白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

深まりゆく秋の季節の中で

2014年10月11日 21時38分23秒 | 日記

今夜も夜空には欠け始めた月が冴えわたった輝きを見せ、庭先ではコオロギの鳴き声が賑やかに聴こえる。

もう、あきらかに季節は移り変わったのだけれど、日中は太陽の光が暑いくらいに降り注いでいる。

我が菜園では、今秋の野菜達が元気に育っている。

無農薬で化学肥料を使わないで育てている野菜は、時々青虫が付いていたりするが、毒が付いているよりはよほどいい。

何でも有機栽培がいいというのには抵抗があり、そんな風に自分では言いたくないので敢えて有機栽培とは言わない。

そんな風に言ってしまうと、なにか危険で、ちょっと違うぞ、と自分では思う。

この畑は取った草はみんな畑に戻したし、家庭の生ごみも運んで肥料に変えた。

大豆も植えて、大気中の窒素成分を地中に固定した。

石灰も使わず、カキ殻で賛成を中和した。

そんな風にして、生きた土になって来た。

 

ねぎ、野沢菜、白菜、春菊、ホウレンソウ、大根、etc。色々な野菜が育っていて、そのうちの幾つかを収穫した。

白菜、野沢菜は塩漬け、カブは千枚漬け、ホウレンソウは茹でて胡麻和え。

昨年作った大豆で手作り豆腐。きゅうりと人参と玉ねぎを入れたポテトサラダ。飯縄大根の大根おろし。きゅうりのぬかみそ漬け。

今夜の食卓は、ほとんど自分の菜園で採れたもので一杯になった。

たいした料理ではないが、何より自分で作った野菜は安全だし、味も濃厚で、新鮮だ。

栽培し、料理を作るのは時間はかかるが、おかしなことに時間を使うよりはずっといい。

 

村の図書館も最近は利用している。

今回借りてきたのはこの3冊。

一冊は気軽に読めつもの。

次は小説。

もう一冊は、ドキュメントだったり、問題意識が明確な物。

 

 

ちなみに今回返したのはこの3冊。

小説ではないが、『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』は図書館にリクエストして入れてもらったものだ。

自分ではハードカバーはなかなか買えないのでありがたい。

今回は内田康夫の『遺譜』(上.下)をリクエストしておいた。

晴耕雨読が原則なのだが、なかなか雨が降らないので、秋の夜長を読書三昧でついつい夜更かしになる。

出来るだけ様々な分野の本を読むのは、人類は今、どこに到達しているのかを知る為だ。

文化の、政治の、科学の様々な分野で到達した最高点は何処の地点かを知る為だ。

明治維新の時に、それを知っていたのは坂本竜馬であり、勝海舟であり、佐久間象山でありその他の志士達だ。

世界に目を向けて人類が到達した最高地点を見ていた。そこから日本を見た時に徳川の体制を変えざるを得なかった。

しかるに今、安倍君は何処を見ているのだろう。

戦前の日本しか見えていないのではないか。

人類が到達した最高地点の一つが日本国憲法の第9条であることは間違いない。

武力によって紛争を解決するのは時代遅れだ。

同じように原子力によってエネルギーを賄うのも時代錯誤。

俺たちは今人類が到達した最高地点は何処かという意識を常に持っていないと時代遅れになる。

その時点では正答だったことも、時の流れの中で朽ち果てて行かざるを得ない。

頭の中は止まったままでは駄目なのだ。

そうした意味で、読書は欠かせない。