半端で行く宣言・続き

2007年07月02日 | 持続可能な社会

  「半端で行く宣言」 歌詞

  1番
 ♪〔天よ〕おまえから余命をもらえるならば
  やっておきたいことがある
  かなり厳しいことになるが
  オレの本音だからやるしかなさそう

  2番
  ……(*まだ出来ていない)


 今日は丸々1日、中途半端に徹するワークの1つとして、明日の講座「スウェーデンから学ぶこと」の準備に費やしました。

 経済と福祉のバランスを取ってみごとな福祉国家を創り上げてきた指導者たちの柔軟な英知に改めて感じ入っています。

 明日は、講座の受講者のみなさんとその英知をシェアしたいと思います。

 (まだよくわからないことの1つは、スウェーデンの経済政策を導いた「ストックホルム学派」という経済学の学派がどういう人と思想で構成されている〔いた?〕のかという点です。誰か、知っている人がいたら教えて下さい。名前だけは知っているミュルダールもこの派なのかな?)



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半端で行く宣言?

2007年07月01日 | 生きる意味

 東奔西走状態が先週末まで続いていて、ここでようやく一段落しました。

 そういうわけで、ここのところあまりじっくりとものを考える暇はなかったのですが、不思議なことに無意識では考えていたのでしょう、「途上にあって惑う日々」で書いた以下のような迷いがなくなってきたように感じています。

 「心には自分の内面を掘り下げたいという気持ちのベクトル――禅定を深めることや大般若経などの探究――と、これからの社会が向かうべき方向とその方法をつかみたいというベクトル――スウェーデンについて政治史や社会科学などにまで深入りするか――のアンビヴァレンツがあって、このまま時を過ごすとどちらも中途半端になりそうです。」

 これまで何か大きな決断の前には必ずかなり長い期間瞑想をして、天の声を聴いてから最終決断をすることにしていましたが、今回は、あちこちでコスモス・メッセージを語る機会をいただいたことが自分自身聴くことになっていたのかもしれません。

 ゆっくりといつとはなく、「どちらもやる他ないな。たぶんどちらもある程度中途半端になってしまうだろうけれども」という気持ちになってきたのです。

 今世界が抱えている外面の問題――特にその最大・緊急のものの1つとしての環境問題――が、このまま行けば後の世代の幸せを根本から脅かすことはまちがいなさそうだということを考えると、自分の内面の問題だけに取り組むことでは、私(の本心)はやはり満足しないようです。

 かといって、外面の問題の解決にだけ奔走すると、私の魂はまだまだ未成熟なので、安らかに死を受容できる心境に到達できそうもありません。

それどころか、あと20年くらいは天が命を与えてくれるとして、内面のワークのみに集中的に取り組んでようやく、何とか迷わず成仏できる境地に行けるかどうかといったところだと予想しています。

 しかし、だからといって自分の内面の問題だけやっていても、世界の外面の問題は解決せず、解決しなければ辛い目にあうのは子孫たちであることを思うと、それもやっぱり放っておけないのです。

 そこで結局、「中途半端に終わるかもしれないが、どちらもやる」という線で、胆が据わってきた……というか、何となくそこに落ち着いてきたようです。

 そこで、「関白宣言」をもじって「半端で行く宣言」――当面これで行きますが、また気が変わるかもしれないので、?付き――をしておこうと思ったわけです。

まあ、コスモスで起こることはすべてオーケーですから、これもどうでもオーケーな話ですし、興味のない読者もおられるでしょうが、身近な関係者のみなさんには、とりあえず報告しておいたほうがいいかなと思いました。
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