白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

記録が途切れるという事

2022年04月19日 06時58分37秒 | 日記
二月一日から続けていた一日一万歩以上の記録が昨日途切れた。
義兄の心臓手術からの復帰で、少し遠くまでお見舞いに行ったので、帰りが夕方になった。
その後、八千二百歩ほど歩いたが、一万歩には届かなかった。
その他、朝晩に腕立て伏せとスクワットを六十回づつやっていたが、晩の分は回避。この記録も途切れた。

佐々木朗希投手の、二度目の完全試合目前の交替で、記録の強制終了。
球界の宝の肩を守る為、という苦渋の決断。
目先の利益だけでなく、もっと先を見据えているのだなと、目を開かれる思い。
タイガースにも、もっと学んで見習って欲しい。

金本や鳥谷の連続試合出場の記録も、途切れた時には非常に残念だったが、そもそも記録にこだわることに何ほどの意味があるのだろう?
自分の場合は自己満足にすぎない。
そういうものからもっと精神は自由になるほうがいい。

冬場、六十キロを超えた体重は今五十七キロ。
体の中で脂肪に占める量は七キロ以下になった。
筋肉の量は四十八キロ。
体脂肪率は十一・二パーセント。
自慢話は他人にとって鼻持ちならないものだが、少なくても自分にとっては毎日一万歩以上を目標に歩き、走り続けたご褒美だと思っている。
記録というのは努力し続けた結果に過ぎない。

記録というのはいつか途切れるものだ。
そこで改めて何のために、それを続けたのか考え直すきっかけともなる。
山に登る。見苦しくなく、まるで重さなどないかのように、天狗のように、仙人のように、修験者のように、風のように、自由に山を歩き回るために、体を作ること。ここに大本がある。
今日から新しい気持ちで歩き出す。
いい天気だ。