日本人にとって8月は特に70年前の「戦争の加害と被害の記憶」を直視する(せねばならない)月である。
「松代大本営地下壕」の入り口看板、長野市が「強制的に」の表記を覆っていたことがわかり、問題になっている。
私は真田10万石の城下町だった長野市松代で史跡案内のボランティアガイドをしていて、長野市が管理する史跡としての松代地下壕の案内もしている。が、毎日するというわけでもないので、案内看板にテープが張られていたことにまでは気づかなかった。
このニュースを知った時、「従軍慰安婦に軍の強制を示すものはない」という主張と同質のものを感じた。
市の説明では昨年の8月に市の観光振興課の判断で、テープを張ったのだという。
外部から「全員が強制的に働かされたわけではない」という指摘が複数寄せられ、こうしたわけだが、そこにいたる説明は何もなされてはいない。
狭い意味での強制があったかどうかが問題なのではない。日本は当時、朝鮮を植民地支配下に置き、朝鮮人達の財産や土地を不法に奪っていたわけで、そんな状況の中で、生活のためにやむなく日本に渡って各地の工事現場で働いたというのがいわゆる「自主渡航」と言われるものであり、「募集」、「官斡旋」、「徴用」と形式の違いはあっても広い視点からみれば「国家権力による強制連行」以外の何物でもない。戦争遂行のための動員であり、工事であり、単なる「出稼ぎ」とは違う。
「従軍慰安婦」も業者を使っての連行であり、証拠文書がないからといって、日本軍の、そして日本政府の責任がまぬがれるわけではない。
こうした「いちゃもんをつける」ことは「大人げない言い訳でしかない」。
だいたい現在の日本人は朝鮮を植民地にして不当に支配したことを知らないか、忘れているのではないかと思うほど、週刊誌等のひどい報道ぶりだ。
こんな日本を、そして政治のトップをアジアの人達は呆れて見ているはずだ。そのことにまるで気づかないとは哀れにも滑稽な現在の日本。
「松代大本営地下壕」はもうすでに敗戦が必然の状況になってなお「国体の護持」、すなわち天皇制軍国主義による支配にこだわった権力者達が、沖縄での地上戦で、沖縄県民に犠牲を強いて時間稼ぎをし、その間に昼夜2交代の突貫工事で掘り進めたものなのである。
集団疎開からも取り残された肢体不自由児学校、東京都立光明学校。
当時日本で唯一の肢体不自由児の学校の校長の疎開先を求めての奮闘ドキュメント。(NHKETV)
肢体不自由児は将来の戦闘員として役に立たないという理由から疎開先を紹介してもらえない。
松本保平校長は、児童を受け入れてくれる先を求めて、長野県の上山田温泉にやって来る。
最初は断わられるが、熱心に足を運び、それが温泉組合の人達を動かし、拒んでいた町長も周囲の説得で、自ら経営する旅館を児童達の受け入れ先として提供することに。現在の上山田ホテル。
東京の世田谷にあった学校で集団で暮らしていた児童達だったが、上山田への疎開が完了した後、まもなく学校は空襲で焼失した。まさに間一髪児童たちの命は救われたのである。
長野県は満蒙開拓に全国で一番多くの人々を送り出し、軍政に協力、お上に従順の面と同時に多くの疎開を受け入れ、この光明学校もそうだが、漫画「カムイ伝」の作者白土三平のようによい思い出、貴重な体験を得た人もまた多くいた。
光明学校が戦後学校を再建し、東京に戻ったのは昭和24年であった。