以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民にしろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
以下が高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民にしろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
以下が高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民にしろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
以下が高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
The following is a continuation of the previous chapter.
The heart of mercy and the behaviors that are the norm of people were rather even obstacles in this new world.
So there was no pain in their mind when they beat a black slave.
When a gold mine found in Cheyenne's reservation Sand Creek, they attacked the reservation without a male warrior and killed all the girls and children.
They thought it was rather proud to peel off the head, cut out the ears, gouge the genital area, and decorate the pommel.
When it is found themselves 180 degrees different from the Japanese, it became a fierce hatred.
Theodore Roosevelt sees Japan as an enemy to be destroyed, and since then, successive presidents will devote themselves to defeating Japan.
First of all, in order to bring Japan and China apart, they were piling up Chinese students studying abroad and let them do Chinese boycotts of Japanese products.
Above all, it is proof that the US minister Paul Reinsch took command of the May Fourth Movement.
Have Anglo-Japanese Alliance, too, canceled in Washington Conference, Franklin D. Roosevelt made it prepare a war forward Japan to Chiang Kai-shek, and the U.S. cut off the petroleum at the same time.
Fight Apache and Cherokee, extinct bison and cut off a supply line.
They copied it and put an end to our life at the atomic bomb in Japan that was weak.
After the war, the United States imposed that constitution to seal elegant and robust Japanese people in the future.
Abandon of force and another, the state compensation law.
It is a chemical hazard for the country, discrimination, exposure, pick a fight, extort money, and noise in the Asahi Shimbun.
Thanks to that, "peace-loving self-seeking Japanese" has increased immoderately.
Trump came here to call for the destruction of Japan-US security.
It is your selfishness that you have been unarmed in honor of Article 9 and selfish.
If you don't like it, arm yourself, though it is crude, it's significant.
The Japanese are no longer elegant.
It's a bit sad if it's a direct word from that intimacy.
The following is from Takaura Masayuki's famous column "Changeable," which published in the weekly Shinshio released today with the title "The hatred disappeared."
I want to make Alexis Dudden read this paper, too, first.
Below is the paper by Takayama Masayuki.
The wonderland that appears in Swift's Gulliver's Travels, the United States that opened Japan, was quite proud of it.
Japan was definitely invited to the exposition, and the newspaper told its fine crafts and craftsmanship as if it were their own affair proudly.
The words of the female critic Marietta Horne at the time that "Japan is strange but quite different from China's creepy strange" show such a feeling well.
However, an American warm look vanished as sudden in the Sino-Japanese war.
In this war, China has two new German-made battleships such as Chinese ironclad Dingyuan and Chinese ironclad Zhenyuan, while Japan has neither the size nor the number of ships nor half of them.
The Army was a similar force.
The war started, and the world was astonished.
The Chinese North Sea fleet, which has the vast Chinese Ironclad Dingyuan, challenged in a Naval ram battle to slam into the flank of the other ship from the tip of the boat.
The traditional form of Greek naval battle, the Japanese navy, facing vertically, turned to the right of the enemy fleet and sunk one ship at a time from the end.
When the Chinese ship approaches, we shoot the sub-gun while sewing between them.
Soon, Chinese ironclad Dingyuan fires, and the North Sea fleet was routed.
Admiral Ding Ruchang commits suicide with raw opium.
What surprised the world more than the naval battle was the state of battle in the Japanese army land battle.
If it wins, the enemy soldiers and the civilians on the enemy side are killed and looted, and the woman rape has been a form of ground warfare from the Old Testament times.
The Chinese gouge out the eyes of the Japanese soldiers who captured alive cut their tongues and killed separate limbs.
However, the Japanese army did not kill even such a Chinese soldier if it fell.
There were no retaliatory killings, no looting, and no rape.
A British Asian expert Sir Henry Norman spoke very highly of "The Japanese are brave and proud people with great intelligence" and how they fight nobly.
In the "Sino-Japanese War," Sarah Bain of the US Naval University Fellow wrote, "Because of its evaluation, the United Kingdom regarded Japan as an allied partner (the Japan-UK Alliance in 1902).".
However, the way of receiving the United States was different.
Until yesterday I thought that it was a lovable weird oriental small country, but in fact, I knew that it was not only a powerful force but also an intelligent, merciful people.
Americans owned none of them.
The U.S. is a commoner 's country.
Even though the nobles came to Ellis Island, they also abandoned their identity and Noblesse oblige.
This manuscript continues.
辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、
我が家にしても会社は分捕られ、貯金や預金、数々の資産に至るまで身ぐるみを剥がれ、
日本に到着して私たち家族は日本政府から1000円を支給されました。
A young soldier will just end up looking at a comfort woman and will be finished,
彼らが賠償は要らないと判断したのは、恩情からなどではありません。
これが中国に取られたわけで、これはむしろ私たちが返してほしい、といいたいくらいです。
So, once or twice, you will have experiences like mine. Let's leave the bathroom and have a sink
実態を知っている者からみれば、中国が日本に感謝こそすれ、謝罪を日本に要求したり、賠償を求めることなどできなかった話なのです
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民にしろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
以下が高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民にしろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
いかが高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民しろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
いかが高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。
一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民しろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
いかが高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。
一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民しろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
いかが高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
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戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
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9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
以下は本日発売された週刊新潮に「憎悪は消えた」と題して掲載された高山正之の高名なコラム「変見自在」からである。
私は、この論文もまた、アレクシス・ダデンに真っ先に読ませたい。
同時に、この論文でも触れているトランプの発言については、私は、あのニュースを聞いた瞬間から、トランプは以下のように言うべきであると思っていたのである。
核武装しているだけではなく反日国家である独裁国家が日本に対する侵略や攻撃の意図を隠さないのだから、
日本は自ら核武装して、これに対処するのが当然だろう。
自分の国は自分で守れ、ましてや日本は大国なのだから。
同時にド・ゴールが核武装する事を決定した時の言も即座に思い出した。
この年12月に成立した「第一次軍装備計画法」によって、主要核運搬手段たるミラージュ4型戦略爆撃機1個聯隊の就役、地対地中距離ミサイルの生産等が目指された。
「1914年の場合のように、重砲を欠いた幾百万の軍隊ではなく、また1940年の場合のように、飛行機や戦車のない軍隊ではなくなる」。
強力な核戦力の整備は、フランス国土への侵略による利得よりも核報復戦力による損失と打撃の方がはるかに大きいという損得計算を相手にさせる「抑止力」の充実を目的としているが、その抑止力は(ソ連等の)仮想敵国を想定することなく、あらゆる方向からの侵略の可能性に対処する、すなわち「全方位抑止(防衛)戦略」として現在に至るフランスの公式戦略(67年にド・ゴールが採用)となっている。
核時代の現在、米ソにとって全面戦争は自殺行為であり、アメリカはその死活的な利害を脅かされない限り、ヨーロッパにかんしてソ連と裏取引きする可能性が大である(嬉野ド・ゴール伝)。
アメリカによる西欧防衛はアテにならない。
つまり「軍事同盟は時代おくれになった。
一国はいかなる外国をも完全には信頼出来ない」
「核兵器を持たない国は持つ国の意のままになるほかない」
「フランスの水爆保有は、侵略の脅威に対抗する唯一の道であり、またそれがフランスの独立を保証するものである」という訳である。
もちろん核兵器の数量は米ソには遠く及ばないが、「量の大小に絶対価値はない。個人にしろ国民しろ一度しか死にはしないし、自ら核抑止力を持ち侵略者に致命傷を与える決意があれば相身互いである」。
65年4月の演説でド・ゴールは「フランスの国防や経済が、アメリカの兵器・経済・政策に依存する大西洋同盟に吸収されることを拒否する。独自の核戦力を維持することは金のかかることではない。NATOはフランス(の役割)を終局的に補助的なものに止めるものであり、真にフランスを防衛するものではない」と表明した。
いかが高山正之の論文である。
スウィフトのガリバー旅行記にも出てくる不思議の国、日本を開国させた米国はそれが随分自慢だった。
博覧会には日本を必ず招き、その精緻な工芸品や匠の技を新聞は我がことのように誇らし気に伝えた。
「日本は奇異だけど支那の気持ち悪い奇異とは全く違う」という当時の女流評論家マリェッタ・ホーンの言葉がそんな気分をよく示している。
しかし米国の温かい眼差しは日清戦争で突然のように消えてなくなった。
この戦争では支那は定遠、鎮遠というドイツ製新鋭戦艦2隻を持つのに対し日本はサイズも艦艇の数もその半分もなかった。
陸軍も似たような陣容だった。
いざ戦いが始まって世界は驚愕した。
巨艦定遠を擁する支那北洋艦隊は舳先から相手艦の横腹に突っ込む衝角戦で挑んだ。
ギリシャの昔からの海戦の形だが、縦陣で臨んだ日本海軍は敵艦隊の右に回りこみ、端から1艦ずつ沈めていった。
支那艦が迫れば彼らの間を縫いながら副砲を浴びせかける。
やがて定遠が火災を起こし、北洋艦隊は大敗した。
提督、丁汝昌は生阿片を呷って自決した。
海戦の手際以上に世界を驚かせたのは日本軍の陸戦での戦いぶりだった。
勝てば敵兵も敵側の民間人も殺し、略奪し、女は犯すのが旧約聖書の昔から地上戦の形だった。
現に支那人は生擒(せいきん)した日本兵の目を抉り、舌を切り、手足をばらして殺した。
しかし日本軍はそんな支那兵ですら降(くだ)れば殺さなかった。
報復の殺戮も略奪も強姦もなかった。
英のアジア専門家ヘンリー・ノーマン卿は「日本人は素晴らしい知性を持った勇敢で誇り高い民族」と高貴な戦い方を絶賛した。
サラ・ベイン米海軍大学フェローは自身の『日清戦争』の中で「その評価があったからこそ英国は日本を同盟相手(1902年の日英同盟)に相応しいと見倣した」と書いている。
しかし米国の受け止め方は違った。
昨日まで愛すべき奇異な東洋の小国と思っていたのが、実は強力な戦力を秘めるだけでなく知的で慈悲を知る民と知った。
そのどれも米国人は持ち合わせていなかった。
米国は平民の国だ。
貴族がエリス島に来ても、身分とついでにノブレス・オブリージュも捨てさせた。
慈悲の心とか人の範となる振舞とかはこの新天地ではむしろ障害ですらあった。
だから黒人奴隷を鞭打っても心に痛みはなかった。
シャイアンの居留地サンドクリークに金鉱が見つかると男の戦士の留守に居留地を襲って女子供を皆殺しにした。
頭の皮を剥ぎ、耳を切り取り、陰部を抉って鞍頭に飾るのをむしろ誇らしいと考えていた。
日本人と180度違う自分を見つけると、それは激しい憎悪になった。
セオドア・ルーズべルトは日本を滅ぼすべき敵とみなし、以降、歴代大統領は日本を倒すことに精力を傾注する。
まず日支を離反させるために支那人留学生を山と入れ、彼らに日貨不買をやらせた。
米公使ポール・ラインシュが5・4運動の指揮をとったことが何よりの証だ。
日英同盟もワシントン会議で破棄させ、フランクリン・ルーズベルトは蒋介石に対日戦争を仕掛けさせ同時に米国は石油を断った。
アパッチとチェロキーを戦わせ、バイソンを絶滅して糧道を断つ。
それをそっくり真似て弱った日本に原爆で止めを刺した。
戦後、米国は優雅で強い日本人を将来も封印するためにあの憲法を押し付けた。
戦力の放棄ともう一つ、国家賠償法だ。
国に薬害だ、差別だ、被曝だと因縁つけてカネをたかれと朝日新聞に騒がせる。
おかげで「平和を愛するさもしい日本人」がやたら増えてきた。
ここにきてトランプが日米安保破棄を言い出した。
9条を崇めて勝手に丸腰になったのはお前らの勝手。
嫌なら武装しろは、粗野ながら実に意味深い。
日本人はもはや優雅ではなくなった。
その親近感からの直言だとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
必ず日本国内の媚韓勢力がさまざまな日本批判を繰りだし、最後には「日本が譲歩してくる」と、タカを括、と題して2019-02-05に発信した章である。
以下は前章の続きである。
レーダー照射の暴挙
12月20日に起こった火器管制レーダー照射事件とその後の韓国の対応は、この国の歴史と、これまでの日韓関係悪化の“すべて”が現われている。
同レーダーの照射は、いわゆるミサイルのロックオン状態を意味し、実際にミサイルが発射されれば、乗務員の「死」に直接つながる危険性があるものだ。
そんな緊迫した中でも、公開された映像での自衛隊員たちの落ち着いた行動や互いのやりとりの内容に私は驚嘆する。
12月28日に防衛省が公開した13分7秒にわたる動画は、確認作業を挟みながら、都合6回も英語で呼びかける自衛隊の声が出ている。 「Korean Naval Ship。Korean Naval Ship(韓国海軍艦艇、韓国海軍艦艇)」「Hull Number 97I。Hull Number 971(艦番号971、艦番号971)」「This is Japan Navy。This is Japan Navy。(こちらは日本海上自衛隊、こちらは日本海上自衛隊)」「We observed that your FC antenna is directed to us(貴艦のFCアンテナが我々を指向した事を確認した)」
「What is the purpose of your act? over(貴艦の行動の目的は何ですか?)」
国際ルールに則り、そして2014年に韓国を含む21か国が合意した「海上衝突回避規範(CUSE)」にも合致した呼びかけをきちんとおこなっている。
しかし、1月4日に韓国・国防省が公表した映像では、これに実に姑息な編集が加えられていた。
自衛隊の実際の音声を流しているのは、十秒ほどで、「This is Japan Navy(こちら日本海上自衛隊)」「Korean Naval Ship(韓国海軍艦艇)」「Hull Number 971「艦番号97占」という音声を二回くり返し、あとは不必要なBGMを流しているだけなのである。
明らかに聞こえているはずの「貴艦のFCアンテナが我々を指向した事を確認した」「貴艦の行動の目的は何ですか?」という決定的音声はカットしているのだ。
また映像の大半は日本側が公表したものの引用であり、韓国側が撮影していたわずか十秒ほどの映像にも、駆逐艦の近くを漂流する北朝鮮の漁船、そして遥か先の上空を飛行する海上自衛隊の哨戒機が豆粒のように映っていただけで、日本の「低空威嚇飛行」の証拠は存在しない。
映画もどきのBGMでいくら深刻さを演出しても、自衛隊哨戒機側の問題点は、なにひとつ出て来ないのである。
もはや嘘は通用しない
しかも、これほど火器管制レーダー照射が明確であっても、逆に日本に対して謝罪を求めてくるところが韓国の韓国たる所以だ。
「日本は人道的な救出活動中のわが艦船に低空威嚇飛行をおこなった。謝罪せよ」
この物言いに、さすがに日本人も怒りが爆発した。
それは、前述のように「ありもしない強制連行」をタテに世界中に慰安婦像を建てまくっている韓国人の姿と重なっているからだ。
朝日新聞の誤報によって生まれた慰安婦の強制連行の被害者は韓国では「20万人」いたと信じられている。
嘘も百回言えば真実になる韓国では、この慰安婦問題と同様、レーダー照射も「日本は謝罪せよ」と言い続ければ、必ず日本国内の媚韓勢力がさまざまな日本批判を繰りだし、最後には「日本が譲歩してくる」と、タカを括っている。
現実に、韓国利権にどっぷり浸かった日韓議員連盟の自民党の有力者たちが、「98年の日韓パートナーシップ宣言に立ち戻ろう」「今の左翼政権が倒れれば、また元に戻りますから……」などと囁き、日本側の譲歩を前提にした問題終結に向かって、安倍政権に盛んに働きかけをおこなっている。
私は、1977年に明らかになったソウル地下鉄事件を思い出す。
米国の銀行、そして韓国の銀行の東京支店を迂回して自民党有力者へ巨額の資金が還流したこの事件は、その後の日韓議連の「利権構造の基本」となっている。
日本企業が韓国内で事業をおこなうには日韓議連の議員を通して、韓国政府、あるいは地方行政府に話を通してもらわなければならず、議員にとっては日韓議員連連盟に所属すること自体が、とてつもないメリットとなってきた。
しかし、そんな政治家のために、いつまで日本人は、これほどの理不尽を我慢しなければならないのだろうか。
この稿続く。
*政治屋達だけではなく朝日新聞やNHK、経済同友会等で生計を立てている下種野郎や下種女郎達の為に、いつまで日本人は、これほどの理不尽を我慢しなければならないのだろうか、と、追加しなければならないのである。*
合計して8億ドルである。この金額は当時のものであるので、貨幣価値を今の時代に換算してみる。
国民に対して説明責任のあるA級戦犯記者どもは以下の3名。①読売新聞 越前谷知子
清朝が国書を受け取り、正式な外交関係が始まっても、朝鮮の態度は変わらなかった。
NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞などの偏向報道が何故あれほど酷くて執拗なのかを完璧に明らかに
韓国に対し現在の貸付金残高が国家として貸し出し中の67兆5800億円(本来、1982年に完済予定
韓国人に歴史の真実という「パンドラの箱」を開けさせないのである。だから韓国人は歴史の真実を知らな
私と同様に、日韓議員連盟って一体なんなんだ、と思っていた人たち全員が、目から鱗が落ちる論文である
さらに、日本は戦前韓国に残した資産を放棄している。これはインドが英国から独立したとき、イギリス人
BOB DYLAN y Paul Simon - THE SOUNDS OF SILENCE (
直接傷を負うのは韓国と取引している企業ですが、そんなものあの国と関わった時点で、自己責任に帰する
彼は実態は北朝鮮の工作員であると言っても全く過言ではない人間である。
紀平梨花が月の光をバックに世界最高得点を出した時の演技である。
ドイツ人は日本が嫌いだ。ロシア人は準白人だから日露戦争で日本に負けてもそう気にはしなかった。
中国では携帯電話が完全に盗聴され、私がどこにいるか、という情報も常時簡単に把握されています。
NYT記者の田淵広子といえば、慰安婦問題で狂信的に日本を断罪したことで悪名高い。
デーブ・スペクター「韓国は何がしたいんでしょうね。(ボロクソに言う)」 ワイ「今後絶対に韓国には
伊丹空港の騒音が問題だと大騒ぎし続けて国から超多額の騒音防止対策費をせしめていながら…、
『朝日新聞・広岡知男社長の大罪。「南京大虐殺」を本多勝一に書かせた』と題した労作である。
慰安婦のときは、植村隆氏の義母で、太平洋戦争犠牲者遺族会の会長の梁順任氏が、
しかし、日本政府から代表団への暗号電をアメリカが傍受・解読したことで、
ハリウッドが中国資本に籠絡され出したという報道が伝えられた頃から殆ど観なくなった。
日本人は世界最貧国だった朝鮮半島を、たった35年間で、一気に近代国家にした国民なのである。
最も衝撃を受けたのがロシアである事こそが彼女の天才がどれほど素晴らしいものだったかを証明していた
必ず日本国内の媚韓勢力がさまざまな日本批判を繰りだし、最後には「日本が譲歩してくる」と、タカを括
すなわち、在日韓国朝鮮人に各TV局は、乗っ取られていると云う事です。
日本という国の広告効果は抜群です。これを外交成果と言わずして、何と言えばいいのでしょうか。
重信房子支援者が勤務していた高槻市の光愛病院の創設者は日本赤軍の前身である共産主義同盟(ブンド
正気の沙汰じゃない…それを大学院生が必死にメモしている…日本で一番“赤い”のは、朝日新聞ではなく
既に3月の時点で韓国の中央日報は…当然の事として…日本の対応を予測していた。
洛東江の存在が明るみに出たのは、朝鮮総連の活動家だった張龍雲(故人)なる人物が、1997年1月号
日本人の堪忍袋の緒は切れかけている。韓国よ、いつまでも日本に甘えるな。
マイケル・ペンは元からジャーナリストだったわけではなく、日本に流れてきて大学で講師などをした後、
「秘書給与詐欺」の張本人がよくもまぁ…、辻本清美が安倍首相に「百年安心詐欺」と吠えて、
その結果、朝日新聞のみが北京駐在を許されることになりました。
東京五輪が韓国人による反日の舞台にならぬよう、政府は注意を払わねばなりません。
何故なら共産党の一党独裁国家で自国の実態も世界の実態も全く知らされず、毎日、虎の穴で鍛錬された
最後にトランプ氏が「あなたは、反論の天才だな」と笑って議論は終わった。
金儲けのために韓国と関わりを持った企業など、日本の足引っ張り屋である側面が多大です。
福島瑞穂、辻元清美、蓮舫、故・土井たか子、このような国会議員たちの実態が「売国議員」であることは
朝鮮総連の巧妙な圧力から、無試験の在日朝鮮人枠を設けたTBSが除々に在日朝鮮人に乗っ取られる様子
「歴史を歪曲する韓国と日本の研究者やジャーナリストは無責任な言動をやめるべきだ」と訴える。
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米国は世界で最も…な国である。その国民に選挙で選ばれたトランプ大統領は尊敬しなければならない…
その証拠に、韓流ブーム捏造と韓流ゴリ推しTVが、繰り広げられてきました。
今日の韓国の大もとは日本人がつくったという記述を、韓国の人々はどう説明するのだろう。
全然詳しくありませんが、あの山口二郎が6億円も貰っている時点でおかしいでしょう。
辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、
渡部先生はこうした事情をよくご存じでした。ですから日本が中国に謝罪する必要などない、という立場を生涯貫かれました。
Japanese soldiers were thinking nothing of rape and so did not do it first.
Repatriates were often placed in facilities like "camps."
something fragmentary must also be able to detect such a trace, but it is not there either
さすがに世界は信用しませんでしたし、現地では中国人も実際に日本兵を見ていますから、わかっているんです。中国人にとって脅威は何をしでかすかわからない中国兵だったのです。
Fortunately, as I was a child, I was never attacked, but I had an unpleasant time very much
Then the baggage is taken, and the valuable article is thoroughly pulled out.
The reason why Japanese soldiers did not rape women is not only because discipline was high
It is not from affection, etc. that they judged that compensation is not needed.