以前から書いてみたかったある体験について書いてみたいと思います。
「自殺行為だよ!」。「あんなルートは今は登るとこじゃないよ!」
2010年6月のヨーロッパ登山時の出来事。フランス・シャモニーでK田氏より言われた言葉である。K田氏は長年シャモニーに在住、グランドジョラス北壁に冬季初登攀の記録を持ち、アルプスを訪れる多くの登山者の良き相談先として慕われている方である。当然僕もシャモニーに到着すると先ず真っ先に挨拶に向かうようにしている。
その時に目標としていたのが『モンブラン・デュ・タキュル ジェルバズッチクーロワール』というルートだった。困難度はそれ程でもないのだかなにしろ危険極まりないルートなのである。その危険要素とはずばり「セラック(懸垂氷河)」の崩壊である。クーロワール最上部を塞ぐように巨大なセラックがオーバーハング状に迫り出していてほぼ毎日のように崩壊しては狭いクーロワールを落下してくるのである。当然逃げ道は無く、登攀中に遭遇するとほぼ間違いなく壊滅的な結果を招く。実際にこれまでにも数多くのクライマーが事故死していて、数年前にも現地プロガイドが登攀中に叩き落されて即死している。いうなれば「谷川岳滝沢スラブのヨーロッパアルプス版」といった感じであろうか。では何故そのような危険極まりないルートを登ろうと思ったのか? それは僕が尊敬し敬愛するソロクライマー達(故鴫満則氏、故中島正宏氏、故鈴木謙造氏、山野井泰史氏 などなど)が必ず登っているルートだからである。即ち「これを登らなければこのような方達に近づくことができない!」というある種の必然的な衝動に駆られて登る対象として選んだのである。
そういう思いがあって現地に向かったのであるが冒頭の言葉を受けてハッキリ言って非常に心細く感じて「やっぱり止めておいた方が良いのかなぁ~」というような思いにとらわれてしまうのであった。しかし反面「これを登らなければ先へは進めない!」という思いが強く後押しして結局はこのルートに挑むことになったのであった。
モンブラン・デュ・タキュル北東壁 中央の白い溝がジェルバズッチクーロワール。赤線が登攀ライン
2010年6月25日、予定外の出来事で標高3700mのエギュ・デュ・ミディのロープウェイ駅でステーションビヴァークとなり、おまけに少々寝坊をしてしまったために深夜1時の出発予定が2時過ぎに。大慌てで準備を済ませたが予定よりかなり遅れてのスタートとなってしまった。「陽が登り始めるとセラック崩壊の危険が急増してしまう。とにかく早く登りださねば」という焦りがちの気持ちとは別に漆黒の闇の中を縦横無尽に口を開けるクレバスに細心の注意を払いながらただ独り氷河を進む。斜面が急になってきた辺りでアックス2本に持ち替える。壁の取付きに大きく口を開けるベルクシュルンド(氷河と壁との間にできるクレバス)をヘッドランプで覗き込むが真っ暗なのと奥が深過ぎて底が全く見えない。恐ろしさでいっぱいだがとにかくそのことは考えずにベルクシュルントを乗り越した。ここから標高差にして700mの氷雪壁が稜線まで続いている。一気にいくしかない。堅い氷雪壁を2本のアックスを突き刺しながらひたすら上をめざす。クーロワールが幅10m位に狭まり最も細くなっている喉のような部分を越えてルートの3分の1くらいに達した頃である、ちょうど陽がクーロワールに当たり出した。真っ赤に染まるクーロワール上部。余りの美しさに危険のことを忘れて写真を数枚撮り、カメラをしまって登攀再開をしようとした時だった。「ビュン!」という音に気づいて上部を見ると10cmくらいの氷の塊が体の直ぐ横を物凄いスピードで落ちていった。「ヤバイ!」と感じる間もなく氷のブロックが弾丸のように次から次へとこちらを目掛けて落下してくる。中にはバケツ大の物もドカドカ落下してきて動くことさえ出来ない。このままでは直撃も時間の問題と思い、なんとか動けないかと辺りを見渡していた時だった「バンッ!」上部で如何にもという音が響いた。上部を見上げるとクーロワール内いっぱいに煙が広がったように真っ白になっている。上部のセラックが崩壊して落下してきたのだ。もうどうすることもできない。一瞬「もう死ぬ!」という思いが頭を巡ったが直ぐに「絶対に耐えてやる!」という気持ちになって2本のアックスを思いっきり刺して、アイゼンも思いっきり蹴り込んだ。と直ぐに物凄い衝撃というか圧力が体にかかってきた。砕け散った膨大な量のスノーシャワーが物凄い勢いで落下してくる。まるで激流の滝に打たれ続けているような状態である。段々と体が引き剥がされそうになるので顔を氷雪面にへばり付けてひたすら耐え続けた。ただひたすら祈るように耐え続けているとようやくスノーシャワーの勢いが止んだ。ただただ「助かった!」という思いだった。下を見ると大量のブロックとスノーシャワーが先ほど登ってきたばかりのクーロワール下部を激流のように落下してベルクシュルンドに飲み込まれていく。一時は諦めて下山も考えたが、これでは下山などできやしない。助かる為には登るしかない。登攀を続行することにして「落ちてくるな!落ちてくるな!」と念じながらひたすらクーロワール出口をめざした。恐怖感いっぱいで楽しむことましてや景色を見る余裕など全く無い。ただ助かる為だけに登り続けた。残り50m・・・、20m・・・、そしてついに稜線に抜け出た。「助かった!」。これ程の恐怖感と緊張感の中での登攀は初めてのことであった。抜け出た稜線ではフニャフニャ状態でグッタリと座り込んでただただ暫くの時間安堵感に浸り続けた。
アックスを差し込んで写真撮影中。
日が入りはじめクーロワールが真っ赤に染まりだした。この後、恐怖の洗礼が・・・
ようやく登攀も終盤。登ってきたクーロワールと氷河を見下ろします。
出口には巨大なセラック(懸垂氷河)が迫り出している。この一部が崩壊して僕を襲ったのだ。
稜線に出てしばし安堵感に浸りました。平和な時です。間近にグランドジョラス、そして遠くにマッターホルンを望みます。
やはり「自殺行為」と言われる由縁のあるルートだった。登るべきルートではないように思えた。しかし、当時を振り返って考えると、自分にとってやはり登るべきルートであったと思う。なぜなら厳しい登山(特にアルパインクライミング)を続けていくことにおいてとても重要な「恐怖感と向き合いながらもそれを克服していく」ということを行えたし、実際に自分のみの力で乗り越えることが出来たからである。そういう意味で僕にとってはまさに「洗礼」ともいうべき登攀だった。実際にこの登攀を経て、自分自身それまでと比べて明らかに余裕を持って登山と向き合えるようになったと思う。ガイドという仕事を生業にしている自分にとって一番大切なことは「お客様を守ること」である。それは突き詰めれば「ガイド独りで何ができるか?」ということになる。その「独りの力」を身につけるのには「単独登攀」こそ最も必要不可欠なことであると思っているし、このような本当の意味での「修羅場」のような経験こそが自分の登山においてもガイドという仕事を行うにおいてもとても重要であると実感している。まさに「洗礼」であった。