46億年前、太陽系の第3の惑星として地球は生まれたのですが、私たちのこの地球は、他の惑星にはない特徴を与えられた星でした。
それは、金星や水星のように、太陽からの距離が近すぎて熱すぎ、水がぜんぶ蒸発してしまうこともなく、火星や木星、さらに遠い惑星のように、遠すぎて冷たすぎ、水がぜんぶ凍り付いてしまうこともなかったということです。
他の惑星とちがって地球は、液体状の水がたっぷりとあるので、「水の惑星」と呼ばれています。
ここで、私たちの体の七〇パーセント近くが水だということを思い出しましょう。
つまり、細胞の大部分は水であり、ということは、水なしにはあらゆる生命活動がありえないということです。
もし、地球が太陽にもっと近かったり、遠かったりしたら、水の惑星でなくなっており、そうすると、あらゆるいのちも、もちろん私のいのちも存在しなかったのです。
太陽と地球の絶妙の距離が、いのちがいのちであること、私が私であることを可能にしているのです。
何と不思議なことでしょうか。
これは、単なる偶然なのでしょうか?
それとも、そこに宇宙の摂理のようなものがあるのでしょうか?
それはともかく、生まれたばかりの地球は灼熱地獄のような高温で、すぐに生命が生まれるような状態ではなかったとかんがえられています。
小さな惑星が激しい衝突によって集まり、その熱で惑星の内部の水や二酸化炭素が放出されます。
創発直後の地球は、水蒸気や二酸化炭素の厚い大気で覆われていたようです。
それは、今問題になっている「温暖化」の原因とされる二酸化炭素の濃度とは比較にならないほどだったのです。
その厚い大気の「温室効果」で、熱の放散がほとんどといっていいほど妨げられ、地表の温度はどんどん上がり、溶けて、「マグマの海」状態になります。
しかし長い長い何億年もの時間をかけて、ようやく次第に温度が下がってきて、マグマは固形化しはじめます。
それにつれて、大気の温度も下がってくると、地球は大気中の水蒸気が凝集してできた厚い雲に覆われます。
ようやく一部が固形化しはじめ、ある部分ではまだマグマが燃えているという状態の地表、そしてその上には厚い雲に覆われた真っ暗な空という地球を想像してみてください。
さらに温度が下がると、その厚い雲が熱い雨になり、地球の表面あらゆるところが絶え間ない土砂降りというすさまじい状態になります。
しかし地表の温度はまだ下がりきっていませんから、雨は、焼けたフライパンに注がれたお湯のように跳ね上がって蒸発し、水蒸気そして雲になり、また少し冷えると雨になって降り注ぐ……。
雲は静電気を帯びていて、絶え間なくイナズマが閃き、カミナリがとどろきます。
地球の表面は、年中嵐どころか、何千年も何万年も、さらに数億年の間、信じられないほど暗く荒々しい嵐の世界だったようです。
さらに時が経ち、焼けたフライパンのような地表がようやく冷えてくると、水の蒸発が少なくなり、地球の表面のくぼんだ部分に溜まってきます。
「原始の海」が創発したのです。
地球を覆う大気とこの熱湯状態の原始の海の水には、生物にとって必要な元素すべてが含まれていました。
もちろん、ばらばらの原子としてではなく、ほとんどがすでにそうとうに複雑に結びついた様々な分子として存在していたようです。
ここで、まだ生命は一つも生まれていない、しかしまちがいなく生命の誕生に向かって、長い長い激動――まさに誕生に向かう「胎動」、産みの苦しみ――を続けている地球を想像してみてください。
そういう想像をすると、私は、感動せずにはいられませんし、古代の人々が大地を「母」あるいは「母なる神」と呼んだことの意味がいっそうよくわかる気がします。
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それは、金星や水星のように、太陽からの距離が近すぎて熱すぎ、水がぜんぶ蒸発してしまうこともなく、火星や木星、さらに遠い惑星のように、遠すぎて冷たすぎ、水がぜんぶ凍り付いてしまうこともなかったということです。
他の惑星とちがって地球は、液体状の水がたっぷりとあるので、「水の惑星」と呼ばれています。
ここで、私たちの体の七〇パーセント近くが水だということを思い出しましょう。
つまり、細胞の大部分は水であり、ということは、水なしにはあらゆる生命活動がありえないということです。
もし、地球が太陽にもっと近かったり、遠かったりしたら、水の惑星でなくなっており、そうすると、あらゆるいのちも、もちろん私のいのちも存在しなかったのです。
太陽と地球の絶妙の距離が、いのちがいのちであること、私が私であることを可能にしているのです。
何と不思議なことでしょうか。
これは、単なる偶然なのでしょうか?
それとも、そこに宇宙の摂理のようなものがあるのでしょうか?
それはともかく、生まれたばかりの地球は灼熱地獄のような高温で、すぐに生命が生まれるような状態ではなかったとかんがえられています。
小さな惑星が激しい衝突によって集まり、その熱で惑星の内部の水や二酸化炭素が放出されます。
創発直後の地球は、水蒸気や二酸化炭素の厚い大気で覆われていたようです。
それは、今問題になっている「温暖化」の原因とされる二酸化炭素の濃度とは比較にならないほどだったのです。
その厚い大気の「温室効果」で、熱の放散がほとんどといっていいほど妨げられ、地表の温度はどんどん上がり、溶けて、「マグマの海」状態になります。
しかし長い長い何億年もの時間をかけて、ようやく次第に温度が下がってきて、マグマは固形化しはじめます。
それにつれて、大気の温度も下がってくると、地球は大気中の水蒸気が凝集してできた厚い雲に覆われます。
ようやく一部が固形化しはじめ、ある部分ではまだマグマが燃えているという状態の地表、そしてその上には厚い雲に覆われた真っ暗な空という地球を想像してみてください。
さらに温度が下がると、その厚い雲が熱い雨になり、地球の表面あらゆるところが絶え間ない土砂降りというすさまじい状態になります。
しかし地表の温度はまだ下がりきっていませんから、雨は、焼けたフライパンに注がれたお湯のように跳ね上がって蒸発し、水蒸気そして雲になり、また少し冷えると雨になって降り注ぐ……。
雲は静電気を帯びていて、絶え間なくイナズマが閃き、カミナリがとどろきます。
地球の表面は、年中嵐どころか、何千年も何万年も、さらに数億年の間、信じられないほど暗く荒々しい嵐の世界だったようです。
さらに時が経ち、焼けたフライパンのような地表がようやく冷えてくると、水の蒸発が少なくなり、地球の表面のくぼんだ部分に溜まってきます。
「原始の海」が創発したのです。
地球を覆う大気とこの熱湯状態の原始の海の水には、生物にとって必要な元素すべてが含まれていました。
もちろん、ばらばらの原子としてではなく、ほとんどがすでにそうとうに複雑に結びついた様々な分子として存在していたようです。
ここで、まだ生命は一つも生まれていない、しかしまちがいなく生命の誕生に向かって、長い長い激動――まさに誕生に向かう「胎動」、産みの苦しみ――を続けている地球を想像してみてください。
そういう想像をすると、私は、感動せずにはいられませんし、古代の人々が大地を「母」あるいは「母なる神」と呼んだことの意味がいっそうよくわかる気がします。
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頭を使ってアクティブにこのリアルな事実と向き合うとその凄さに、身震いします。
いやだって、灼熱のマグマが地表を覆って大雨が万年単位ですよ。
で、僕が生きている。
いやー、ボケッとしていると、大事なことを忘れちゃいますね。
日々何かを得よう、学ぼうと思ってここに通っています。
ですが、いくら読んでもどうしても感動できません。(ウソをついても仕方ありませんので正直に申し上げます。ケンカを売るつもりは全くありません。どうかお気を悪くされないで下さい。)
でも、それはそれでいいんじゃないですか、東の回廊さん。感じ方は人それぞれですし、感動を強要されているわけではないし。
もし全員が全員「感動の嵐」だったら、むしろそっちの方がへんな気がします。
先生は そんなことで気を悪くされたりはしない と確信します。そうですよね、先生。
東の回廊さん、ブログをいつも読んでくださって、有難うございます。「大好きです」と言っていただくと、とてもうれしいです。
「大好き」と思っていただいた時点ですでにいいと感じているわけですから、それは小さな感動だと思うのですが、どうでしょう? 興味を感じて読み続けていただき、少しだけ努力して能動的にイメージをしていただくと、少しずつ自然に感動するようになるのではないかと思います。
それに、感動らしい大き目の感動は――感動すべてそうですが――自発的なもの・湧いてくるもので、できるにこしたことはありませんが、「感動しなければならない」なんてことはまったくありません。
たくさんの学生が、「実感がない」とか「感動しない」と言いますが、やがて「実感が湧いてきた」、「感動した」と言ってくれることが多いので、時間の問題かもしれませんよ。
まったく気にしていません。それどころか、持続的に読んで、率直な感想を書き込んでいただいたり、トラックバックしていただいて、喜んでいます。
YOKOさんの言われるとおり、感動は強要されるものではありませんね。
そうです、まったく気は悪くなっていません。
でも、感動は強要するものではありませんが、共有できるといいですね。
ワークショップなどでは、まったく自発的に全員が感動を共有することもしばしばありますよ。
私のように感じ方の異なる存在を肯定的に受け止めて下さるお二人の懐の深さに むしろ感動を覚えました。
これで、安心して授業を受け続けられます。
これからもよろしくお願いします。
宇宙規模の話しも、個である私たちの世界も基本なるものはみな同じであると思います。
きょうは息づいている母なる地球をイメージして寝ようかなと思います。
どうも授業ありがとうございました 碓井 司
私たちはほんとうに生まれてから死ぬまで、母なる地球に抱かれています。そう思うと=イメージすると、とても安心して眠れますね。
では、ゆっくりお休みください。