白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

どこかもの悲しく 懐かしく 秋の棚田は心に沁みた

2017年10月05日 19時54分39秒 | 日記

中条の棚田で稲の苗を植えたのは5月。

9月の終わりに稲刈りをすると、田んぼの会の会長、小林さんから連絡が来た。

田んぼの会を立ち上げた小林さんは、今年84歳。

会員は都会の人たちが半分以上。

信州の会員は、会長、副会長も含めて5世帯。

多分にひがんだ言い方になるが、都会の人たちは、いわゆるお偉いさんが多く、富裕層だ。

乗っている車からして.... まあいい。

中条はかつては村だったが、今は長野市に吸収された。

中条の中でもかなり奥深い場所に棚田はあり、棚田百選にも選ばれている。大西の棚田という。


会長も高齢になり、いつまで続くかという状況の中で、今年最後のイベント、稲刈りが行われた。

 

 

耕して天に至る

今年建立された棚田百選の碑にはこの言葉が刻まれている。

ここは限界集落で、すぐ隣の耕作放棄地は草ぼうぼうで、イノシシの巣になっているという。

仕方がないので電柵を張ったと小林さんは言う。

小林さんの集落は、すでに2世帯しか住んでいない。

弱弱しくなった柔らかい秋の日の午後の陽射しの中で、稲刈りとハゼ掛けの作業が始まった。

会長と副会長。風格がある。

 

 

作業終了。

あとは、おこびれ(おやつのことですね)の時間。

会長の奥さんが作る煮物、漬物、おやきが絶品。

おやきは北信濃のソウルフード。

 

世間では虚しい政治ごっこが行われているが、実体のない茶番劇だ。

地に足を付けた人の暮らしがここにある。

物を作り出す人の喜びがここにある。

世界の富裕層のトップ8人の資産と、75億人近い世界の人口の半分の人たちの資産が同等だという。

実際に物を生み出し働く人たちの成果を奪い取って、肥え太っている社会の仕組みが、おかしいことにみんな気付くべき時だ。

『ここにくるとほっとするんだ』

横浜からきた人がしみじみと言った。

 

いつもはやきもち家で交流会をするのだが、今回は満杯で部屋が空いていないという。

お偉いさんグループはやきもち家で温泉にだけ入り、長野駅前で慰労会をする。

後の人たちは小林さんの自宅で交流会。

都会のネズミと田舎のネズミみたいに溶け合わないなと、なんとなく笑ってしまう。

残った人たちといろいろな話をする。

八王子から一人車を飛ばしてきた女性は、単独行で山に登る。

山の話で盛り上がる。

中野市からの参加者は、春に北国街道歩きを進めておいたが、すでに軽井沢の追分から善光寺まですでに到達したと話す。

俺たちは北國街道から始まって、中山道を完歩、そして東海道はあと2宿を残すだけとなったことを話す。

市会議員や市の職員も来たので、しばし議論。

『合併しても限界集落は変わらないし、予算は駅周辺の開発に注ぎ込まれ、辺地はちっとも良くならない。そもそも、合併前は、曲がりなりにも自分たちの裁量で使える予算があった。今ではひたすら陳情してお願いするしかない。希望に身売りした民進みたいじゃないか(これは心の声)。』

 

もう一人、毛色の変わった女の子もいる。

東京から来ているのだが、大学院を出て、信州に来て森林の研究をしたり、今はスリランカの研究をしているという。

市の職員と飲みながら、今年度中には結婚する予定だという。ただ相手は決まっていない。誰でもいい、紹介してください、という。ただひとつの条件は、この村から出て生活をしたことがない人はお断りだという。

おじさんとおばさん(おじいさんとおばあさんが正しい)ばかりの中で、4年近く田んぼの会に参加してきている。

小林さんの家に泊まりに来たり、手伝いをしたり、懐に入り込んでなついている。

色々文句を言うが、小林さんもかわいくて仕方がない様子。

今夜東京に帰るというが、この山奥からはバスもない。

そこで、帰りがけに長野駅まで送っていくことになった。

車中、少し話をした。

若く見えるが、今35歳で今年度結婚したいというのは、その辺の事情があるという。

いい娘なのだが、頭が良すぎてなかなか釣り合う男がいないのだろう。

誰でもいいというのは宴席で調子を合わせていただけ。

したたかだ。

来年の田植えには二人で現れるだろうか。

それよりも前に、棚田田んぼの会は来年も存続するのだろうか。

一抹の不安と寂しさを感じながら、家に向かった。