長年、この問題は重要が課題があると感じていましたが、一旦この仕事を離れた現在、いろいろ世間の状況を見ていると、思うことがあります。
障害者関係の仕事をする場合、経験値が重要な要素であることは分かりますが、それ以前に基本的な知識はどの程度必要なのか?という部分です。
おそらく福祉系の学校を卒業していない限り、ほとんどこの分野の知識を身に着けることはないと思います。身内に障害者の方がいる場合は、別ですが・・・。
医療系も含めて、結構専門用語が飛び交い、経験値の高い方は、そんなことも知らないのか?という(言葉は出さなくても)表情をされます。特に、高齢者系の施設等で、そんな傾向が見られるようです(これはあくまでも経験上ではなく、多くの友人から聞いた話ですが)。
そんな状況が、新規に仕事に就かれる方にとっての、精神的な重荷になっているのでは?との心配もありますね。
私も、以前入所支援施設で、長年現場の管理職をしてきましたが、特に新人職員の対応も行ってきました。ほとんどが、自分よりも若い職員であり、後半には自分の子供と同じ年齢の方もいました。
そこは、別に大きく意識はしないのですが、福祉系の卒業生は、基本的な部分については、あまり指導することはありませんが、そういう場合は、主にこの施設の現状や入所者の状況、主に重点を置いている部分、入所者への対応方法を説明します。
基本的な入所者が分かるもの(状況表等)は渡し、出来るだけ早く現場に慣れることに重点を置きます。
丁寧にメモを取る新人もいれば、聞いているだけの新人、ただ「こいつ本当に聞いているのか?」みたいな感じの方は、幸い見受けなかったですね。
新人さんは、それぞれに仕事に対するアプローチ方法が違います。
希望に燃えて積極的に質問してくる方もいれば、不安を隠せずにオドオドしている方、少々引き気味に対応する方、まあそれはいいと思います。
あまり最初から気合を入れすぎると、長続きしないかもしれませんね。
”早く慣れること”、それが現場で管理をしている私たちの、一番の願いでもあります。
よい意味での、入所者の方に対する”驚き”や”発見”をし、自分の仕事に対する関心を持つこと、これが一番の早道でもあります。
特に、今まで全く違う業界にいた方ならば、この仕事の”面白さ”を感じていただければ、前向きに捉えられると思います。
逆に、「なんか嫌だな・・・」とか「汚い」「臭い」「辛い」「厳しい」「面白くない」・・・等を強く感じる方は、この業界に向いていないかもしれません。
ただ、そう思いながらも、5,6年経つと、意外に馴染んでくる人もいます(私がそうでした・・・笑)。
中には、「生活のため」と割り切っている方もいます。私も最初はそうでした。
この仕事を「面白い」「関心が持てる」「なんか意外性がある」等と感じる方は、将来性があるかもしれません。
現在の施設は、そういった新人を指導する先輩職員の性格や態度、考え方に影響される部分は大きいですね。また、肝心の施設長の根本的な考え方、姿勢は、重要です。
福祉業界は、綺麗事を言っていては、ほとんど務まりません。それは今勤務されている職員の方々が、一番感じていることでしょう。
世間では、マスコミを中心に、暴力事件に対しては、こぞって批判記事を掲載し、施設の姿勢や職員の質、またその施設のやり方等を攻撃します。ゴシップ記事と同様、その方が読者からの感心を得られるためでしょう。
では、実際の状況を正しく説明しているのか?と言えば、全くです。
職員は、どんな環境で仕事をしているのか?利用している方々は、どういう方なのか?そして一番気になるのは、賃金・給料の問題です。
どれだけ、世間的な水準からすれば、安い賃金で重労働を行っているか?を、マスコミ等は説明しません。
ただ、事件事象だけが独り歩きしていきます。
もちろん、暴力は絶対にダメなのは、どの業界でも同じですが、最近はパワハラやセクハラ等、○○ハラという言葉が、大手を振って歩きまわっています。ハラスメントという意味合いは、それを行う側と受ける側の感じ方の違いも関わってきます。
それは、ある意味”いじめ”も同様だと思います。
受ける側が、そう感じればすべてがハラスメントになるのであれば、人間活動がほとんど意味をなさなくなってきます。
人間は、誕生してから死ぬまで、対人活動は欠かせません。対人は、常に様々な関係性を伴っています。それは避けられないものです。
そこで、自身の感じ方が重要になってきます。
嫌な人もいれば、好意を感じる人もいます。
ハラスメントは、その状況から考えて、明らかに威圧的・強制的・恣意的な要素があれば、
それが問題視されても当然ですが、実際はそういう状況でなくとも、勝手に自身が感じれば、問題化するという面を持っています。
仕事には、必ず指導される側とする側が存在します。仕事上では、その仕事に対する意識が高ければ、それが威圧的であろうと、強制的であろうと、受け入れる部分があると思います。(自身のために重要な意味があると感じれば、余計に)
逆に、仕事上、やりたくない時、自身の評価が高い時や、あまりその仕事に対する思い入れがない場合等、同じ言葉を投げかけられても、それがハラスメントと感じかもしれません。
しかし、世間的には上記と同じハラスメントと判断されてしまう傾向があります。
一般の仕事上は、比較的それが判断しやすいですが、これが障害者の業界での現場では、そうはいかないのが問題です。
例えば、対象の方(利用者)を前向きに支援していても、厳しすぎる、言葉が悪い、やり方が・・・等、非難されます。10年以上前に、この業界では「指導」という言葉がなくなり、「支援」という言葉に成り代わっています。私は今でも「指導」でいいと思う部分もあります。(もちろん「支援」という部分もありますが)
「出来るようになる」ために「支援」するのか「指導」するのか・・・。
それは、行う側とそれを受ける側の感じ方次第でもあると思います。
「支援」という言葉の中には、受ける側の本人が「能動的」(「自分から動いていける)か「受動的」(言われて初めて活動する)かの違いがありますね。「受動的」な場合は、指導を受ける状況にもなると思います。
例えば、こんな例は・・・
成人入所施設では、基本18歳以上の方なんですが、支援学校を含め自宅でも、衣類の着脱がほとんど出来ないまま来られた方もいます。
そういう方には、まず着脱の方法から”指導”します。
当然、衣類には表裏・前後があり、それを感じてもらう部分から始めます。(中には、分かりやすいように”印(しるし)”を入れたり、本人の前に分かりやすいように置くことも)
そこから”指導”が始まるわけですが、本人は当然、何をすればいいのか分かりません。
最初は、手助けをして、やり方・取り組み方を指導していきます。(ここで、今まで経験のない方は、拒否的な行動を伴ったり、中には自傷・他傷行為になる方もいます)
そういう指導の繰り返しを、長ければ何か月も何年も行います。
面白いのは、ある程度、この指導状況を繰り返した後、支援員がいない状況を作ると、勝手に着脱行為を行っているときも見られ(状況は陰で観察していますが)、常に傍についているばかりが、よい効果を生むと
はならないことが分かりました。
これは支援とか指導とかの言葉の選択ではなく、本人への能力の向上という目的であると思います。
施設での新人職員の方は、自分の経験ではほとんどが「支援」系でした。しかし、利用者については、方法論もあると思いますが、上記の例のように、やや「指導」的な要素が大きいと思います。「自身がどう動けばいいのか?」「今何をすればいいのか?」が分からないために、ほとんどが受動的な態度になってしまうためです。
「指導」だから、必ずしも”強制”ではありませんし、”威圧的”でもありません。
「支援」という名の、”強制”や”威圧”も十分にあるからです。
内容が、タイトルとは少々違う方向に行きました。次は、このタイトルに関する部分を書きたいと思います。
障害者関係の仕事をする場合、経験値が重要な要素であることは分かりますが、それ以前に基本的な知識はどの程度必要なのか?という部分です。
おそらく福祉系の学校を卒業していない限り、ほとんどこの分野の知識を身に着けることはないと思います。身内に障害者の方がいる場合は、別ですが・・・。
医療系も含めて、結構専門用語が飛び交い、経験値の高い方は、そんなことも知らないのか?という(言葉は出さなくても)表情をされます。特に、高齢者系の施設等で、そんな傾向が見られるようです(これはあくまでも経験上ではなく、多くの友人から聞いた話ですが)。
そんな状況が、新規に仕事に就かれる方にとっての、精神的な重荷になっているのでは?との心配もありますね。
私も、以前入所支援施設で、長年現場の管理職をしてきましたが、特に新人職員の対応も行ってきました。ほとんどが、自分よりも若い職員であり、後半には自分の子供と同じ年齢の方もいました。
そこは、別に大きく意識はしないのですが、福祉系の卒業生は、基本的な部分については、あまり指導することはありませんが、そういう場合は、主にこの施設の現状や入所者の状況、主に重点を置いている部分、入所者への対応方法を説明します。
基本的な入所者が分かるもの(状況表等)は渡し、出来るだけ早く現場に慣れることに重点を置きます。
丁寧にメモを取る新人もいれば、聞いているだけの新人、ただ「こいつ本当に聞いているのか?」みたいな感じの方は、幸い見受けなかったですね。
新人さんは、それぞれに仕事に対するアプローチ方法が違います。
希望に燃えて積極的に質問してくる方もいれば、不安を隠せずにオドオドしている方、少々引き気味に対応する方、まあそれはいいと思います。
あまり最初から気合を入れすぎると、長続きしないかもしれませんね。
”早く慣れること”、それが現場で管理をしている私たちの、一番の願いでもあります。
よい意味での、入所者の方に対する”驚き”や”発見”をし、自分の仕事に対する関心を持つこと、これが一番の早道でもあります。
特に、今まで全く違う業界にいた方ならば、この仕事の”面白さ”を感じていただければ、前向きに捉えられると思います。
逆に、「なんか嫌だな・・・」とか「汚い」「臭い」「辛い」「厳しい」「面白くない」・・・等を強く感じる方は、この業界に向いていないかもしれません。
ただ、そう思いながらも、5,6年経つと、意外に馴染んでくる人もいます(私がそうでした・・・笑)。
中には、「生活のため」と割り切っている方もいます。私も最初はそうでした。
この仕事を「面白い」「関心が持てる」「なんか意外性がある」等と感じる方は、将来性があるかもしれません。
現在の施設は、そういった新人を指導する先輩職員の性格や態度、考え方に影響される部分は大きいですね。また、肝心の施設長の根本的な考え方、姿勢は、重要です。
福祉業界は、綺麗事を言っていては、ほとんど務まりません。それは今勤務されている職員の方々が、一番感じていることでしょう。
世間では、マスコミを中心に、暴力事件に対しては、こぞって批判記事を掲載し、施設の姿勢や職員の質、またその施設のやり方等を攻撃します。ゴシップ記事と同様、その方が読者からの感心を得られるためでしょう。
では、実際の状況を正しく説明しているのか?と言えば、全くです。
職員は、どんな環境で仕事をしているのか?利用している方々は、どういう方なのか?そして一番気になるのは、賃金・給料の問題です。
どれだけ、世間的な水準からすれば、安い賃金で重労働を行っているか?を、マスコミ等は説明しません。
ただ、事件事象だけが独り歩きしていきます。
もちろん、暴力は絶対にダメなのは、どの業界でも同じですが、最近はパワハラやセクハラ等、○○ハラという言葉が、大手を振って歩きまわっています。ハラスメントという意味合いは、それを行う側と受ける側の感じ方の違いも関わってきます。
それは、ある意味”いじめ”も同様だと思います。
受ける側が、そう感じればすべてがハラスメントになるのであれば、人間活動がほとんど意味をなさなくなってきます。
人間は、誕生してから死ぬまで、対人活動は欠かせません。対人は、常に様々な関係性を伴っています。それは避けられないものです。
そこで、自身の感じ方が重要になってきます。
嫌な人もいれば、好意を感じる人もいます。
ハラスメントは、その状況から考えて、明らかに威圧的・強制的・恣意的な要素があれば、
それが問題視されても当然ですが、実際はそういう状況でなくとも、勝手に自身が感じれば、問題化するという面を持っています。
仕事には、必ず指導される側とする側が存在します。仕事上では、その仕事に対する意識が高ければ、それが威圧的であろうと、強制的であろうと、受け入れる部分があると思います。(自身のために重要な意味があると感じれば、余計に)
逆に、仕事上、やりたくない時、自身の評価が高い時や、あまりその仕事に対する思い入れがない場合等、同じ言葉を投げかけられても、それがハラスメントと感じかもしれません。
しかし、世間的には上記と同じハラスメントと判断されてしまう傾向があります。
一般の仕事上は、比較的それが判断しやすいですが、これが障害者の業界での現場では、そうはいかないのが問題です。
例えば、対象の方(利用者)を前向きに支援していても、厳しすぎる、言葉が悪い、やり方が・・・等、非難されます。10年以上前に、この業界では「指導」という言葉がなくなり、「支援」という言葉に成り代わっています。私は今でも「指導」でいいと思う部分もあります。(もちろん「支援」という部分もありますが)
「出来るようになる」ために「支援」するのか「指導」するのか・・・。
それは、行う側とそれを受ける側の感じ方次第でもあると思います。
「支援」という言葉の中には、受ける側の本人が「能動的」(「自分から動いていける)か「受動的」(言われて初めて活動する)かの違いがありますね。「受動的」な場合は、指導を受ける状況にもなると思います。
例えば、こんな例は・・・
成人入所施設では、基本18歳以上の方なんですが、支援学校を含め自宅でも、衣類の着脱がほとんど出来ないまま来られた方もいます。
そういう方には、まず着脱の方法から”指導”します。
当然、衣類には表裏・前後があり、それを感じてもらう部分から始めます。(中には、分かりやすいように”印(しるし)”を入れたり、本人の前に分かりやすいように置くことも)
そこから”指導”が始まるわけですが、本人は当然、何をすればいいのか分かりません。
最初は、手助けをして、やり方・取り組み方を指導していきます。(ここで、今まで経験のない方は、拒否的な行動を伴ったり、中には自傷・他傷行為になる方もいます)
そういう指導の繰り返しを、長ければ何か月も何年も行います。
面白いのは、ある程度、この指導状況を繰り返した後、支援員がいない状況を作ると、勝手に着脱行為を行っているときも見られ(状況は陰で観察していますが)、常に傍についているばかりが、よい効果を生むと
はならないことが分かりました。
これは支援とか指導とかの言葉の選択ではなく、本人への能力の向上という目的であると思います。
施設での新人職員の方は、自分の経験ではほとんどが「支援」系でした。しかし、利用者については、方法論もあると思いますが、上記の例のように、やや「指導」的な要素が大きいと思います。「自身がどう動けばいいのか?」「今何をすればいいのか?」が分からないために、ほとんどが受動的な態度になってしまうためです。
「指導」だから、必ずしも”強制”ではありませんし、”威圧的”でもありません。
「支援」という名の、”強制”や”威圧”も十分にあるからです。
内容が、タイトルとは少々違う方向に行きました。次は、このタイトルに関する部分を書きたいと思います。