会社員になって最初に勤めたのが神田だった。
一番多感な時代、まさに青春時代とも言える4年間の思い出は、この場所にぎゅーっと圧縮されている。もう20年以上も前の話しだけど。
神田に勤めていた頃はとにかく良く酒を飲んだ。昔の建物がまだまだたくさん残っていて、狭くても風情がある店で飲むのが好きだった。
久しぶりに神田を歩いて思ったのは、ケバケバしくなってしまったなぁと言う事だ。最近はどの街を歩いてもそうなんだけど、店の前の看板や灯りが自己主張しすぎというか明るすぎる。
このガード下にはピンク系の映画館があったはずだ。入った事は無いが、電車の通る音が映画館の中まで響いていただろう。そんな中で見る映画というのはまさに“場末”な感じ満点だったろうな。
高架は頑丈な鉄骨に支えられている。以前と何か雰囲気が違うなーと思ったのだが、当時はまだ新幹線が無かった事を思い出した。
秋葉原までガード下に沿って歩く。小さいながらも品の良い店が続いている。ちょっと入りたい気分にもなるが、ぐっと我慢をして歩き続ける。
秋葉原まで来たときに上を見上げると、まさに鉄の塊というような鉄橋が見えた(一番上の写真)。もう何年使っているのだろう、寿命が来て架け替えなんて事になったら京浜東北線や山手線を何日も止めてという具合に大変な事になるんだろうな。
東京夜旅バックナンバーは『何となく歩いた結果 本館』で見られます。
一番多感な時代、まさに青春時代とも言える4年間の思い出は、この場所にぎゅーっと圧縮されている。もう20年以上も前の話しだけど。
神田に勤めていた頃はとにかく良く酒を飲んだ。昔の建物がまだまだたくさん残っていて、狭くても風情がある店で飲むのが好きだった。
久しぶりに神田を歩いて思ったのは、ケバケバしくなってしまったなぁと言う事だ。最近はどの街を歩いてもそうなんだけど、店の前の看板や灯りが自己主張しすぎというか明るすぎる。
このガード下にはピンク系の映画館があったはずだ。入った事は無いが、電車の通る音が映画館の中まで響いていただろう。そんな中で見る映画というのはまさに“場末”な感じ満点だったろうな。
高架は頑丈な鉄骨に支えられている。以前と何か雰囲気が違うなーと思ったのだが、当時はまだ新幹線が無かった事を思い出した。
秋葉原までガード下に沿って歩く。小さいながらも品の良い店が続いている。ちょっと入りたい気分にもなるが、ぐっと我慢をして歩き続ける。
秋葉原まで来たときに上を見上げると、まさに鉄の塊というような鉄橋が見えた(一番上の写真)。もう何年使っているのだろう、寿命が来て架け替えなんて事になったら京浜東北線や山手線を何日も止めてという具合に大変な事になるんだろうな。
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