知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

友人の裁判、どうなるか?

2017年09月30日 | Weblog
さて、今月の行事も無事終わり、次は10月半ば(15日の日曜日)に開催される、地元の「市民福祉のつどい」(地元社協が主催)があります。


これは、基本 一般市民の方対象なので、各施設や作業所関係は、自身の施設等で制作している物品や作物等を販売します。

一応、施設・作業所を紹介出来る場面でもあります。



こちらは、特に前回のような作業所主体の様々な”縛り”的な決まりはないので、気軽に参加できます。


先日、イベントにて販売した「安納芋」を売る予定です。







友人の裁判も最終判決が近づいてきました。

すでに求刑は出されていますが、今までの何度もの裁判公判にて、多くの方が述べられてきたことが、全く反映されていません。



ほとんどつじつまの合わない事象であり、被告側の証言者の言葉は、すべて無視され、最初から”ある程度”の判決ありき・・・いわゆる検察側の言い分が通る・・・ような感じがして、非常に残念でなりません。


詳しい内容は、もちろん、まだ裁判進行中なので、書けませんが、例えば、原告側の子供が言ったことの信憑性は認められ、その事件での唯一の同室者の子供の証言(「被告・・・友人の名前・・・はやっていない」)は取り上げられない・・・そんな理不尽な話はありません。





おそらく、今月半ばに判決が下る可能性がありますが、最初から「犯罪者」を作る目的の裁判なのか? 今までの公判はなんだったのか?? いろいろな疑問が生じています。


こういう裁判は、(まだ判決は確定していませんが)今後の判例に利用される可能性もあり、決して許されるものではないと思います。



現在、様々な障害者施設や、老人介護施設等、マスコミが事件を面白おかしく報道してしますが、先日の相模原の殺人事件はともかく、施設職員というのは、どんな状況であれ、施設利用者を主体に考えて行動しています。

その中で、前後の状況や、その場面での状況、いろいろな要素が重なり、利用者や職員が思いもよらない事件に至る場合も多々あります。


事象のみを捉えて、職員が悪い・・・と言うのは、簡単です。


しかし、実際にその場面で何が起こったのか?を詳しく解いていくのが、裁判なのではないでしょうか?




今回の裁判を、何度も傍聴して感じたことは、裁判官もただの公務員でしかないのだな・・・人の人生を左右する力を持っていても、それを行使するのは、大変な決断がいるのに、うまく検察側の状況説明を鵜呑みにして、大切な個人の人生を棒に振ることが出来る・・・事務仕事のひとつでしかないのかな・・・と思ってしまいます。


それは裁判官の途中交代(全員)を見ても分かるとおり、こんな(裁判所からしたら)簡単な事件はさっさと終わらせたい感じが、ひしひしと感じました。※最後の方の公判は、流れが出来ていたような感覚です。



もちろん、こういう言い方(書き方は)、真剣に業務を行われている裁判官の方々に失礼だと思います。この点は謝罪しますが、今回の裁判では、自身も同じ業界で働いていたこともあり、とても他人事とは言えない部分が多いですね。
(おそらく、こういう業界で勤務されている方は、多くは同じような状況にハメられる可能性は、ゼロではありません。それは、法人自体が職員を信用していないこともありますね。法人にとって、都合の悪い職員は、事件化して、追い出すことで、安定を保つ・・・そんな一時的なものなのでは。)



今回の事件も、そういう意味合いを強く感じました。

頑張っている被告本人、それを支えている周りの友人たち、彼のことを心配している”よく知っている”人たち・・・の陰で、ほくそ笑んでいる人間がいることに、腹が立ちます。



また、判決が下されれば、報告したいと思いますが、控訴等も含め、この裁判は長期化して、何が正しいのかを明らかにしていく必要があります。

今後の、この業界のためにも・・・

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無事にイベントが終わりました。

2017年09月25日 | Weblog
昨日、地元の作業所系団体が共同主催するイベントが行われました。



天候もよく、例年よりも2週間ほど早い開催だったにもかかわらず、結構関係者等の多くの方が来られました。ありがとうございます。




あくまでも、共同開催とはいえ、私の勤務する作業所が参加する部分は、売店(焼き芋と生芋の販売)とステージ発表のみです。

ステージ発表も、一応参加希望者のみになりましたが、約半数のメンバーが参加し、盛り上げてくれました。


また、焼き芋と生芋の販売ですが、何度か投稿させていただいていた写真も含め、今回の開催時期が例年より、少し早いこともあり、やや小ぶりでもありましたが、焼き芋にするには(食べる際にも)ちょうどいい大きさだったかも・・・。

熱いので、持って食べるには、大きいと食べにくいようです。


また、生芋もそれなりに売れていたようです。(こちらは、持ち帰りが重くなるので、やや心配でしたが、ほとんどが自家用車で来られていたので、心配するほどではなかったようです。)




こちらの販売ブースは、メンバーさんの中で、いつも車椅子の方や、ステージ発表には参加しない比較的高齢の方が、専任でやっていただいています。そのため、毎年のことで、お客さんとのやり取りや、呼び込み、お金の受け渡し等、慣れたものです。

私も隣でお手伝いをしましたが、任せられるので、安心して見ていました。



写真も撮ったのですが、なにぶん 様々な方の顔が写ってしまい、少々投稿には向いていない写真ばかりで、残念ですが・・・。





さすがに焼き芋は、若い女性の人気が高く、ほとんどが(8割くらい?)そんな感じでした。ちょうど、元利用者の奥様が来られていて、お手伝い願い、より売れ行きがよかったように思います。(感謝です)




最近は、コンビニ等でも、「安納芋」系のお菓子が売られています。時季的なものもありますが、確かに非常に甘い種類ですね。(私も実際に収穫して、それを感じました)






さて、イベントのほうですが、全体的には、今年はスムーズに進んでいたとは思います(各係の主にあたる方々の動きが重要)。

ただ、いつも思うのですが、大きなイベントにも関わらず、マスコミ系にはほとんど話題にのっていないのも、大きな課題かも・・・。アピールの下手さが、この辺りに出ているようで、せっかくの場面をみすみす逃している感じもします。



また、ステージの方でも、各作業所のメンバーが楽しく踊り歌っていましたが、途中一番いい時間帯に、わざわざ「障害者権利条約」等の説明を長々とし、一般の方のアンケートでの周知の無さが明らかになっていましたが、この辺りが、相変わらず「福祉」の偏りを物語っているなあ・・・と感じました。

結局、主催者側の大元の方は、その部分を自分たちの側からしか見ていないため、世間的な見方が分かっていないな・・・と思います。(つまり視野が狭いのかも)



自治体や各地元の政治家等の来賓もありましたが、あくまでも形式ばったもので、中身のない挨拶が(相変わらず)延々と・・・。




来客の様子を見ていましたが、例年開催をしている地元の方は、比較的安く販売されている野菜等を購入に来られた方(ただ、地元も農家が多く、それほど珍しくないかも)、関係者等の知り合い、友人、施設・作業所の職員関係の方等、どこかで見たことのある顔ぶれが多かったようです。


例年は、この開催場所が、地元の運動公園・体育館棟がある施設のそばなので、何か大会等があれば、その帰りに寄っていただけますが、今回はそれも・・・。また、例年の時季なら、地元のコスモス園を見学に来られる方もいますが、これも少し早くて・・・。




まあ、結局はいつも通り”内輪受け”のイベントに終わったようです。主催者側は、それでも大成功・・・と満足のようですが・・・。



私も、このイベントは(以前の職場での参加も含め)3回目になりますが、満足感には程遠い感じはしました。




私の勤務する作業所の施設長も、毎年言っているようですが、参加する意味が見当たらない・・・ということで、来年は不参加でもいいのでは・・・?と思います。参加することで、得るものは何もないな・・・というのが本音です。
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施設職員が精神的に病んでいくのは・・・?

2017年09月21日 | Weblog
施設職員に限らず、世間では、自身の仕事についていて、そのまま精神的に病んでいく方も多いですね。


ようやく、最近になって、世間から認められてきたため、問題化されてきましたが、以前は自身の問題として、解決出来なければ、そのまま転職、退職等になっていくパターンが多かったわけです。



施設職員以上に、精神的に病んでいる業界が、教育関係ですね。


ところが、こちらは公務員という前提があるため、一旦精神的に病んでも、病休という方法で(ある程度の給与をもらって)休めるわけですね。私の友人にも、そういう人がいました。数年間病休扱いで休んでいましたが・・・。(他の業種についていた、もう一人の友人が、その彼を前に、「公務員はずるいなあ」「一般なら、速攻退職か、首なのに・・・」と言っていました。まあ、その通りなんですが・・・)


私の元奥さんの職場・・・支援学校・・・でも、多くの精神的な病で休んでいる先生?が多いそうです。それは、当然、他の教職員に負担が生じます。未だに、よくその件でぼやいているのを聞きます。




さて、問題の施設職員の精神的な病ですが、前回の投稿でも、その原因は様々であることも書きました。(逆に言えば、精神的にある程度強くないと、こういう業界では生き残れないかもしれません。)

ただ、一番の問題は一番上の施設長なり、理事長なり、管理職が、その件を理解し、その対応をうまく図っているか・・・ということです。


おそらく、ほとんどの施設ではなんの対応も出来ていないと思います。




自意識過剰な方や、自己評価の高い人(職員)等は、なぜ自分がこんな扱いを受けるんだ!と自問自答になり、周りの職員とも、関係がギクシャクし、最後は恨み辛みを残して職場を去っていく・・・そんな状況に陥る場合も見られます。


現在は、精神的な病に陥った場合は、診断書という必殺技を使って、休むことが出来ます。(もちろん、事故や怪我、身体の病気等での休みは仕方ありません。)


それも、職場に大きな迷惑をかけて、平然と多くの給与をもらい、休んでいるわけです。



精神病に陥った人間の気持ちが分かっていない・・・とお叱りを受けるかもしれませんが、ホントに精神的に病んでいるなら、普段の行動はどうなんでしょうか?


休む間に、徐々に復帰に向けて回復出来ているのでしょうか・・・?(投薬も含めて)


自分なりに、精神的に強くなる努力はされているのでしょうか?




今回、職場でもそういう事象が生じました。詳しくは書けませんが、当事者が、職場に迷惑をかけている意識は、ほとんどありません。それ以上に、なぜ自分がこういう処遇になったのか?が理解出来ていない部分もあるようです。

変な話、私のようなパートの職員が、正職員(その休んでいる職員)以上の仕事を行い、結果給与は休んでいる職員の半分程度です。

そういう部分は、仕方ないと思いますが、(そういう契約で勤務を始めたので) 本当に病んでいるなら、復帰が無理と考え、自主退職していただくほうが、職場も今後について考える(新たな職員の確保等)余裕が出てきます。一応、規則的には、その病休状態(言わば、診断書が継続できる期間)のまま、1年以上は職員として存在出来るようですね。




以前にも、私の作業所の対応している方(利用者)は、三障害で、その中でも、精神障害の方は、今回の件でも冷静に観察されていて、「診断書なんて、簡単に書いてもらえますよ。ちょっと大声出したり、不安定なフリをしたらいいだけです」と言っておられたのが、意外でした。

もちろん、今回の職員がそういう方法で診断書を提出されたわけではないですが(誤解が生じますね)、事件が起きた段階で、自身の責任や業界に対する不適応さを感じておられれば、こういう事態にもならなかったと思いますが、自己評価が高いのか?私は悪くない・・・という主張ですね。


・・・だのに、なぜ私が処分なれなければならないのか・・・?私が正しい・・・と思っておられるようです。


また、頑張ってるのに・・・という意識が、精神的に病む結果になった・・・ということです。







最近は、各施設でも、職員の行動や言動についての見直しがなされています。過去に、厳しい言動や、明らかに暴力的な対応をしていた部分もあり、いい意味での正しい対応方法の確認ですね。

この流れは、いいと思いますが、利用者の言動は、すべてが正しい、利用者が職員よりも大切だ・・・という変な考え方が、少し蔓延しているのは、少々嫌な流れでもあります。



障害者の方は、出来るだけ世間で一般の方と一緒に生活出来る環境整備や、意識の変革が重要なのは、分かります。


世間で一緒に生きていくことは、当然社会のルールや、お互いを大切に考えるという、基本的な部分を理解する必要もあります。障害者だから、世間に迷惑をかけていいとは言えません。

一般の方が、障害者の状態を理解し、受け入れ、また障害者は世間で生きていくルールを学ぶ・・・こういう社会になっていくことが、大切ですね。




そういえば、私も過去の就業していた施設からの、厳しい仕打ち等を考えると、よく精神的に病まなかったなあ・・・と思います。

まあ、ある意味、精神的には強かったのかもしれませんね(笑)

一部の3年以内の若手職員(2名ほど)や、バカな管理職以外の、多くの他の職員からの信頼の言葉や、協力的な態度が、救いだったのかもしれません。私が死ぬまでには、私の退職に至る不当な過程を明らかにしたいものです。(んんん・・・まだ、こだわっているのかな・・・しつこいね・・・早く忘れたいです。)
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施設職員の精神面のケア、その対応は・・・?

2017年09月20日 | Weblog
世間的には、底辺の労働と言われている私たちの業界・・・。


言われると、確かに3Kならずも最近では5Kとも思える、労働環境。施設法人は、ほとんどが「ブラック」的な職員の扱い方が多いですね。



それでも、なぜ多くの方がこの業界で勤務しているでしょうか?


他の業界で働けなかったから? 福祉の意識を重視して、勤務している方、たまたまこの業界に接したから・・・? 様々な出会いが合っての、現在の勤務と思われます。




世間では、こうした職員の過酷な労働環境については、(特にマスコミは)全く言及しません。むしろ、何か暴力事件やトラブルが起きた際だけ、いかにも職員や法人の対応が悪かったかのように、騒ぎ立てます。マスコミや世間は、現状を知りません。また知ろうともしません。

ましてや、その中で働いている職員の、労働環境やその精神的な苦労も知りません。



多くの方が、障害者の対応や”職員への”虐待(職員が利用者から受ける暴力や精神的な影響は想像を絶します)から、精神的に大きな負荷を受け、それにより病的に病んでいく方も数多く見られます。(この部分は、福祉法人や、この業界特有の「福祉」的な部分や、「障害者を大切に」等の、綺麗な言葉を並べることで、打ち消されています。)



労働基準局(以下、労基)は、一応労働者の味方のはずですが、一歩間違うと、法人の敵にもなります。


施設関係で、精神的に病んだ職員が駆け込むのも、この労基です。



ただ、よく調べもせず、裁判になる場合もあり、その当事者の事情や労働状態、他の職員との関係、この業界での適正等、ただ精神的に病んだ原因を、施設の職員間の環境・・・と結論づけることも多いようです。
そのため、法人との裁判をすれば、ほとんどが法人の敗訴になっています。


ただ、こういう裁判になった場合、その当事者の方は、再就職はほとんど望めませんが・・・。




いろいろ考えると、はたしてその段階に至るまでに、施設や法人は何をしてきたのか・・・?という疑問が生じます。


つまり、職員の精神的なケアは、なされてきたのか・・・?という部分です。




私も、過去に障害者支援施設の管理職を25年以上経験しました。
そのため、多くの新規採用者(途中採用も含め)の面接も、多く経験しました。

様々な業種から来られます。(元教員関係等なら分かりますが)全く、異なった業種からの面接も多いですね。そのため、まずはこの業界の説明からする必要があります。

ましてや、知的障害者の方との、接触がほとんどなかった方が多いため、その部分から始まりますね。



新たな業種で、驚きと新しい発見、障害者の方の様子で、そういった意味で対応される方は、この先も期待が持てますが、実際はどうしていいか分からない、怖い、思うように行動出来ない・・・等、徐々に精神的に病んでいく方も見られます。


私の場合は、障害者の方の観方、観察の仕方を、まずは指導します。そして、先輩職員の対応方法を観察し、自分なりに試みるように話します。


また、早い関係性を作るように支援します。




それでも、ホントに無理な方は、おそらくこの業界には不向きな方なのでしょう。そういう方も少なからずいます。
あえて、そういう場合は、引き止めずに、自身で判断してもらい、早めの決断を促します(継続するのか、去るのか)。


しかし、中には自身の評価を高く持たれる方もいます(自信過剰、他の職員に出来て、自分に出来ない・・・はずがない。なぜ、自分が頑張っているのに、利用者は分かってくれないのか・・・?等々)。

こういう方は、下手をすると悪い方向に向かいます。



施設や法人には、不必要な職員でもあります。



かえって、こういう人物の方が、精神的に病んでいきます。

また、必要以上に真面目すぎる方、目先のことしか見えない、視野の狭い方、責任能力の低い方、一時的な勤務の方(すぐに辞めるし、長続きする気ない・・・と思っている方)。


こういう方たちも、不必要です。むしろ邪魔にもなります。(他の職員にとっても、利用者にとっても、迷惑にもなります)




この業界では、精神的に病んでいる方(職員)は、(すべてがそうではないですが)自身に問題をかかえる場合が多く見られますね。早めに対処していただければ、いいのですが、ダラダラとその状態を長引かせることは、周りにも悪影響も与えますし、自身にもよくないと思います。


精神科の医師は、こういう環境(施設等)での労働が、そうした精神的な病気を発症することは、十分に理解されていないのでは・・・と感じます。

そのため、原因を職員間の問題や、施設環境の問題、法人管理職の対応の悪さ等に、持っていくことが考えられます。



根本的に、本人の問題なのでは・・・と感じますが・・・。



ここまで、少しまとまりがなかったのですが、

実は、現在の勤務している事業所でも、同じような問題が生じています。そのための問題提起でもあります。
それについては次回・・・。
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もうすぐ作業所共同イベント

2017年09月17日 | Weblog
来週の日曜日、そう後1週間後に、地元の作業所共同開催のイベントがあります。


もっと宣伝してもいいと思うのですが、一番の主催団体が、そのあたりの立ち回りが下手なのか?この業界では有名でも、一般世間には、全く浸透していません。(世間に対するアピール・・・これが一番大事だと思うのですが・・・)




参加・不参加について、悩みながら、結局他の共催作業所団体に半ば強制させられて、今年も参加??の方向へ・・・。
ま、参加するには、一応やることはやろう・・・ということで、昨年同様、サツマイモの販売をします。


何度か、このブログでも紹介した畑でのサツマイモの状況ですが、今年は少しこのイベント開催時期が例年より早く、そのため販売する予定のサツマイモも、その時期に合わせて、早めに収穫しました。つまりやや”こぶり”になりました。
(2,3週間早めですね)



先日、作業日の翌日(休日に全員出勤・・・メンバーも)に、多くのメンバーと一緒に収穫に行きました。


天気のいい日に、外で干します。(今回で2回目)









このサツマイモは、安納芋という種類ですね。
甘さが結構ある種類ですが、収穫時にも、周りにアリが寄ってきてました。


メンバーの話によれば、例年はもう少し量が多いそうです。さすがに今年は、収穫も早く、やや小さめだ・・・とのことでした。




今週中に、天気が良ければ、後2回ほど日干ししたいとは思いますが・・・




当日のイベント時には、実際に焼き芋にしたものと、そのままの芋を販売する予定です。







さて、作業所現場ですが、ときどきトラブルが見られることが増えてきました。

それは、職員側の慣れと、メンバーの人数が増え(私が勤務しだしてからでも数名の新たなメンバーが加わりました)、その間でのお互いの関係がうまくいかないためのトラブル・・・が多いですね。また職員とメンバー間の信頼関係もあります。


前にも書いた通り、3障害対象なので、精神・身体の方の中には、年齢が高い方も多いですね。(特にこの作業所開設時からおられる方等)


私などは、結構年齢も高いためか、ある意味同じ世代の方も多く、それほど問題視されてないようですが(メンバー談)、いわゆる若い職員(30歳前半)は、対応の仕方、年齢の上の方との会話等、やや気が付かない面があるのか、その部分で、苦情が出る場合もあります。


何か間違って意識しているのか?職員であっても、同じ作業所で仕事をしている仲間的な意識があれば、いいと思うのですが・・・。



この数か月は、特に、私はパート勤務扱いなのですが、納品に行ったり、新たな製品(部品)を納入したり、検品もしたり、細かい指示も出したり、また介護ベッドの関係の仕事もしています。
今回の畑での作業も、ほとんど参加しています。
その様子を、メンバーも見ているため、一応”頑張ってる”(自分が思っている以上に)感覚で接してくれています。


この状態がいいのか、悪いのかは、判断しにくいですが、ある意味 メンバーとの信頼関係にもつながっているのでは・・・と個人的に思っています。




私も、長いこの業界での勤務から得た経験や、知識を、少しでも若い世代に引き継ぎたいな・・・と考え、話もしますが、今の30歳代の若者?は、受け入れは、半々なのが残念です。

そんなもんかな・・・と、思っていますが、若い障害者の方と、年齢を重ねた障害者の方との対応も、よく考えて行ってほしいとも思います。
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支援学校出身者の傾向?

2017年09月06日 | Weblog
私の勤務する共同作業所は、3障害の方を対象にしています(精神・知的・身体)。


そのため、それぞれの障害を持つ方の間で、様々なトラブルが生じます。ほとんどが、お互いを理解しあえない・・・という部分が多いのですが・・・



精神障害・身体障害の方は、知的には問題がない方が多く、むしろ一般の方に限りなく近いと感じます。


しかし、知的障害を持つ方は、その部分では(しかたないのですが)やや劣る部分が見られます。こういう言い方も不適切なんですが、実際に接していると、それを敏感に感じます。




過去には、その知的障害者の入所支援施設で、長年勤務してきた自分なんですが、現在の勤務の現状では、それぞれの方に適した対応が必要になります。つまり会話の中で、精神・身体の方とは、世間的な会話が出来、冗談も加えての接し方が出来ます。

逆に知的の方は、会話の理解力という意味では、不十分なのですが、ただ他のメンバーの方の影響もあり、自分なりに理解しようと努めています。(分からないときは、素直に言ってくれます)



職員側も、その点は十分に把握して、それぞれの方に分かりやすいような対応を心がけます。



ただ、同じ仕事内容(作業内容)を一緒にこなしているため、どこかで不都合が生じます。仕事(作業)についての説明の仕方や、こなせる部分のレベル、密度、量等・・・



今でこそ、お互いが長い時間を経て、徐々に理解しあえるようになってきましたが、精神・身体の方が、知的の方の無神経な言葉に振り回されることもしばし・・・。大きなトラブルになることもありました。(こういう場合、精神・身体の方が態度を控えたり、あえて避けるような状況になります。精神の方は、それが原因で通所されないこともありますが・・・)






こういう共同作業所に通所される知的の方は、ある程度、レベルの高い作業内容もこなせる方が多いですね。

また、知的の方は、ほとんどが地元の支援学校出身の方が多いですね。(少し年齢が高い方は、養護学校名時代の方もいます)



作業をこなす部分や、普段の様子については、それほど大きな差は見られません。むしろ、支援学校時代に、様々な障害を持った方と接していたためか、身体障害の方には、職員以上に丁寧なケアもしてくれます(非常にありがたいですし、感心する部分ですね)。


これは、支援学校時代に経験したよい部分ではないかと思います。


一番、気になったのは、支援学校時代の雰囲気の問題なのでしょうか?イベント事に対する積極的な姿勢です。おそらく、支援学校時代でも、レベルの高い位置にいたのでしょう、クラスやグループの代表への意欲的なアプローチが見られます。


ただ、それはあくまでも雰囲気的な部分で、内容は伴っていません。(支援学校では、教員の方からの支援が十分にあったためかも?)



代表に積極的に手を挙げて、代表になる・・・実際に、何をするのか分かっていない・・・難しい内容を要求されると、拒否する・・・代表だが、中身のある意見や自信は見られない・・・等々の違和感があります。


今回も、地元作業所関係の大きなイベントが開催されるのですが、私の勤務する作業所は、あくまでも共催側・・・いわば協力して盛り上げていく立場でいいのですが・・・。



そういう場面で、過去の支援学校の雰囲気を思い出したのか?代表の立候補を挙手したメンバーがいました。(まあ、その態度は問題ないのですが、今回については責任感は持ち合わせておらず、雰囲気や前に出たい・・・という本人の意思からのようです。)



本人にあとで尋ねると、本人の母親からも、「あなたはいつもそうやって、挙手して代表になることをするけど、悪いクセだよ。代表になる意味を分かっていない・・・責任を持っていない・・・」と注意されたそうです。



確かに、代表挨拶もする必要があり(大勢の前での挨拶、この大きなイベントでの責任感)、その練習もしていますが、短い文章の代表挨拶文(職員から渡されたもの)を、未だに見ながらでないと挨拶できません。(つまり、下向きになり、声もボソボソ・・・自分の言葉として、挨拶が出来ていない・・・)


それで十分じゃあないか・・・という方もいます。(職員の方でも認められているようです)




しかし、私も過去の入所支援施設での代表者の挨拶では、そういう姿勢・態度は不十分だと思います。



支援学校出身者が、数名おられます。現在、20歳代から30歳代前半の方がほとんどですが、はやり他のメンバーの方も、同じような傾向が見られます。


代表になる意味や、責任感、意欲的な態度の取り違え・・・




イベントでは、各施設・作業所のステージ発表があるのですが、こういう部分は、精神・身体の方は拒否感が強く見られます。逆に、支援学校出身者の方は、非常に意欲的です。


年齢的な部分(若い方と、すでに中年世代以降の方の差)もあり、昼休みに強制的な練習があり、精神の方から、強い不満・苦情が出ました。そのため、現在は自由参加の形で、15分程度の練習になっています。





こういうところが、3障害の施設(作業所)の一番難しい部分だと感じました。


私は、職員ではありますが、こういう場面では、第三者的な視点で観察しています。(身体の方が言うには、「最近はまだこれでも静かになったくらいだよ。」とのことです。)





お互いの特性を理解し、共同で作業を行う・・・書くのは簡単ですが、実際の現場では時間がかかりますね。
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最近、感じたこと・・・

2017年09月04日 | Weblog
久々の投稿です。


共同作業所のパート職員として、日々、様々な業務を行っていますが・・・


精神障害者の方から、こんなに走りまわっているのに、そんなに給料安いの・・・と同情されてしまいました。(特に正規職員のほうが、働いていないイメージがあるようです。まあ、仕事内容の違いからか、私は肉体労働や公用車での移動が多いため、目立つのもあるでしょう・・・)




今回は、そんな話ではなく、肉体労働の一部でもある”社会福祉協議会”の委託業務の「介護ベッド」の納入・回収の仕事の話です。



介護ベッド・・・というと、いかにも歩行が困難になった高齢者(老人)の使用・・・というイメージがありますが、最近は様々な方が使用されています。

確かに上記のような高齢者の方の使用は、数的には多いですが、脚を怪我された方(これは年齢に関係なく)、一時的な病気治療のための措置・・・等、上下動がリモコンによりモーターで可動するため、便利ですね。


当然、本体は丈夫な金属製で、モーターも付いているため、運搬は重いです。



私たちは、そういう専門業者ではないので、あくまでも社協の委託業務です。


作業所勤務の職員は、若い方もいますが、運搬労働、いわゆる力仕事なので、私たち丈夫な高齢男子職員が行っています。(61歳ですよ・・・笑)




今日も、1件委託があり、納入及び回収を行いました。


私は、この作業所勤務を始めて、すでに10か月が経過しました。

この介護ベッド業務も、10回程度行っています。



なかなかの力仕事ですね。(そういう意味では、若い職員の方が、ただ座って、メンバーと楽しく話しながら、内職的仕事を・・・同じ時間帯に・・・行って、同じ給与・・・いや、向こうの方が高いかな・・・もらっているのは、不自然かも・・・)




違う違う・・・今回は、そういう愚痴ではなく、納入・回収の際に感じたことを書きます。



近距離の場所から、はるか遠くの山奥の地まで、様々なところからの委託があります。(一応管轄範囲は、同じ自治体内ですが)


距離は1キロ程度から、15キロ程度まで・・・。また時間にして、5分で行ける場所もあれば、1時間以上かかる場所もあります。(同じ市内でも広いですね)



その委託された場所も、普通の一軒家からマンションの上階まで、これも様々・・・。


近くに駐車場がない場所や、運搬用の公用車が入れない場所もあります。(この場合は、力仕事の疲れが倍増します)




当然、道路も狭い場所もあり、近所やお隣さん等、気を遣いながら駐車します。





特に、こういう点で感じたことは、介護ベッドって、いつかは自分自身も使用する可能性があるということですね。(私も含め)


また福祉団体の公用車(法人名や作業所名が書いてあります)が駐車するには、それなりに理由があると、普通なら思いますね。(常識のある方なら)



納入・回収は、複数でない限り、30分程度内で終わります。(早いときは15分程度)



こちらも十分に道路状況等に気を遣いながら、(当然、重いものなので)出来るだけその委託された住居に一番近い場所に駐車します。




今日も思ったのですが、住宅街で少し狭い道だったためか、1台の車がやってきて、クラクションを鳴らしました。運転手である自分は、すぐに移動させましたが、ただ今回の場所は、すぐそばに迂回できる道路があるのです。10mほどバックすれば、すぐに迂回できるんですが・・・。


何を思ったのか、非常に険しい顔つきで、「すぐにどけろ!」と言わんばかりにクラクションを鳴らしています。近所の方ならば、仕方ないかな・・・とも思いますが、そうでもなかったようで・・・。


その運転手が、またそろそろ介護ベッドも必要な・・・これは偏見かも、失礼な言い方ですが・・・年齢の方でした。


公用車から介護ベッドも見え、運搬中にも関わらず、そういう態度は、大きな疑問を感じました。




もちろん、(本心ではないですが)笑顔で「すみません」と言い、移動させましたが・・・




また、以前もホントに奥まった住居の場所への運搬があり、公用車が入れない場所・・・つまり、長い距離を重いベッドを運ぶ必要がある場所・・・がありました。


この際も、すぐ近所の方に、お願いして一時的に駐車を依頼したのですが、厳しい口調で断られました。(ほんの15分程度の駐車なんですが・・・)



結局、遠い場所から運んだのですが・・・



この時も、断られた方は、もうすぐ必要になるかも・・・という高齢者の方でした。



思うのは、お互い様・・・という精神が、最近はないのでしょうか? それも若い方ならば、そんな先の話は知らない・・・と言えば、しかたないな・・・とも思いますが、先ほどから何度も
書いているように、そういう(冷たい)態度を取られるのが、比較的高齢者の方が多いのが、ホントに悲しいです。



皆さんなら、どうされますか?




ここ最近は、世間が冷たくなった・・・と言われます。でも、私はまだまだ、人間捨てたもんじゃないな・・・と思う場面も見かけます。


小さなことかもしれませんが、お互いがあって、考えながら生きている世の中であってほしいですね。
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