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頼政はわずか五〇騎を引きつれ、似仁王(もちひとおう)のもとにはせ参じます。襲撃を受けた似仁王は女装して邸宅を脱出し平等院屋→興福寺へ向かう。途中の宇治川で頼政軍と平家側が戦闘を始める。
宇治川を挟んで弓矢の打ち合いが続くが、やがて平家軍は川を渡って平等院になだれ込み激戦のすえ、頼政は膝を射られ、自害を決意する。もともと頼政はこの戦いを兜無しでのぞんでいます。頼政の首は家臣が石をくくりつけ宇治川に流したが、清盛によって引揚げられ、高倉上皇に首を見せられたとされています。
頼政が命をかけて逃がそうとした似仁王も興福寺に向かう途中、南山城で命を落としています、
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