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三笠は1902年(明治35年)にイギリスの造船所で作られました。艦上の兵器は当時世界最大の兵器メーカーのヴィッカーズ社が、装甲はドイツで開発されたばかりのクルップ鋼賀採用されました。このクルップこうはニッケル、クローム鋼の表面だけに焼きいれする方法で、的の砲弾に対して、抜群の防御性能を有します。
このクルップ鋼が日本海海戦の勝利の一因だとも言われています。東郷艦隊がT字戦法を取ったときに、三笠は敵艦から集中攻撃をあびます。このとき三笠は、16発を被弾、3番砲台を打ち抜かれ、死者も多数出した。しかしもちこたえます。
海線は1905年の5月27日の午後2時前に始まり、28日まで続きました。三笠はこの戦いで113名の死傷者、艦体も48発被弾、瀕死の状態で帰還しました。
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