幕府の勘定奉行を務めていた小栗上野介は幕末に密かに金塊を埋蔵したという埋蔵金伝説が残っている。
3500石の直参旗本の家に生まれた小栗は32歳で目付になり、米国に渡り金銀の不平等交換比率を改める大仕事を成し遂げる。徳川幕府の重臣でありながら、日本で初めての株式会社の設立、幕府陸軍の様式化、製鐵造船所の設立などして徳川幕府の力を増強していたが、徳川慶喜が官軍と戦う気がなく、早期停戦を唱える勝海舟らと対立、小栗は罷免されてしまう。
官軍と徹底抗戦を唱えて徳川慶喜から罷免され、領地の上野国権田村に帰る途中、4月4日宿で捕縛される。東山道総督府軍の原保太郎により、烏川の河川敷に引き出され、家臣6名と共に斬首される。
高札には
右の者朝廷に対してたてまつり大逆を企て候、天誅こうむらせしものなり
近代日本を作った英雄の一人だが、教科書ではほとんど記述がない。
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