文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

鈴木史郎さんのインタビュー特集こそが真実であり、朝日新聞などやNHKなどは愚かさの極みと言っても全く過言ではないことを

2019年07月04日 15時54分36秒 | 日記

鈴木史郎さんのインタビュー特集こそが真実であり、朝日新聞などやNHKなどは愚かさの極みと言っても全く過言ではないことを証明している日常に、読者も遭遇しているはずである。

今どきのスポーツクラブに平日の昼に行かれたことのある人は、殆どがお爺ちゃんやお祖母ちゃんたちで一杯である事を経験している。

そこで、一度や二度は、私と同様の経験をしているでしょう。

浴室を出て洗面台があるとしよう。そこで自分が使用した後の洗面台や椅子などを綺麗に拭いているのは、全員が、戦争世代のおじいちゃんたちである。

或いは、まだ濡れている箇所のある体で、ベンチに座ったりすると、「それはダメ…」と言って来るのも全員がお爺ちゃんたちである。当初は、内心、ムッとしたりもしたが。

戦後生まれで、戦後の教育を受けた人間は、私を含めて、誰一人、そのような事をする者はいない。

つまり、あのような規律正しさを、徹底的に教えこまれた人間達が、中国や朝鮮半島の、「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」による、反日プロパガンダのような行状をするわけはないのである。

戦後の教育をうけた者達が、連日のように、子供を虐待死させたり、卑劣な犯罪を冒したりしているのとは正反対なのである。

以下は前章の続きである。

ご長寿との楽しい出会い 

「からくりTV」の「ご長寿クイズ」は私か定年前から続けている私にとって大切なお仕事です。

これまでに388回放送され、一回あたり50人のご長寿の方にお集まりいただき、3回の予選を経てお爺ちゃんだけで1万2000人の方と出会いました。 

この番組でディレクターが期待していたのは、お年を召した方の天然なぼけ方やずれ方を出しながら、何ともいえない、視聴者を柔らかくくすぐるような笑いでした。

でも番組が企画段階で初めて話があった時、私は猛反対しました。 お年を召した方を笑いものにするような番組、とんでもないと思ったんです。

それでディレクターに「勘弁してください」と申しあげました。

でもディレクターは諦めずに「でも史朗さん、ともかく1、2回だけ付き合ってやっていただけませんか?それでもし嫌だったら言ってください」と食い下がって来られたので、渋々引き受けました。 

しかし、実際にやり始めたら、考えが変わりました。

「珍回答」「迷回答」を連発してくださる、好好爺のような様子のご長寿の皆さんがとても屈託ない表情で明るく楽しそうにはじけていたからです。 

私は古典的なアナウンサーの教育を受けましたから、おじいちゃんたちを笑いものにすることなどあってはいけない、と思って番組に臨んでいます。

本番中も私は笑ってはいけない、失礼だからと思ってぐっとこらえる場面が何度もあります。 

そういう雰囲気を保ちつつ、どんな「珍回答」にも何があろうと顔色をできるだけ変えずにクイズ最優先で番組進行していくのですが、そこに間髪入れずに別の「珍回答」が次々見舞う。

そのギャップが視聴者には鮮烈な笑いとなったのでしょう。

それに、あの番組は特にご長寿の方々に好評でした。

さらに番組に出てそれまでの車いす生活から自分の足で歩き始めた、とか痴呆が進んでいたのに改善した―といった話を聞いているうちに私の気持ちはすっかり変わってしまいました。 

大変な時代、歯を食いしばって生きてこられて、老いても子供や孫に迷惑をかけたくない、と思いながらつつましく生きているご長寿の皆さんにとっては普段、あのような特殊な楽しさを味わう瞬間はあまりないでしょう。

自分にテレビカメラが3台も向けられアップで取り上げる、自分が思う存分発散できる。そういう機会をテレビがつくってくれた。

自分の住所や名前が大きく記されたたすきを掛けて席に座ると、そこにはもの凄い照明が当たっています。

それだけでも日常ではあり得ない光景です。

そこにアナウンサーの私がどんと座って司会すると、完全に独特な状態になって、かちんかちんになるから、それであのような答えが次々と出てくるのだと思っています。

ただ、皆さん、あがってはいますが心底楽しんでいらっしゃるのです。

この稿続く。

 

 

 

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そこで自分が使用した後の洗面台や椅子などを綺麗に拭いているのは、全員が、戦争世代のおじいちゃんたちである

2019年07月04日 15時54分09秒 | 日記

鈴木史郎さんのインタビュー特集こそが真実であり、朝日新聞などやNHKなどは愚かさの極みと言っても全く過言ではないことを証明している日常に、読者も遭遇しているはずである。

今どきのスポーツクラブに平日の昼に行かれたことのある人は、殆どがお爺ちゃんやお祖母ちゃんたちで一杯である事を経験している。

そこで、一度や二度は、私と同様の経験をしているでしょう。

浴室を出て洗面台があるとしよう。

そこで自分が使用した後の洗面台や椅子などを綺麗に拭いているのは、全員が、戦争世代のおじいちゃんたちである。

或いは、まだ濡れている箇所のある体で、ベンチに座ったりすると、「それはダメ…」と言って来るのも全員がお爺ちゃんたちである。当初は、内心、ムッとしたりもしたが。

戦後生まれで、戦後の教育を受けた人間は、私を含めて、誰一人、そのような事をする者はいない。

つまり、あのような規律正しさを、徹底的に教えこまれた人間達が、中国や朝鮮半島の、「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」による、反日プロパガンダのような行状をするわけはないのである。

戦後の教育をうけた者達が、連日のように、子供を虐待死させたり、卑劣な犯罪を冒したりしているのとは正反対なのである。

以下は前章の続きである。

ご長寿との楽しい出会い 

「からくりTV」の「ご長寿クイズ」は私か定年前から続けている私にとって大切なお仕事です。

これまでに388回放送され、一回あたり50人のご長寿の方にお集まりいただき、3回の予選を経てお爺ちゃんだけで1万2000人の方と出会いました。 

この番組でディレクターが期待していたのは、お年を召した方の天然なぼけ方やずれ方を出しながら、何ともいえない、視聴者を柔らかくくすぐるような笑いでした。

でも番組が企画段階で初めて話があった時、私は猛反対しました。 

お年を召した方を笑いものにするような番組、とんでもないと思ったんです。

それでディレクターに「勘弁してください」と申しあげました。

でもディレクターは諦めずに「でも史朗さん、ともかく1、2回だけ付き合ってやっていただけませんか?それでもし嫌だったら言ってください」と食い下がって来られたので、渋々引き受けました。 

しかし、実際にやり始めたら、考えが変わりました。

「珍回答」「迷回答」を連発してくださる、好好爺のような様子のご長寿の皆さんがとても屈託ない表情で明るく楽しそうにはじけていたからです。 

私は古典的なアナウンサーの教育を受けましたから、おじいちゃんたちを笑いものにすることなどあってはいけない、と思って番組に臨んでいます。

本番中も私は笑ってはいけない、失礼だからと思ってぐっとこらえる場面が何度もあります。 

そういう雰囲気を保ちつつ、どんな「珍回答」にも何があろうと顔色をできるだけ変えずにクイズ最優先で番組進行していくのですが、そこに間髪入れずに別の「珍回答」が次々見舞う。

そのギャップが視聴者には鮮烈な笑いとなったのでしょう。

それに、あの番組は特にご長寿の方々に好評でした。

さらに番組に出てそれまでの車いす生活から自分の足で歩き始めた、とか痴呆が進んでいたのに改善した―といった話を聞いているうちに私の気持ちはすっかり変わってしまいました。 

大変な時代、歯を食いしばって生きてこられて、老いても子供や孫に迷惑をかけたくない、と思いながらつつましく生きているご長寿の皆さんにとっては普段、あのような特殊な楽しさを味わう瞬間はあまりないでしょう。

自分にテレビカメラが3台も向けられアップで取り上げる、自分が思う存分発散できる。そういう機会をテレビがつくってくれた。

自分の住所や名前が大きく記されたたすきを掛けて席に座ると、そこにはもの凄い照明が当たっています。

それだけでも日常ではあり得ない光景です。

そこにアナウンサーの私がどんと座って司会すると、完全に独特な状態になって、かちんかちんになるから、それであのような答えが次々と出てくるのだと思っています。

ただ、皆さん、あがってはいますが心底楽しんでいらっしゃるのです。

この稿続く。

 

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中国や朝鮮半島の「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」による反日プロパガンダのような行状をするわけはないのである。

2019年07月04日 15時53分08秒 | 日記

鈴木史郎さんのインタビュー特集こそが真実であり、朝日新聞などやNHKなどは愚かさの極みと言っても全く過言ではないことを証明している日常に、読者も遭遇しているはずである。

今どきのスポーツクラブに平日の昼に行かれたことのある人は、殆どがお爺ちゃんやお祖母ちゃんたちで一杯である事を経験している。

そこで、一度や二度は、私と同様の経験をしているでしょう。

浴室を出て洗面台があるとしよう。

そこで自分が使用した後の洗面台や椅子などを綺麗に拭いているのは、全員が、戦争世代のおじいちゃんたちである。

或いは、まだ濡れている箇所のある体で、ベンチに座ったりすると、「それはダメ…」と言って来るのも全員がお爺ちゃんたちである。

当初は、内心、ムッとしたりもしたが。

戦後生まれで、戦後の教育を受けた人間は、私を含めて、誰一人、そのような事をする者はいない。

つまり、あのような規律正しさを、徹底的に教えこまれた人間達が、中国や朝鮮半島の「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」による反日プロパガンダのような行状をするわけはないのである。

戦後の教育をうけた者達が、連日のように、子供を虐待死させたり、卑劣な犯罪を冒したりしているのとは正反対なのである。

以下は前章の続きである。

ご長寿との楽しい出会い 

「からくりTV」の「ご長寿クイズ」は私か定年前から続けている私にとって大切なお仕事です。

これまでに388回放送され、一回あたり50人のご長寿の方にお集まりいただき、3回の予選を経てお爺ちゃんだけで1万2000人の方と出会いました。 

この番組でディレクターが期待していたのは、お年を召した方の天然なぼけ方やずれ方を出しながら、何ともいえない、視聴者を柔らかくくすぐるような笑いでした。

でも番組が企画段階で初めて話があった時、私は猛反対しました。 

お年を召した方を笑いものにするような番組、とんでもないと思ったんです。

それでディレクターに「勘弁してください」と申しあげました。

でもディレクターは諦めずに「でも史朗さん、ともかく1、2回だけ付き合ってやっていただけませんか?それでもし嫌だったら言ってください」と食い下がって来られたので、渋々引き受けました。 

しかし、実際にやり始めたら、考えが変わりました。

「珍回答」「迷回答」を連発してくださる、好好爺のような様子のご長寿の皆さんがとても屈託ない表情で明るく楽しそうにはじけていたからです。 

私は古典的なアナウンサーの教育を受けましたから、おじいちゃんたちを笑いものにすることなどあってはいけない、と思って番組に臨んでいます。

本番中も私は笑ってはいけない、失礼だからと思ってぐっとこらえる場面が何度もあります。 

そういう雰囲気を保ちつつ、どんな「珍回答」にも何があろうと顔色をできるだけ変えずにクイズ最優先で番組進行していくのですが、そこに間髪入れずに別の「珍回答」が次々見舞う。

そのギャップが視聴者には鮮烈な笑いとなったのでしょう。

それに、あの番組は特にご長寿の方々に好評でした。

さらに番組に出てそれまでの車いす生活から自分の足で歩き始めた、とか痴呆が進んでいたのに改善した―といった話を聞いているうちに私の気持ちはすっかり変わってしまいました。 

大変な時代、歯を食いしばって生きてこられて、老いても子供や孫に迷惑をかけたくない、と思いながらつつましく生きているご長寿の皆さんにとっては普段、あのような特殊な楽しさを味わう瞬間はあまりないでしょう。

自分にテレビカメラが3台も向けられアップで取り上げる、自分が思う存分発散できる。そういう機会をテレビがつくってくれた。

自分の住所や名前が大きく記されたたすきを掛けて席に座ると、そこにはもの凄い照明が当たっています。

それだけでも日常ではあり得ない光景です。

そこにアナウンサーの私がどんと座って司会すると、完全に独特な状態になって、かちんかちんになるから、それであのような答えが次々と出てくるのだと思っています。

ただ、皆さん、あがってはいますが心底楽しんでいらっしゃるのです。

この稿続く。

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これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています

2019年07月04日 15時52分42秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。私か南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます

2019年07月04日 15時52分21秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。私か南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、

2019年07月04日 15時51分32秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます

2019年07月04日 15時51分11秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

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「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、

2019年07月04日 15時50分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

2019年07月04日 15時50分26秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、

2019年07月04日 15時50分04秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました

2019年07月04日 15時49分16秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き

2019年07月04日 15時47分31秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、

2019年07月04日 15時47分10秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

2019年07月04日 15時46分27秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 

ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません

2019年07月04日 15時45分56秒 | 日記

以下は前章の続きである。

史朗さん、聞いとくれよ 

これまでに番組に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。

南京戦にも沢山の方が携わっておられます。

収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。 

一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。

私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。

ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるあるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている―と話してくださった方もいます。

多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。 

「史朗さん、南京虐殺はないよ。だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」 

こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

別の方からは「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」と打ち明けられました。 

慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。こんな話です。 

「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”つて言われていたんだ。枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、“ほら、洗って! 洗ったあとは“ほら乗って!もうまるで上官に敬礼みたいに“失礼いたします”“お願いいたします”“はい。終わり” あっという間ですよ」

このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしやるように思えてなりません。 

「南京大虐殺」もそうでしょう。

私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。

日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。 

ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にい

らした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。 

ご長寿クイズは20年を超えました。

今でも年に1回続いています。

私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。

元兵士の方がお出になることは減りました。

少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。

そしてご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい。

そう思っています。

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