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4月11日、慶喜が上野寛永寺で謹慎すると、幕府海軍副総裁の武揚は品川港を独断で出港する。この当時幕府方には最新鋭の開陽丸をはじめ8隻の軍艦が存在していた。途中、新政府軍に敗れた東北諸藩の人々を拾いながら、函館に入港して、五稜郭を占領する。しかし、寄せ集めの反政府軍は意思統一が困難をきわめた。そこで「公選入札」と言う、選挙が12月25日におこなわれるのである。
かくして、榎本は選挙によって、反政府軍のリーダにえらばれました。その選挙は幕府軍の士官以上のものによって投票されました。投票総数856票のうち
〇榎本 ―156票
〇松平太郎(幕府陸軍奉行」)―120票
〇土方歳三-77票
結局、榎本軍は敗れるのであるが、その後、罪をゆるされ、逓信大臣、外務大臣、農商務大臣を歴任する。
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