白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

環境にやさしい菜園

2020年07月26日 21時31分02秒 | 日記
異常に雨が多い梅雨が、まだ明けそうにない。
我家の菜園は草が生い茂り、隣りの草ひとつない畑とは好対照。
時たまにビーバーや鎌で刈ってはいるが、とても追いつかない。
そんな菜園で、色々な野菜が採れる。


モロコシはこれが初収穫。
とても甘くておいしい。
基本的に消毒はしない。化成肥料は使わない。

夏大根はほとんどの人が作っていないので、おすそ分けするととても喜んでくれる。

きゅうりは普通のきゅうりと、郷土の伝統野菜である八町きゅうりが採れる。八町きゅうりは太くなっても柔らかくておいしい。消えそうになっていたが、何とか復活させて、今は人気となっている。


カボチャのような形のコショウはボタンコショウという郷土の伝統野菜。辛味があるが、旨さもある。これも最近の人気品種だ。

畑にはテントウムシがたくさんいる。二つ星と七つ星の益虫だ。例年に比べてもたくさん目に付く。彼らがアブラムシを退治してくれる。
消毒をして殺してしまいたくない。虫が死んでしまうような毒薬をかけた野菜などとても口に入れたくはない。

最近よく聞く言葉。『コロナとの共存』。
自分だけが勝ち残るという発想はもう通用しない。
それは菜園でも同じではないだろうか。
益虫と害虫が自然の中で絶妙なバランスで共存している。そこにそっと我々も混ぜてもらう。自然は征服する対象ではない。


この美しい花は何の花?
分かる人はいるだろうか。
通常は白い花が一般的だ。
食べられる実がなるが、観賞用に少しだけ庭に播いてある。
自然を痛めつけることなく、痛めつけられることもなく、絶妙なバランスで付き合っていけたら最高だ。
行き過ぎた人間の振る舞いに、神が洪水を起こして罰を下すという昔からの大洪水神話がある。最近の災害を見るとあながち神話だとばかり言っていられない。

歳を取ったせいだろうか。
自然と溶け合いたいと切に思う。それは例えば、独りで登った山の頂上で、何も考えずただ緩やかな風に吹かれている時、不思議と感じる宇宙との一体感。自分が自然と一体になったような感覚。最近そういう登山をしていない。
コロナ騒ぎのせいもある。雨が続くせいもある。かみさんや知り合いのご婦人たちのお供をしているせいもある。
もうひとつ、内臓脂肪を減らした(多分)せいもあって、自分の持久力がどうなってしまったか不安なせいもある。体重は6キロくらい減らした。それは多分自給的なエネルギー源を減らしたということだ。自慢するわけではないけれど、田中陽樹さん並みだねとか、古くは単独行の加藤文太郎さんのようだとか言われていた。それは多分にそのエネルギー源が関与していたのだと思う。それを無くしてしまった今、自分はどれくらい歩けるのだろう。頻繁に補給することでカバーできるとは思うが、やってみなければわからない。
雨の季節が終わったら、山に行こう。たったひとりの山に。
妙高、火打あたりは第一候補だ。白馬三山は第二候補。爺ヶ岳、鹿島槍が第三候補。
取り敢えずは菜園の草取りに専念。

上の写真の赤い花は赤そばの花。