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大阪冬の陣で真田幸村が大阪城の外に築いた出城を真田丸といいます。豊臣方の真田幸村は豊臣秀頼を大阪城から担ぎ出して戦うように、淀殿に進言したが、はねのけらています。真田丸に秀頼が出陣していれば、徳川方についている豊臣恩顧の武将も秀頼に刃を向けることができなかったのではないかと思われます。幸村などの大坂方はよく戦ったのですが,天守閣に当たった大砲に淀殿がビビり、和議を受け入れてしまいます。この和議で堀を埋められ、大阪夏の陣では真田幸村は討死します。
幸村が人気があるのは徳川家康(権力)を何度も苦しめ、最後まで豊臣を裏切らなかった忠義が日本人を熱くするのでしよう。
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