどまらせることのできるような言葉をつかみたい」という切実な思い、つまり心理的な準備状態が熟していたのだと思われます。

 彼自身も、授業のプロセスを通じて自分の内部のニヒリズム、エゴイズム、快楽主義が克服されていく「カタルシス体験」を「実際に、僕個人として、体感として身をもって実感した」と報告してくれています。

 それだけに、かける言葉を見つけるのが間に合わなかったこと、本当に悔やまれることでしょう。私も本当に残念です。


 コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、繰り返して言っているとおり、いつでも・どこでも・誰にでも効果があるわけではありませんが、このケースのように顕著なカタルシス体験をもたらし、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を一掃してしまうこともしばしばありますし、実際、自殺を思いとどまらせる効果があったケースもあります。

 たとえ自殺を考えている人全員にでなくても、その中の何人かにでも効果があった・ありそうだとしたら、教育、心理療法・精神医学の現場で試してみていただく価値はあるのではないでしょうか。

 そういう意味で、ぜひ日本中で認知され浸透していってほしいものだと願っています。

 共感していただける方は、ぜひ広報・拡散にご協力ください。


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2 コメント

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記事拝見しております (龍心)
2012-08-21 23:55:45
いつも御世話になります。岡野先生の授業フィードバックは専門は異なれど大いに勇気づけられます。今の学生は何かを欲しているのだがその表現が的確でないところがあって誤解してしまうのかもしれません。言語を教える観点から試みようと思っております。酷暑が続きます。御自愛専一にお過ごし下さい。
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今の学生が欲していること (おかの)
2012-08-22 22:00:25
>龍心さん

 コメントを有難うございます。

 お仕事への勇気づけになっているとのこと、うれしいです。

 今の学生たちが究極のところ欲しているのは「よく生きる」ことだと思います。

 ただ、繰り返しになりますが、ニヒリズム・エゴイズム・快楽主義の蔓延する時代状況の中で、自分が本当には何を欲しているのか自覚できず、楽しみ、楽、面白さ、気持ちよさ…を欲しているのだと思い込んでいる、と私は推測・解釈しています。

 ぜひ、本当に欲していることへの気づきを促す仕事を続けていきましょう。

 今後ともよろしくお願いします。
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