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忠孝は深川天文台と自宅のある深川黒江町までの距離を測ります。天文観測の結果両地点の緯度の差は一分半とわかっていたので、その正確な距離がわかれば、緯度一度の距離を割り出すことができ、地球一周の距離も推測できると考えたのですが、両地点間の距離が短すぎた為、正確な地球の距離はでないことがわかり、江渡から蝦夷地ま出の距離が知りたくて、蝦夷地の地図を作ることを条件に、幕府の許可をえるのです。
忠孝はその後17年間も全国を測量し続け、文政元年(1818年)74歳で地図の完成を見ず死亡します。その3年後に弟子たちにより、大日本地図が完成しました。
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