今週の話題はもっぱら「ケータイカンニング」。
このニュースを知った時、私がまず思ったことは「ケータイ持ち込めるんだ。それじゃいくらでもカンニングできる」。
大方の大学の対応は、ケータイは電源を切ってカバンに入れて、前後の机に置くか、足元に置くというもの。
隠し持っていても身体チェックをするわけじゃないから、わからない。
ケータイというものはあればたしかに便利。不都合な事態が起きた時、すぐ連絡すれば解決したり、相手が安心できたりする。
ニュージーランドの地震では語学専門学校の引率教師からいちはやくメールが送られきた。
しかし無くても日常生活に特別支障があるわけではない。だけど今は受験生のほぼ全員がケータイを持つ時代。これをやめろというわけにもいかない。
テレビのワイドショーでは、コメンテーターの大学の先生は「入学試験の監督なんていい加減なもんですよ」と言っていた。
そういうスキを突かれたらしい。
この受験生は、はじめから自力で問題を解くことは捨てている。いくら文字打ちに慣れているとはいえ、人の目を盗んでの行動だからやはりカンニングに集中する必要がある。
私が驚いたのは、知恵袋というサイトに投稿すると、試験時間内に解答がちゃんと返ってきていたこと。
誰が回答してくれるんだろう。予備校や塾の教師か。それとも来年の受験生が腕試し?
それにしてもこういう事件が起きるのは日本の大学受験の「一発主義」が遠因ではと思う。
理科系のコースだと、入ってしまってから「自分はどうやら間違った方向に迷い込んだらしい」と気づいて、他の学部・学科を受験し直したり、あるいは転科の可能性を探ったりする学生もいるようだけど。そうしないととてもじゃないけどついていけないし、やっていられない。
文科系だと、一旦それなりに名の通った大学に入ってしまえば、何とかやり過ごして、就活につなげることもできる。
この事件を受けて掲載された信濃毎日新聞の社説は当を得ていると思ったので、その要旨を書いてみる。米国の例を挙げて、
米国では個々の大学が入試を課す例は稀である。
一年に数回受験機会がある共通試験の成績で入学できる大学が決まる。高校の成績も重視される。
最初は希望の大学に入れなくても、別の短大や大学から編入するのが日本よりずっと容易だ。
入学要件がゆるいコミニュティーカレッジから大学に編入する学生も少なくない。
日本でもこの機会に受験制度や大学教育の仕組みについて抜本的な見直しをすすめてほしい。以上のような内容だ。
これに加えて、北欧などで取られている教育の無償化を進めれば、学びたい者がその意欲と能力に応じて進学できる。
ひいてはそれが社会に力強い次世代を送り出すことになる。
また社説は今回京都大学が取った、警察に被害届けを出し、警察にこの問題の解決をゆだねた態度を批判している。
まず大学独自に調査をし、その上で関係機関(サイト運営会社や携帯電話会社等)の協力を得て、受験資格停止の処置でよかったのではないかと言う。
逮捕は行きすぎ。たかがカンニング。ペーパーや替え玉がネットに変わっただけのことで、微罪である。