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明治22年に陸軍大学を卒業した明石はドイツに留学、明冶34年にはフランス公使館武官をへて、35年にはロシア公使館勤務となった。
明石は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を完璧にマスターしていたので、ロシア公使館勤務になった模様である。ここでロシアの反政府軍への支援活動や情報収集活動を行う。明石の諜報活動が日露戦争勝利へ具体的な、貢献度は疑問が残るものの、明治時代にこのような情報収集活動が行われていたことが重要である。
日露戦争終了後、明石は韓国併合に伴い、現地に赴任して、治安維持につとめた。さらに大正7年には台湾総督に就任するが、1年後に病で急死する。享年56歳であった。
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