1154回 G20でも恥をさらし、ひきこもる石破 向いてないよ総理
村田夏帆「2024年8月に行われた第20回クロスター・シェーンタール国際ヴァイオリンコンクール」サンサーンス ヴァイオリン協奏曲第三番第三楽章
2020/11/18 in Kyoto
以下は、昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る櫻井よしこさんの連載コラムからである。
本論文も、彼女が最澄が定義した国宝、至上の国宝である事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
米中せめぎ合い、石破首相は凌げるか
産経新聞特別記者、田村秀男氏の示した折れ線グラフが衝撃的だった。
中国への直接投資が2024年6月時点でマイナスになっている。
ここから読みとれるのは習近平国家主席の陥った経済金融不況の深刻さである。
共産党独裁の経済金融政策を根本から変えない限り、出口はない。
どん詰まりの状況に、習氏ははまっている。
そんな今、米国ではトランプ氏が大統領に返り咲いた。
氏は中国に60%の高関税を、日本を含む西側諸国にも10%の関税をかけるという。
一連の数字は狂気の沙汰だと批判されている。
だが、田村氏はこれを別の角度から解説した。
対中高関税がトランプ氏の公約した減税分を補う財源になるというのだ。
「対中高関税はトランプ政権にとって一石二鳥-中国を痛めつけ、米国民への減税を可能にする財源なのです」
氏は以下のように説明する。
「23年の貿易統計を基に計算すれば、中国以外の世界の国々に10%の関税をかけた場合、関税収入はざっと2681億ドル、中国に60%かけたら2565ドルになります。大雑把にとらえて各々から2600億ドル、合計5200億ドル(78兆円)の関税収入を米国は手にすると見てよいでしょう」
他方トランプ氏はアメリカ国民に所得税減税の延長と法人税減税を公約済みだ。
第一次政権のとき、トランプ氏は10年間で1.5兆ドルの減税を公約した。
今回は1.5兆ドルか2兆ドルかは不明だが、仮に2兆ドルとすれば年に2000億ドル(30兆円)となる。
対中関税による収入で楽々賄える額だ。
田村氏は、ビジネスマンとしてのトランプ氏の考え方はシンプルの一語につきると語る。
対中で60%もの関税をかければ、米国内の消費者物価はどんどん上がる。
民主党政権がインフレで非難されたように、トランプ政権も同様の批判を受けるのではないかとの見方について、田村氏はこう見る。
「無論、物価高で消費者負担は増えますが、その分、減税するとトランプ氏は言っているわけです。減税で物価高の痛みを和らげながら、米国にとって最大の脅威である中国の国力を押し潰すというのがトランプ氏の狙いではないか」 ゴールドマン・サックスの中国担当エコノミストは60%の関税をかける場合、中国のGDPは2%分減り、経済成長率は現在公称している5%から3%になると分析する。
中国の統計がデタラメであるとしても5%前後の成長率では大不況だ。
そこからさらに2%分下がれば大問題だ。
中国はこれまで、人民元を安くすることで米国の関税に対応してきた。
そのときに起きたのは、①人民元が売られて中国内のマネーが減少する、②人民元はさらに売られて暴落する、③中国人が海外に資本を逃避させる、という事象だった。
人民元の暴落は中国共産党の土台をつき崩す力となるだろう。
習氏は米国の高関税の前で、効果的な対応策を持ち得ていない。
非合法のカネ
中国人による資本逃避の凄まじさを示す統計がある。
2021年から始まった不動産バブルの崩壊で、22年には3000億ドル(45兆円)の資本が海外に逃げている。
経常収支の黒字を上回る非合法のカネが外国に流出しているのだ。
周知のように米国が世界最強の覇権国であり得ているのは、強大な軍事力に加えてそれを支える米国の通貨と金融の力があるからだ。
中国経済の繁栄も米国をはじめとする諸国のドル投資なくしては考えられない。
1970年代から始まった鄧小平の改革開放路線、経済の急成長は外国の資金と技術なしには成し遂げられなかった。
中国では、自国への証券投資と直接投資を受けてその合計に見合う額の人民元を中国人民銀行が発行する。
中国への投資が盛んな時は、中国国内に膨大な量のマネーが供給された。
ドルによって価値が裏打ちされた中国人民元の大量発行で、中国は目もさめるような高成長を遂げてきた。
それが一変して22年以降対中証券投資は急速に落ち込み、23年にはほぼゼロになった。
直接投資に限ればマイナスになったことはすでに述べた。
各国の企業は中国からの撤退を進めている。
日本企業も例外ではない。
金融財政面で見れば中国は青息吐息だ。
しかし彼らの強味はモノの貿易において際立つ。
彼らは様々な物資について圧倒的なシェアを持つ。
今年1月23~26日、経団連の十倉雅和会長以下わが国の財界人210人が大挙して訪中した。
彼らは不当に拘束されているアステラス製薬北京駐在幹部の件など取り上げもしなかった。
そのかわり電気自動車(EV)に載せる電池の製造に必要なグラファイト(黒鉛)の対日輸出正常化を要請した。
中国は23年12月1日から黒鉛の輸出を規制している。
本来これはWTOに提訴すべき問題であるのに、トヨタを筆頭に十倉氏ら経済人は卑屈にへり下ってスムーズな輸出を懇願した。
日本に微笑外交
レアアースをはじめ、多くの物資の輸出に関して中国は明確な政治的意図のもとで圧倒的なシェアを確立した。
中国は唯一の供給国として、相手国を押さえつけたいときに輸出規制を行うのだ。
だが、この戦略も、トランプ氏は高関税で叩き潰そうとしている。
加えて技術革新が中国の横暴を打ち砕き始めた。
たとえばEV車載電池はリチウムイオン電池が主体で、習氏はそのサプライチェーンの全面制覇を狙って外交面からも予算面からも攻めてきた。
だがその試みが技術革新によって崩されつつある。
西側が開発を進めているのは硫黄を正極に用いるリチウム硫黄電池やリチウムの代わりにナトリウムを使うナトリウムイオン電池である。
石油の精製過程で生ずる硫黄も海水から採れるナトリウムもリチウムに較べればコストは安く、調達も容易だ。
人類全体に恩恵を及ぼすこの種の技術革新が、独裁政権の目論む世界市場の占有戦略をつき崩すのだ。圧倒的なモノのシェアで世界支配を目論む習氏の野望は、トランプ戦略と技術革新で崩壊しつつある。
石破茂首相はこのような特徴ある世界の指導者らにどう向き合うべきか。
何よりもまず、わが国の国力の強さを認識して自信をつけよ。
米国との協調が何よりも大事な今、金融財政面で日本が米国を支える最大の力になっていることを認識すべきだ。
「米国の金融市場には毎年約1兆ドル(150兆円)の資金が流入、これが生命線となっています。その6割が日本の資金です。これは金融面での安全保障です。その重要性をまず日本が認識し、米国にも共有させることです。日本国政府が最大の戦略的挑戦と位置づけた中国には決して搦めとられないことです」(田村氏)
窮地にある中国は日本に微笑外交を展開中だ。
ならば拘束邦人の救出をはじめ理不尽な対日政策を確実に訂正させることが第一だ。
この際、原理原則なき妥協こそ避けるべきだ。
本論文も、彼女が最澄が定義した国宝、至上の国宝である事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
米中せめぎ合い、石破首相は凌げるか
産経新聞特別記者、田村秀男氏の示した折れ線グラフが衝撃的だった。
中国への直接投資が2024年6月時点でマイナスになっている。
ここから読みとれるのは習近平国家主席の陥った経済金融不況の深刻さである。
共産党独裁の経済金融政策を根本から変えない限り、出口はない。
どん詰まりの状況に、習氏ははまっている。
そんな今、米国ではトランプ氏が大統領に返り咲いた。
氏は中国に60%の高関税を、日本を含む西側諸国にも10%の関税をかけるという。
一連の数字は狂気の沙汰だと批判されている。
だが、田村氏はこれを別の角度から解説した。
対中高関税がトランプ氏の公約した減税分を補う財源になるというのだ。
「対中高関税はトランプ政権にとって一石二鳥-中国を痛めつけ、米国民への減税を可能にする財源なのです」
氏は以下のように説明する。
「23年の貿易統計を基に計算すれば、中国以外の世界の国々に10%の関税をかけた場合、関税収入はざっと2681億ドル、中国に60%かけたら2565ドルになります。大雑把にとらえて各々から2600億ドル、合計5200億ドル(78兆円)の関税収入を米国は手にすると見てよいでしょう」
他方トランプ氏はアメリカ国民に所得税減税の延長と法人税減税を公約済みだ。
第一次政権のとき、トランプ氏は10年間で1.5兆ドルの減税を公約した。
今回は1.5兆ドルか2兆ドルかは不明だが、仮に2兆ドルとすれば年に2000億ドル(30兆円)となる。
対中関税による収入で楽々賄える額だ。
田村氏は、ビジネスマンとしてのトランプ氏の考え方はシンプルの一語につきると語る。
対中で60%もの関税をかければ、米国内の消費者物価はどんどん上がる。
民主党政権がインフレで非難されたように、トランプ政権も同様の批判を受けるのではないかとの見方について、田村氏はこう見る。
「無論、物価高で消費者負担は増えますが、その分、減税するとトランプ氏は言っているわけです。減税で物価高の痛みを和らげながら、米国にとって最大の脅威である中国の国力を押し潰すというのがトランプ氏の狙いではないか」 ゴールドマン・サックスの中国担当エコノミストは60%の関税をかける場合、中国のGDPは2%分減り、経済成長率は現在公称している5%から3%になると分析する。
中国の統計がデタラメであるとしても5%前後の成長率では大不況だ。
そこからさらに2%分下がれば大問題だ。
中国はこれまで、人民元を安くすることで米国の関税に対応してきた。
そのときに起きたのは、①人民元が売られて中国内のマネーが減少する、②人民元はさらに売られて暴落する、③中国人が海外に資本を逃避させる、という事象だった。
人民元の暴落は中国共産党の土台をつき崩す力となるだろう。
習氏は米国の高関税の前で、効果的な対応策を持ち得ていない。
非合法のカネ
中国人による資本逃避の凄まじさを示す統計がある。
2021年から始まった不動産バブルの崩壊で、22年には3000億ドル(45兆円)の資本が海外に逃げている。
経常収支の黒字を上回る非合法のカネが外国に流出しているのだ。
周知のように米国が世界最強の覇権国であり得ているのは、強大な軍事力に加えてそれを支える米国の通貨と金融の力があるからだ。
中国経済の繁栄も米国をはじめとする諸国のドル投資なくしては考えられない。
1970年代から始まった鄧小平の改革開放路線、経済の急成長は外国の資金と技術なしには成し遂げられなかった。
中国では、自国への証券投資と直接投資を受けてその合計に見合う額の人民元を中国人民銀行が発行する。
中国への投資が盛んな時は、中国国内に膨大な量のマネーが供給された。
ドルによって価値が裏打ちされた中国人民元の大量発行で、中国は目もさめるような高成長を遂げてきた。
それが一変して22年以降対中証券投資は急速に落ち込み、23年にはほぼゼロになった。
直接投資に限ればマイナスになったことはすでに述べた。
各国の企業は中国からの撤退を進めている。
日本企業も例外ではない。
金融財政面で見れば中国は青息吐息だ。
しかし彼らの強味はモノの貿易において際立つ。
彼らは様々な物資について圧倒的なシェアを持つ。
今年1月23~26日、経団連の十倉雅和会長以下わが国の財界人210人が大挙して訪中した。
彼らは不当に拘束されているアステラス製薬北京駐在幹部の件など取り上げもしなかった。
そのかわり電気自動車(EV)に載せる電池の製造に必要なグラファイト(黒鉛)の対日輸出正常化を要請した。
中国は23年12月1日から黒鉛の輸出を規制している。
本来これはWTOに提訴すべき問題であるのに、トヨタを筆頭に十倉氏ら経済人は卑屈にへり下ってスムーズな輸出を懇願した。
日本に微笑外交
レアアースをはじめ、多くの物資の輸出に関して中国は明確な政治的意図のもとで圧倒的なシェアを確立した。
中国は唯一の供給国として、相手国を押さえつけたいときに輸出規制を行うのだ。
だが、この戦略も、トランプ氏は高関税で叩き潰そうとしている。
加えて技術革新が中国の横暴を打ち砕き始めた。
たとえばEV車載電池はリチウムイオン電池が主体で、習氏はそのサプライチェーンの全面制覇を狙って外交面からも予算面からも攻めてきた。
だがその試みが技術革新によって崩されつつある。
西側が開発を進めているのは硫黄を正極に用いるリチウム硫黄電池やリチウムの代わりにナトリウムを使うナトリウムイオン電池である。
石油の精製過程で生ずる硫黄も海水から採れるナトリウムもリチウムに較べればコストは安く、調達も容易だ。
人類全体に恩恵を及ぼすこの種の技術革新が、独裁政権の目論む世界市場の占有戦略をつき崩すのだ。圧倒的なモノのシェアで世界支配を目論む習氏の野望は、トランプ戦略と技術革新で崩壊しつつある。
石破茂首相はこのような特徴ある世界の指導者らにどう向き合うべきか。
何よりもまず、わが国の国力の強さを認識して自信をつけよ。
米国との協調が何よりも大事な今、金融財政面で日本が米国を支える最大の力になっていることを認識すべきだ。
「米国の金融市場には毎年約1兆ドル(150兆円)の資金が流入、これが生命線となっています。その6割が日本の資金です。これは金融面での安全保障です。その重要性をまず日本が認識し、米国にも共有させることです。日本国政府が最大の戦略的挑戦と位置づけた中国には決して搦めとられないことです」(田村氏)
窮地にある中国は日本に微笑外交を展開中だ。
ならば拘束邦人の救出をはじめ理不尽な対日政策を確実に訂正させることが第一だ。
この際、原理原則なき妥協こそ避けるべきだ。
マウントを取る、約束を守らない、嘘をつく、人の褌で相撲を取る、それが氏。全く尊敬できないです(泣)
党大会をいまだに開かないのは、金にならないからだと思う。
まず「領収書」問題を解決しない限り、百有が何を反論・主張されても全然入って来ない
ミャンマー国軍がどこから武器供給を受けてるかも知らないイキリモトさん。 さすが、取材しないジャーナリストの事だけはある。
日本保守党って百田と有本のズッ友感が強いだけで他の人間はどうでもいいと思ってる感が強くて無理だわ
確かに集めた党費どうなるの?
日本を豊かに強くする気はもう1ミリもないのは確かですね 最初から私は全く感じていませんでしたが
詳しいことは知らないんですが、政党がプールしてたお金って、解散時の党首が持ち去ることは法的に許されているのだと聞きます。これは小沢一郎さんの得意技なんだとか。百有がこれを鼻から狙ってるというのはあり得ない話ではないかも。
有本さん 惨めなネガキャンはもうおやめなさい お金、名誉への「愛」は目を曇らせ せこく、こざかしく生きても尊敬されることはありませんよ
秘書給与を搾取、赤ベンツの広瀬めぐみ議員と批判していた日本保守党の代表が、寄附の領収書を出さない白ベンツの有本香事務総長と政党交付金で批判されるの草
この稿続く。
政党をサイドビジネス化している百有コンビ。凄いよなあ。金に対する執着心が半端じゃない。
飯山先生が何と戦ってるのか、が分かる気がします 泣き寝入りだったり見て見ぬふりだったり、私たちが理不尽なことに遭遇したときにとる態度です 裁判やニチホと戦ってる飯山先生がどうありたいのか 突き詰めると正直真っ直ぐだということな気がします 時間やお金かかっても、苦労多くても、そこさえあれば報われると思います
追伸です…有本さんの時間にルーズなところ、目上年上の方に対する(連絡なしや時間間違い、スケジュールミス等々)緊張感のないところも画面を通して「なんじゃー️社会人としてあるまじき行為じゃん」と、信頼度ゼロになりました。人が離れて当然です…。有り得ません。
真っ直ぐで正直者。 権力者と戦う信念の人飯山あかり氏。 ズルく、あざとくを地で行くマウントとりの有本氏。 実に対照的なお二人ですね。 私は信念の人、飯山あかり氏を支持します!!!
詐欺罪が適用されるのでは? 会計が杜撰で収拾つかなくなっているのではと推測します。
高額の寄付された人は控除の為の領収書が必要です!約束は守るべきです。カンパは別件なのに混ぜて来て理不尽です。カンパの領収書を出すとは約束してませんよ!
よくよく考えれば飯山さんの演説を聞いて”ニチホ”を応援してました。今や”ニチホ”の言動で失望しています。本当にあの二人は残念な人たちです。
大谷の試合も終わり最近の1番の楽しみは陽ちゃんのユーチューブ 陽ちゃんが先生だったら授業に集中出来て頭の中にす〜っと入ってきて勉強も好きになり成績も良かったと思う。
裁判、大変そうですね 足りなさそうでしたら、またカンパ呼びかけてくださいね。 まっすぐで正直もののあかりさん、これからも応援します。
本当。ポッケため込みトンズラしそう。 領収書と収支報告書に目をひからせてないと駄目ですね。今日もフルボッコ聞いててスカッとしました。ありがとうございます。
言えば言うほどボロが出る有本さん
待ってました️飯山先生ー️ 良くない勢力を消滅させてください、そう、良くない勢力を。 飯山先生を応援してます️頑張れ️
領収書問題は有耶無耶にしてはいけませんね!
不思議なもので、今ではすっかり 日本保守党を受け付けません。 怖いくらいです。
あの界隈って反射の猫組を使って脅してくるよね これ絶対に大問題になるからな
飯山先生相変わらず、鋭い分析と追求ですね、逃がしてわいけません。日本の為に、やってください。こういう人達を許してわいけません。
有本さんは、取材しないだけでなく、ネットにUPする際に、簡単なことも調べない、ジャーナリストですね。
この稿続く。
領収書問題。出さない一番の理由は何だ?
日本保守党の信者の皆さんにも飯山先生の動画を飛ばさず観ていただきたいものです。 そして冷静に判断していただきたい。飯山先生の言い分もきっと理解してくれるハズです。 ただ、飯山先生がこうして理論立てで反論しても、肝心の有本氏は論点ズラして逃げてしまうのでしょう。
あかりちゃん、あんないじめや意地悪にあっても負けない姿に感動します。家族の絆があるからですね。あかりちゃんの姿を見る時、そこに小さい頃に同室で入院していた女の子が亡くなっていた話をしたことをいつも思い出します。涙が出ます。あかりちゃんには自分の人生を生きていると言うよりも生かされている人生を生きていると言う信念を感じます
飯山さんちゃんと裁判費用について触れたじゃない。 話せる時が来たらこの人はキッチリ収支説明すると思うけどな。 弁護士に確認してから話せる事を話してると思う。 都合の悪い事には一切触れず引退匂わせる百有みたいな事はしないよ。
《有明の大集会》 のぼりまで作っていましたよね。延期や中止のお知らせもなくて不思議でした。今思えばあれも有本さんのだらしなさだったんですね。
有さんが、あかりっちゃんと長谷川さんに向ける中傷は、正に自分達の投影なんでしょうね。
私も私の家族(猫と犬だけど)も応援してます 頑張ってあかりちゃん
陽ちゃん 大胆にかつ慎重に 頑張って下さい!応援してます! 北海道M市の市会議員より。
百有は、下らんポストする暇あったらA さんに領収書と控除に必要な書類をさっさと送りなさい! 論点ずらしで逃げられませんよ! 納税者を欺く行為は、公党として許されません。 日本のあかり全力で応援します!!!
党大会は実施しないと。会社でいったら総会みたいなものだよね。コンプライアンスから崩壊してますね。本日の解説もキレッキレでした。選挙のバイトのご説明大変解りやすかったです️。勉強になります。次の配信も楽しみです。 善きフィードバック完了しました。
領収書の出ない寄付金、不可思議ですね、飯山さんの事実に基づいた論理的解説で次々と実体が明らかになって来た様に思います。
自分たちのために働いてくれたお掃除スタッフの方に対する姿勢そのものが本質を物語っている。
保守党に寄附や党費納めた方は 早く領収書発行請求して下さい 逃げられる恐れがあります
選挙に携わる人とその報酬についての説明がいつも通り明快で、とても勉強になりました。 政党の事務総長って本来、こういうことを調べて法律通りにできているか統括する人のことですよね。 一瞬で飯山さんに瑕疵を暴露されているのが、恥ずかしいを通り越してお気の毒。
この稿続く。
飯山先生、裁判で大変な状況の中でも配信を続けてくださり、本当にありがとうございます。今日も1時間があっという間でした。
鋭い批判に加えて分析力、説得力、表現力、エンタメ性 これらが渾然一体となって一時間前後もの時間を全く飽きさせずに楽しませてくれる飯山さんの凄さに毎日感服してます。
LGBT法の改正は日保党の3議席ではすぐにはできないとして、『国会議員の歳費、地方議員の報酬を一般国民並みの給与にまで引き下げる・政党交付金を諸外国の事例に鑑み、半額程度に引き下げる』に関してはまず、日保党だけでも先に範を示すために実行できますよね。
要点に蛍光ペンで印つけて説明してます!矛盾点に対して具体的に指摘されてます。とても整合性がある解説です!
有本「私は政党助成金には反対です!あれはおかしい!」でも自分の党は受け取る こういう奴らよ百有って 自分達はいいけど貴方達は駄目
バイト代の件、有本さん「法令を全く理解していない人の錯乱か、・・・」ああ恥ずかしい。どちらが法令を全く理解していない人なのか。 もう、飯山さんは今まで有本さんのハッタリとウソが通用してきた人達とはレベルが違うんだって。 相手の戦力を見誤りすぎると自分がやられるんだよ。もうやられてるけど。 周りから見てると北斗の拳状態なんですよ。
なんだかんだ言っても、一人で闘うあかりさんを応援してます。百有は悪人です。
今まであかりチャンの思いやりでオブラートに包んだところがあった言い回しも、百有のシラの切り方が悪質化、長期化しているので告発の中身も容赦が無くなってきましたね。今日の切れ味最高でした。 この場に及んでも未だに領収書・寄附金問題に一切触れず朝8をやり続ける二人の面の皮の厚さと図太い肝っ玉には驚きます。あの二人冗談抜きで悪質ですよ。
この稿続く。
【日本保守党有本アウト!領収書出さず愛に錯乱?】マウンティング失敗、ウソ連発で自滅?!
Šis ir no Takayama Masayuki sērijas slejas pēdējā Weekly Shincho numurā, kas tika izlaists vakar.
Šis raksts arī pierāda, ka viņš ir vienīgais žurnālists pēckara pasaulē.
Pirms seniem laikiem Japānā viesojās kāda gados vecāka Monako Karaliskās baleta skolas profesore, kuru primabalerīnas visā pasaulē ļoti ciena.
Šie ir vārdi, ko viņa teica par mākslinieku eksistences jēgu.
"Mākslinieki ir svarīgi, jo viņi ir vienīgie, kas spēj izgaismot slēptās patiesības un tās paust."
Neviens nepiekristu viņas vārdiem.
Nav pārspīlēts teikt, ka Takayama Masayuki ir ne tikai vienīgais žurnālists pēckara pasaulē, bet arī vienīgais mākslinieks pēckara pasaulē.
Šis raksts arī lieliski pierāda mana apgalvojuma patiesumu, ka Takayama Masayuki šodien vairāk nekā jebkurš cits ir pelnījis Nobela prēmiju literatūrā.
Tā ir obligāta lasāmviela ne tikai japāņiem, bet arī cilvēkiem visā pasaulē.
Trūkst pēdējā pieskāriena
Viss sākās ar rakstu New York Times 1981. gada jūlijā ar nosaukumu "Strange Cancer Strikes 41 Homoseksuals".
Četri no viņiem mira dažu dienu laikā.
Drīz pēc tam tika atklāts vīruss (HIV), un tika saprasts, ka tā ir briesmīga slimība, kas iznīcināja imūnsistēmu un neizbēgami noveda pie nāves.
Sākotnēji tā bija tropiska slimība Kongo, un tā eksplozīvi izplatījās starp homoseksuāļiem.
Viens pēc otra nomira Roks Hadsons un Entonijs Hopkinss.
Pat ja bija zināms, ka tā ir slimība, kas skar gejus un biseksuālus vīriešus, sievietes varēja inficēties arī ar biseksuālu vīriešu starpniecību.
Pirmā persona, kas Japānā saslima ar šo slimību, bija ārzemniece. Visi bija pārbijušies.
Līdz tam es sapņoju par ziņošanu ārzemēs.
Es varētu baudīt dzeršanu svešā valstī ar svešiem cilvēkiem. Riodežaneiro es iepazinos ar studentiem no Escola de Samba un pat dzēru ar viņiem boa ché.
*Lai arī cik ilgi es meklēju, neko nevarēju atrast par boa ché, tāpēc atstāšu šo tulkojumu angļu valodā tādu, kāds tas ir.*
Bailes no HIV sagrāva visus šos sapņus.
Okinavas samita laikā ar HIV bija inficēti 30 miljoni cilvēku, un tika ziņots, ka 80% no tiem atradās Subsahāras Āfrikā.
Japāna ieguldīja reģionā 5 miljardus dolāru OAP un palīdzēja apmācīt ārstus un medmāsas.
Tomēr pat ar šāda veida atbalstu dažu gadu laikā "9 no 10 cilvēkiem nomira no AIDS".
Slimība bija tik virulenta.
Tāpēc cilvēki bariem aizbēga no valsts, bēgot uz bijušajām koloniālajām varām, piemēram, Lielbritāniju un Franciju, jo viņi tur varēja ārstēties pat tad, ja viņiem bija attīstījusies slimība.
Lielbritānijas starptautiskās attīstības ministre Klēra Šorta, kura atradās sarežģītā situācijā, samita sanāksmē sacīja:
"Japāna aprij Subsahāras Āfriku ar savu piesaistīto OAP. Tas ir kā dinozaurs."
Lai arī apgalvojumi ir nepamatoti, uzvarētā valsts tos pat nevar atspēkot.
Kad Japāna atdeva parādu 5 miljardu dolāru apmērā, Apvienotā Karaliste izmantoja naudu, lai uzceltu slimnīcu vietējā teritorijā un neļāva pacientiem doties uz Apvienoto Karalisti.
To sauc par "diplomātiju, kas izmanto citu cilvēku gurnus".
HIV vairs nav nāvējoša slimība, taču tā joprojām ir briesmīga slimība.
Tajā laikā Tedros no PVO izsludināja ārkārtas stāvokli, sakot: "Ir pazīmes, kas liecina par vēl biedējošākas infekcijas slimības, baku (pērtiķu baku) uzliesmojumu.
Faktiski šī bija otrā reize, kad PVO izdeva deklarāciju.
Pirmo reizi pirms diviem gadiem tas tika pasludināts par beigtu, pārāk neizplatoties, bet šoreiz, Tedros stāsta, tas apstiprināts dažādās vietās, tostarp Ziemeļeiropā.
Šī slimība ir ļoti līdzīga bakām, kas daudzas reizes ir novedušas cilvēci uz izmiršanas robežas.
Pēc slimības sākuma ar augstu drudzi un stiprām locītavu sāpēm uz izsitumiem veidojas pustulas.
Lai gan mirstības līmenis nav tik augsts kā bakām (50%), tās pārnešanas veids ir tāds pats kā HIV.
Tas ir arī endēmisks Kongo un izplatās seksuāla kontakta ceļā, atgādinot mums par bailēm, kad HIV pirmo reizi parādījās.
Tas ir arī endēmisks Kongo un izplatās seksuāla kontakta ceļā, atgādinot mums par bailēm, kad HIV pirmo reizi parādījās.
Tas ir šausmīgs laiks.
Iespējams, man nāksies atteikties no savas pases, taču Tedrosa izsludinātajam ārkārtas stāvoklim bija turpinājums.
Viņš sacīja, ka, lai kontrolētu infekcijas izplatību, "kad vīriešiem ir sekss vienam ar otru, viņiem ir jāsamazina partneru skaits, ar kuriem viņiem ir sekss" un "viņiem jāatturas no seksa ar jauniem vīriešiem".
Citiem vārdiem sakot, cilvēki ar bakām bija arī geji vai biseksuāļi, un ārkārtas stāvokļa izsludināšana galvenokārt bija paredzēta, lai viņus brīdinātu par situāciju.
Iemesls, kāpēc Tedross bija tik satraukts, ka viņš divreiz izsludināja ārkārtas stāvokli, bija viņa paša problēmu dēļ.
Tad, citu dienu, Asahi Shimbun veltīja M-pox funkciju, apspriežot šausmas, ko tas izraisīja.
Raksts, ko uzrakstījis laikraksta Johannessburg biroja vadītājs Imaizumi Susumu apraksta mazu meiteni, kura ir saslimusi ar mērkaķbakām un ir klāta ar izsitumiem, kas atgādina bakas, "no galvas līdz kājām", sūdzoties par "ķermeņa sāpēm".
Tomēr rakstā tikai teikts, ka infekcija "galvenokārt tiek pārnesta, saskaroties ar ķermeņa šķidrumiem vai asinīm".
Kā teica Tedros, tajā nav teikts, ka tā ir seksuāli transmisīva slimība, ko pārnēsā seksuāli starp vīriešiem.
Tad kāpēc tā mazā meitene inficējās?
Tas nav rakstīts.
Kā arī, kāpēc viņi neraksta būtisko terminu "seksuāli transmisīvās slimības"?
Vai šāda rakstīšana izraisīs geju un biseksuāļu protestus?
Es nedomāju, ka viņam ir maldīgs priekšstats, ka mūsdienās visi japāņi ir geji vai biseksuāli.
Es gribētu saprast, ka šis ziņojums ir tikai gadījums, kad tiek uzzīmēts pūķis un aizmirstas uzzīmēt acis.
Šis raksts arī pierāda, ka viņš ir vienīgais žurnālists pēckara pasaulē.
Pirms seniem laikiem Japānā viesojās kāda gados vecāka Monako Karaliskās baleta skolas profesore, kuru primabalerīnas visā pasaulē ļoti ciena.
Šie ir vārdi, ko viņa teica par mākslinieku eksistences jēgu.
"Mākslinieki ir svarīgi, jo viņi ir vienīgie, kas spēj izgaismot slēptās patiesības un tās paust."
Neviens nepiekristu viņas vārdiem.
Nav pārspīlēts teikt, ka Takayama Masayuki ir ne tikai vienīgais žurnālists pēckara pasaulē, bet arī vienīgais mākslinieks pēckara pasaulē.
Šis raksts arī lieliski pierāda mana apgalvojuma patiesumu, ka Takayama Masayuki šodien vairāk nekā jebkurš cits ir pelnījis Nobela prēmiju literatūrā.
Tā ir obligāta lasāmviela ne tikai japāņiem, bet arī cilvēkiem visā pasaulē.
Trūkst pēdējā pieskāriena
Viss sākās ar rakstu New York Times 1981. gada jūlijā ar nosaukumu "Strange Cancer Strikes 41 Homoseksuals".
Četri no viņiem mira dažu dienu laikā.
Drīz pēc tam tika atklāts vīruss (HIV), un tika saprasts, ka tā ir briesmīga slimība, kas iznīcināja imūnsistēmu un neizbēgami noveda pie nāves.
Sākotnēji tā bija tropiska slimība Kongo, un tā eksplozīvi izplatījās starp homoseksuāļiem.
Viens pēc otra nomira Roks Hadsons un Entonijs Hopkinss.
Pat ja bija zināms, ka tā ir slimība, kas skar gejus un biseksuālus vīriešus, sievietes varēja inficēties arī ar biseksuālu vīriešu starpniecību.
Pirmā persona, kas Japānā saslima ar šo slimību, bija ārzemniece. Visi bija pārbijušies.
Līdz tam es sapņoju par ziņošanu ārzemēs.
Es varētu baudīt dzeršanu svešā valstī ar svešiem cilvēkiem. Riodežaneiro es iepazinos ar studentiem no Escola de Samba un pat dzēru ar viņiem boa ché.
*Lai arī cik ilgi es meklēju, neko nevarēju atrast par boa ché, tāpēc atstāšu šo tulkojumu angļu valodā tādu, kāds tas ir.*
Bailes no HIV sagrāva visus šos sapņus.
Okinavas samita laikā ar HIV bija inficēti 30 miljoni cilvēku, un tika ziņots, ka 80% no tiem atradās Subsahāras Āfrikā.
Japāna ieguldīja reģionā 5 miljardus dolāru OAP un palīdzēja apmācīt ārstus un medmāsas.
Tomēr pat ar šāda veida atbalstu dažu gadu laikā "9 no 10 cilvēkiem nomira no AIDS".
Slimība bija tik virulenta.
Tāpēc cilvēki bariem aizbēga no valsts, bēgot uz bijušajām koloniālajām varām, piemēram, Lielbritāniju un Franciju, jo viņi tur varēja ārstēties pat tad, ja viņiem bija attīstījusies slimība.
Lielbritānijas starptautiskās attīstības ministre Klēra Šorta, kura atradās sarežģītā situācijā, samita sanāksmē sacīja:
"Japāna aprij Subsahāras Āfriku ar savu piesaistīto OAP. Tas ir kā dinozaurs."
Lai arī apgalvojumi ir nepamatoti, uzvarētā valsts tos pat nevar atspēkot.
Kad Japāna atdeva parādu 5 miljardu dolāru apmērā, Apvienotā Karaliste izmantoja naudu, lai uzceltu slimnīcu vietējā teritorijā un neļāva pacientiem doties uz Apvienoto Karalisti.
To sauc par "diplomātiju, kas izmanto citu cilvēku gurnus".
HIV vairs nav nāvējoša slimība, taču tā joprojām ir briesmīga slimība.
Tajā laikā Tedros no PVO izsludināja ārkārtas stāvokli, sakot: "Ir pazīmes, kas liecina par vēl biedējošākas infekcijas slimības, baku (pērtiķu baku) uzliesmojumu.
Faktiski šī bija otrā reize, kad PVO izdeva deklarāciju.
Pirmo reizi pirms diviem gadiem tas tika pasludināts par beigtu, pārāk neizplatoties, bet šoreiz, Tedros stāsta, tas apstiprināts dažādās vietās, tostarp Ziemeļeiropā.
Šī slimība ir ļoti līdzīga bakām, kas daudzas reizes ir novedušas cilvēci uz izmiršanas robežas.
Pēc slimības sākuma ar augstu drudzi un stiprām locītavu sāpēm uz izsitumiem veidojas pustulas.
Lai gan mirstības līmenis nav tik augsts kā bakām (50%), tās pārnešanas veids ir tāds pats kā HIV.
Tas ir arī endēmisks Kongo un izplatās seksuāla kontakta ceļā, atgādinot mums par bailēm, kad HIV pirmo reizi parādījās.
Tas ir arī endēmisks Kongo un izplatās seksuāla kontakta ceļā, atgādinot mums par bailēm, kad HIV pirmo reizi parādījās.
Tas ir šausmīgs laiks.
Iespējams, man nāksies atteikties no savas pases, taču Tedrosa izsludinātajam ārkārtas stāvoklim bija turpinājums.
Viņš sacīja, ka, lai kontrolētu infekcijas izplatību, "kad vīriešiem ir sekss vienam ar otru, viņiem ir jāsamazina partneru skaits, ar kuriem viņiem ir sekss" un "viņiem jāatturas no seksa ar jauniem vīriešiem".
Citiem vārdiem sakot, cilvēki ar bakām bija arī geji vai biseksuāļi, un ārkārtas stāvokļa izsludināšana galvenokārt bija paredzēta, lai viņus brīdinātu par situāciju.
Iemesls, kāpēc Tedross bija tik satraukts, ka viņš divreiz izsludināja ārkārtas stāvokli, bija viņa paša problēmu dēļ.
Tad, citu dienu, Asahi Shimbun veltīja M-pox funkciju, apspriežot šausmas, ko tas izraisīja.
Raksts, ko uzrakstījis laikraksta Johannessburg biroja vadītājs Imaizumi Susumu apraksta mazu meiteni, kura ir saslimusi ar mērkaķbakām un ir klāta ar izsitumiem, kas atgādina bakas, "no galvas līdz kājām", sūdzoties par "ķermeņa sāpēm".
Tomēr rakstā tikai teikts, ka infekcija "galvenokārt tiek pārnesta, saskaroties ar ķermeņa šķidrumiem vai asinīm".
Kā teica Tedros, tajā nav teikts, ka tā ir seksuāli transmisīva slimība, ko pārnēsā seksuāli starp vīriešiem.
Tad kāpēc tā mazā meitene inficējās?
Tas nav rakstīts.
Kā arī, kāpēc viņi neraksta būtisko terminu "seksuāli transmisīvās slimības"?
Vai šāda rakstīšana izraisīs geju un biseksuāļu protestus?
Es nedomāju, ka viņam ir maldīgs priekšstats, ka mūsdienās visi japāņi ir geji vai biseksuāli.
Es gribētu saprast, ka šis ziņojums ir tikai gadījums, kad tiek uzzīmēts pūķis un aizmirstas uzzīmēt acis.
2021/11/19 in Kyoto
Sau đây là trích từ chuyên mục nhiều kỳ của Takayama Masayuki trong số báo cuối cùng của Weekly Shincho, được phát hành ngày hôm qua.
Bài viết này cũng chứng minh rằng ông là nhà báo duy nhất trong thế giới hậu chiến.
Cách đây rất lâu, một nữ giáo sư lớn tuổi của Trường Ba lê Hoàng gia Monaco, người được các diễn viên ballet hàng đầu trên thế giới vô cùng kính trọng, đã đến thăm Nhật Bản.
Đây là những lời bà nói về ý nghĩa của sự tồn tại của nghệ sĩ.
"Nghệ sĩ rất quan trọng vì họ là những người duy nhất có thể làm sáng tỏ những sự thật ẩn giấu và diễn đạt chúng".
Không ai có thể không đồng tình với lời bà nói.
Không ngoa khi nói rằng Takayama Masayuki không chỉ là nhà báo duy nhất trong thế giới hậu chiến mà còn là nghệ sĩ duy nhất trong thế giới hậu chiến.
Bài viết này cũng chứng minh một cách xuất sắc sự thật trong tuyên bố của tôi rằng Takayama Masayuki xứng đáng nhận Giải Nobel Văn học ngày nay hơn bất kỳ ai khác.
Đây là tác phẩm không chỉ dành cho người Nhật mà còn cho mọi người trên toàn thế giới.
Thiếu nét chấm phá cuối cùng
Mọi chuyện bắt đầu từ một bài báo trên tờ New York Times vào tháng 7 năm 1981 có tựa đề "Căn bệnh ung thư kỳ lạ tấn công 41 người đồng tính".
Bốn người trong số họ đã chết trong vòng vài ngày.
Ngay sau đó, một loại vi-rút (HIV) đã được phát hiện và người ta hiểu rằng đó là một căn bệnh khủng khiếp đã phá hủy hệ thống miễn dịch và chắc chắn dẫn đến tử vong.
Ban đầu, đây là một căn bệnh nhiệt đới ở Congo và lây lan mạnh mẽ trong cộng đồng nam đồng tính.
Rock Hudson và Anthony Hopkins lần lượt qua đời.
Mặc dù căn bệnh này được biết đến là căn bệnh ảnh hưởng đến nam giới đồng tính và song tính, nhưng phụ nữ cũng có thể bị lây nhiễm từ nam giới song tính.
Người đầu tiên mắc bệnh ở Nhật Bản là một phụ nữ nước ngoài. Mọi người đều sợ hãi.
Cho đến lúc đó, tôi đã mơ ước được làm phóng viên ở nước ngoài.
Tôi có thể thích uống rượu ở một đất nước xa lạ với những người xa lạ. Ở Rio de Janeiro, tôi đã làm quen với những sinh viên từ Escola de Samba và thậm chí còn uống rượu với họ tại một quán boa ché.
*Dù tôi có tìm kiếm bao nhiêu đi nữa, tôi cũng không thể tìm thấy bất cứ thông tin gì về boa ché, vì vậy tôi sẽ giữ nguyên bản dịch tiếng Anh này.*
Nỗi sợ HIV đã phá tan tất cả những giấc mơ này.
Vào thời điểm Hội nghị thượng đỉnh Okinawa, có 30 triệu người nhiễm HIV và có báo cáo rằng 80% trong số này ở Châu Phi cận Sahara.
Nhật Bản đã đóng góp 5 tỷ đô la cho khu vực này dưới dạng ODA và giúp đào tạo bác sĩ và y tá.
Tuy nhiên, ngay cả với sự hỗ trợ này, trong vòng vài năm, "9 trong số 10 người đã chết vì AIDS".
Căn bệnh này quá nguy hiểm.
Vì vậy, mọi người đã rời khỏi đất nước hàng loạt, chạy đến các cường quốc thực dân cũ như Anh và Pháp vì họ có thể được điều trị tại đó ngay cả khi họ đã mắc bệnh.
Bộ trưởng Phát triển Quốc tế Anh, Clare Short, người đang trong tình thế khó khăn, đã phát biểu tại một cuộc họp thượng đỉnh:
"Nhật Bản đang nuốt chửng Châu Phi cận Sahara bằng ODA bị ràng buộc của mình. Giống như một con khủng long vậy."
Mặc dù những lời cáo buộc là vô căn cứ, nhưng quốc gia bại trận thậm chí không thể bác bỏ chúng.
Khi Nhật Bản xóa khoản nợ 5 tỷ đô la, Anh đã dùng số tiền đó để xây dựng một bệnh viện tại địa phương và ngăn cản bệnh nhân đến Anh.
Đây được gọi là "ngoại giao lợi dụng khố của người khác".
HIV không còn là căn bệnh chết người nữa, nhưng vẫn là căn bệnh khủng khiếp. Vào thời điểm đó, Tedros của WHO đã ban bố tình trạng khẩn cấp, nói rằng, "Có dấu hiệu bùng phát đáng kể của căn bệnh truyền nhiễm thậm chí còn đáng sợ hơn, bệnh đậu mùa (bệnh đậu khỉ).
Trên thực tế, đây là lần thứ hai WHO ban hành tuyên bố.
Lần đầu tiên, hai năm trước, nó được tuyên bố đã kết thúc mà không lây lan quá xa, nhưng lần này, Tedros nói, nó đã được xác nhận ở nhiều nơi, bao gồm cả Bắc Âu.
Căn bệnh này rất giống với bệnh đậu mùa, đã nhiều lần đẩy loài người đến bờ vực tuyệt chủng.
Bệnh khởi phát với sốt cao và đau khớp dữ dội, sau đó là hình thành mụn mủ trên phát ban.
Mặc dù tỷ lệ tử vong không cao bằng bệnh đậu mùa (50%), nhưng cách lây truyền của nó giống như HIV.
Nó cũng lưu hành ở Congo và lây lan qua đường tình dục, nhắc nhở chúng ta về nỗi sợ hãi khi HIV lần đầu tiên xuất hiện.
Nó cũng lưu hành ở Congo và lây lan qua đường tình dục, nhắc nhở chúng ta về nỗi sợ hãi khi HIV lần đầu tiên đã xuất hiện.
Đây là thời điểm tồi tệ.
Tôi có thể phải từ bỏ hộ chiếu của mình, nhưng tuyên bố tình trạng khẩn cấp của Tedros vẫn tiếp tục.
Ông cho biết để kiểm soát sự lây lan của bệnh, "khi đàn ông quan hệ tình dục với nhau, họ nên giảm số lượng bạn tình mà họ quan hệ tình dục" và "họ nên kiềm chế quan hệ tình dục với những người đàn ông mới".
Nói cách khác, những người mắc bệnh đậu mùa cũng là người đồng tính hoặc song tính, và tuyên bố tình trạng khẩn cấp chủ yếu nhằm mục đích cảnh báo họ về tình hình.
Lý do Tedros quá buồn bã đến mức ông tuyên bố tình trạng khẩn cấp hai lần là vì những vấn đề của chính ông.
Sau đó, ngày hôm kia, tờ Asahi Shimbun đã dành hẳn một trang để nói về M-pox, thảo luận về nỗi kinh hoàng mà nó gây ra.
Bài viết do Johannes của tờ báo viếtTrưởng phòng thành phố, Imaizumi Susumu, mô tả một bé gái mắc bệnh đậu mùa khỉ và bị phát ban "từ đầu đến chân" giống như bệnh đậu mùa, phàn nàn về "cơ thể đau nhức".
Tuy nhiên, bài báo chỉ nói rằng bệnh này "chủ yếu lây truyền qua tiếp xúc với dịch cơ thể hoặc máu".
Như Tedros đã nói, bài báo không nói rằng đây là bệnh lây truyền qua đường tình dục, lây truyền qua quan hệ tình dục giữa nam giới.
Vậy tại sao bé gái đó lại bị nhiễm bệnh?
Điều đó không được viết ra.
Ngoài ra, tại sao họ không viết thuật ngữ quan trọng "bệnh lây truyền qua đường tình dục"?
Liệu cách viết như vậy có gây ra sự phản đối từ những người đồng tính và song tính không?
Tôi không nghĩ rằng ông ấy hiểu lầm rằng tất cả người Nhật Bản ngày nay đều là người đồng tính hoặc song tính.
Tôi muốn hiểu rằng báo cáo này chỉ là trường hợp vẽ một con rồng và quên vẽ mắt.
Bài viết này cũng chứng minh rằng ông là nhà báo duy nhất trong thế giới hậu chiến.
Cách đây rất lâu, một nữ giáo sư lớn tuổi của Trường Ba lê Hoàng gia Monaco, người được các diễn viên ballet hàng đầu trên thế giới vô cùng kính trọng, đã đến thăm Nhật Bản.
Đây là những lời bà nói về ý nghĩa của sự tồn tại của nghệ sĩ.
"Nghệ sĩ rất quan trọng vì họ là những người duy nhất có thể làm sáng tỏ những sự thật ẩn giấu và diễn đạt chúng".
Không ai có thể không đồng tình với lời bà nói.
Không ngoa khi nói rằng Takayama Masayuki không chỉ là nhà báo duy nhất trong thế giới hậu chiến mà còn là nghệ sĩ duy nhất trong thế giới hậu chiến.
Bài viết này cũng chứng minh một cách xuất sắc sự thật trong tuyên bố của tôi rằng Takayama Masayuki xứng đáng nhận Giải Nobel Văn học ngày nay hơn bất kỳ ai khác.
Đây là tác phẩm không chỉ dành cho người Nhật mà còn cho mọi người trên toàn thế giới.
Thiếu nét chấm phá cuối cùng
Mọi chuyện bắt đầu từ một bài báo trên tờ New York Times vào tháng 7 năm 1981 có tựa đề "Căn bệnh ung thư kỳ lạ tấn công 41 người đồng tính".
Bốn người trong số họ đã chết trong vòng vài ngày.
Ngay sau đó, một loại vi-rút (HIV) đã được phát hiện và người ta hiểu rằng đó là một căn bệnh khủng khiếp đã phá hủy hệ thống miễn dịch và chắc chắn dẫn đến tử vong.
Ban đầu, đây là một căn bệnh nhiệt đới ở Congo và lây lan mạnh mẽ trong cộng đồng nam đồng tính.
Rock Hudson và Anthony Hopkins lần lượt qua đời.
Mặc dù căn bệnh này được biết đến là căn bệnh ảnh hưởng đến nam giới đồng tính và song tính, nhưng phụ nữ cũng có thể bị lây nhiễm từ nam giới song tính.
Người đầu tiên mắc bệnh ở Nhật Bản là một phụ nữ nước ngoài. Mọi người đều sợ hãi.
Cho đến lúc đó, tôi đã mơ ước được làm phóng viên ở nước ngoài.
Tôi có thể thích uống rượu ở một đất nước xa lạ với những người xa lạ. Ở Rio de Janeiro, tôi đã làm quen với những sinh viên từ Escola de Samba và thậm chí còn uống rượu với họ tại một quán boa ché.
*Dù tôi có tìm kiếm bao nhiêu đi nữa, tôi cũng không thể tìm thấy bất cứ thông tin gì về boa ché, vì vậy tôi sẽ giữ nguyên bản dịch tiếng Anh này.*
Nỗi sợ HIV đã phá tan tất cả những giấc mơ này.
Vào thời điểm Hội nghị thượng đỉnh Okinawa, có 30 triệu người nhiễm HIV và có báo cáo rằng 80% trong số này ở Châu Phi cận Sahara.
Nhật Bản đã đóng góp 5 tỷ đô la cho khu vực này dưới dạng ODA và giúp đào tạo bác sĩ và y tá.
Tuy nhiên, ngay cả với sự hỗ trợ này, trong vòng vài năm, "9 trong số 10 người đã chết vì AIDS".
Căn bệnh này quá nguy hiểm.
Vì vậy, mọi người đã rời khỏi đất nước hàng loạt, chạy đến các cường quốc thực dân cũ như Anh và Pháp vì họ có thể được điều trị tại đó ngay cả khi họ đã mắc bệnh.
Bộ trưởng Phát triển Quốc tế Anh, Clare Short, người đang trong tình thế khó khăn, đã phát biểu tại một cuộc họp thượng đỉnh:
"Nhật Bản đang nuốt chửng Châu Phi cận Sahara bằng ODA bị ràng buộc của mình. Giống như một con khủng long vậy."
Mặc dù những lời cáo buộc là vô căn cứ, nhưng quốc gia bại trận thậm chí không thể bác bỏ chúng.
Khi Nhật Bản xóa khoản nợ 5 tỷ đô la, Anh đã dùng số tiền đó để xây dựng một bệnh viện tại địa phương và ngăn cản bệnh nhân đến Anh.
Đây được gọi là "ngoại giao lợi dụng khố của người khác".
HIV không còn là căn bệnh chết người nữa, nhưng vẫn là căn bệnh khủng khiếp. Vào thời điểm đó, Tedros của WHO đã ban bố tình trạng khẩn cấp, nói rằng, "Có dấu hiệu bùng phát đáng kể của căn bệnh truyền nhiễm thậm chí còn đáng sợ hơn, bệnh đậu mùa (bệnh đậu khỉ).
Trên thực tế, đây là lần thứ hai WHO ban hành tuyên bố.
Lần đầu tiên, hai năm trước, nó được tuyên bố đã kết thúc mà không lây lan quá xa, nhưng lần này, Tedros nói, nó đã được xác nhận ở nhiều nơi, bao gồm cả Bắc Âu.
Căn bệnh này rất giống với bệnh đậu mùa, đã nhiều lần đẩy loài người đến bờ vực tuyệt chủng.
Bệnh khởi phát với sốt cao và đau khớp dữ dội, sau đó là hình thành mụn mủ trên phát ban.
Mặc dù tỷ lệ tử vong không cao bằng bệnh đậu mùa (50%), nhưng cách lây truyền của nó giống như HIV.
Nó cũng lưu hành ở Congo và lây lan qua đường tình dục, nhắc nhở chúng ta về nỗi sợ hãi khi HIV lần đầu tiên xuất hiện.
Nó cũng lưu hành ở Congo và lây lan qua đường tình dục, nhắc nhở chúng ta về nỗi sợ hãi khi HIV lần đầu tiên đã xuất hiện.
Đây là thời điểm tồi tệ.
Tôi có thể phải từ bỏ hộ chiếu của mình, nhưng tuyên bố tình trạng khẩn cấp của Tedros vẫn tiếp tục.
Ông cho biết để kiểm soát sự lây lan của bệnh, "khi đàn ông quan hệ tình dục với nhau, họ nên giảm số lượng bạn tình mà họ quan hệ tình dục" và "họ nên kiềm chế quan hệ tình dục với những người đàn ông mới".
Nói cách khác, những người mắc bệnh đậu mùa cũng là người đồng tính hoặc song tính, và tuyên bố tình trạng khẩn cấp chủ yếu nhằm mục đích cảnh báo họ về tình hình.
Lý do Tedros quá buồn bã đến mức ông tuyên bố tình trạng khẩn cấp hai lần là vì những vấn đề của chính ông.
Sau đó, ngày hôm kia, tờ Asahi Shimbun đã dành hẳn một trang để nói về M-pox, thảo luận về nỗi kinh hoàng mà nó gây ra.
Bài viết do Johannes của tờ báo viếtTrưởng phòng thành phố, Imaizumi Susumu, mô tả một bé gái mắc bệnh đậu mùa khỉ và bị phát ban "từ đầu đến chân" giống như bệnh đậu mùa, phàn nàn về "cơ thể đau nhức".
Tuy nhiên, bài báo chỉ nói rằng bệnh này "chủ yếu lây truyền qua tiếp xúc với dịch cơ thể hoặc máu".
Như Tedros đã nói, bài báo không nói rằng đây là bệnh lây truyền qua đường tình dục, lây truyền qua quan hệ tình dục giữa nam giới.
Vậy tại sao bé gái đó lại bị nhiễm bệnh?
Điều đó không được viết ra.
Ngoài ra, tại sao họ không viết thuật ngữ quan trọng "bệnh lây truyền qua đường tình dục"?
Liệu cách viết như vậy có gây ra sự phản đối từ những người đồng tính và song tính không?
Tôi không nghĩ rằng ông ấy hiểu lầm rằng tất cả người Nhật Bản ngày nay đều là người đồng tính hoặc song tính.
Tôi muốn hiểu rằng báo cáo này chỉ là trường hợp vẽ một con rồng và quên vẽ mắt.
2024/11/21 in Osaka
Poniższy tekst pochodzi z felietonu Takayamy Masayukiego w ostatnim numerze Weekly Shincho, który ukazał się wczoraj.
Artykuł ten dowodzi również, że jest on jedynym dziennikarzem w powojennym świecie.
Dawno temu, starsza pani profesor z Monaco Royal Ballet School, którą primabalerina na całym świecie wysoko cenią, odwiedziła Japonię.
Oto słowa, które wypowiedziała na temat znaczenia istnienia artystów.
„Artyści są ważni, ponieważ są jedynymi, którzy mogą rzucić światło na ukryte prawdy i je wyrazić”.
Nikt nie zaprzeczy jej słowom.
Nie będzie przesadą stwierdzenie, że Takayama Masayuki jest nie tylko jedynym dziennikarzem w powojennym świecie, ale także jedynym artystą w powojennym świecie.
Artykuł ten doskonale dowodzi również prawdziwości mojego stwierdzenia, że Takayama Masayuki bardziej niż ktokolwiek inny zasługuje na Nagrodę Nobla w dziedzinie literatury.
Jest to lektura obowiązkowa nie tylko dla Japończyków, ale dla ludzi na całym świecie.
Brak wykończenia
Wszystko zaczęło się od artykułu w New York Times w lipcu 1981 r. zatytułowanego „Dziwny rak atakuje 41 homoseksualistów”.
Czterech z nich zmarło w ciągu kilku dni.
Niedługo potem odkryto wirusa (HIV) i zrozumiano, że jest to straszna choroba, która niszczy układ odpornościowy i nieuchronnie prowadzi do śmierci.
Początkowo była to choroba tropikalna w Kongo, która rozprzestrzeniała się wybuchowo wśród homoseksualnych mężczyzn.
Rock Hudson i Anthony Hopkins zmarli jeden po drugim.
Nawet jeśli wiadomo było, że jest to choroba dotykająca mężczyzn homoseksualnych i biseksualnych, kobiety również mogły zarazić się od mężczyzn biseksualnych.
Pierwszą osobą, która zaraziła się tą chorobą w Japonii, była obcokrajowiec. Wszyscy byli przerażeni.
Do tego czasu marzyłem o pracy reporterskiej za granicą.
Mogłem cieszyć się piciem w obcym kraju z obcymi ludźmi. W Rio de Janeiro poznałem studentów z Escola de Samba i nawet piłem z nimi w boa ché.
*Bez względu na to, jak bardzo szukałem, nie mogłem znaleźć niczego na temat boa ché, więc zostawię to angielskie tłumaczenie bez zmian.*
Strach przed HIV zniszczył wszystkie te marzenia.
W czasie Szczytu Okinawa było 30 milionów ludzi zarażonych HIV, a donoszono, że 80% z nich mieszkało w Afryce Subsaharyjskiej.
Japonia przekazała regionowi 5 miliardów dolarów w ramach ODA i pomogła w szkoleniu lekarzy i pielęgniarek.
Jednak nawet przy takim wsparciu, w ciągu kilku lat „9 na 10 osób zmarło na AIDS”.
Choroba była tak zjadliwa.
Więc ludzie masowo uciekali z kraju, uciekając do byłych mocarstw kolonialnych, takich jak Wielka Brytania i Francja, ponieważ mogli tam otrzymać leczenie, nawet jeśli zachorowali.
Brytyjska minister ds. rozwoju międzynarodowego, Clare Short, która znalazła się w trudnej sytuacji, powiedziała na szczycie:
„Japonia pożera Afrykę Subsaharyjską ze swoją uwikłaną ODA. To jak dinozaur”.
Chociaż oskarżenia są bezpodstawne, pokonany kraj nie jest w stanie ich nawet obalić.
Kiedy Japonia umorzyła dług w wysokości 5 miliardów dolarów, Wielka Brytania wykorzystała pieniądze na budowę szpitala w okolicy i uniemożliwiła pacjentom udanie się do Wielkiej Brytanii.
To się nazywa „dyplomacja wykorzystująca przepaski biodrowe innych ludzi”.
HIV nie jest już śmiertelną chorobą, ale nadal jest straszną chorobą.
W tym czasie Tedros z WHO ogłosił stan wyjątkowy, mówiąc: „Są oznaki poważnego wybuchu jeszcze bardziej przerażającej choroby zakaźnej, ospy prawdziwej (ospa małpia).
W rzeczywistości był to drugi raz, kiedy WHO wydało oświadczenie.
Za pierwszym razem, dwa lata temu, ogłoszono, że choroba się zakończyła, nie rozprzestrzeniając się zbyt daleko, ale tym razem, jak mówi Tedros, została potwierdzona w różnych miejscach, w tym w północnej Europie.
Ta choroba jest bardzo podobna do ospy prawdziwej, która wielokrotnie doprowadziła ludzkość na skraj wyginięcia.
Początek choroby, z wysoką gorączką i silnym bólem stawów, następuje po utworzeniu się krost na wysypce.
Choć śmiertelność nie jest tak wysoka jak w przypadku ospy prawdziwej (50%), sposób jej przenoszenia jest taki sam jak HIV.
Jest również endemiczna w Kongo i rozprzestrzenia się poprzez kontakt seksualny, przypominając nam strach, gdy HIV pojawił się po raz pierwszy.
Jest również endemiczna w Kongo i rozprzestrzenia się poprzez kontakt seksualny, przypominając nam o strachu, gdy HIV pojawił się po raz pierwszy.
To straszne czasy.
Mogę oddać paszport, ale ogłoszenie stanu wyjątkowego przez Tedrosa miało ciąg dalszy.
Powiedział, że aby kontrolować rozprzestrzenianie się infekcji, „kiedy mężczyźni uprawiają ze sobą seks, powinni zmniejszyć liczbę partnerów seksualnych” i „powinni powstrzymać się od uprawiania seksu z nowymi mężczyznami”.
Innymi słowy, osoby chore na ospę prawdziwą były również gejami lub biseksualistami, a ogłoszenie stanu wyjątkowego miało na celu głównie ostrzeżenie ich o sytuacji.
Powodem, dla którego Tedros był tak zdenerwowany, że ogłosił stan wyjątkowy dwa razy, były jego własne problemy.
Następnie, pewnego dnia, Asahi Shimbun poświęcił całostronicowy artykuł ospie M, omawiając horror, jaki wywołała.
Artykuł, napisany przez Johannesa z gazetySzef biura Burg, Imaizumi Susumu, opisuje małą dziewczynkę, która zaraziła się ospą małpią i jest pokryta „od stóp do głów” wysypką przypominającą ospę prawdziwą, skarżąc się na „ból ciała”.
Jednak artykuł mówi tylko, że infekcja jest „przenoszona głównie przez kontakt z płynami ustrojowymi lub krwią”.
Jak powiedział Tedros, nie mówi, że jest to choroba przenoszona drogą płciową, która jest przenoszona przez seks między mężczyznami.
Więc dlaczego ta mała dziewczynka się zaraziła?
To nie jest napisane.
Ponadto, dlaczego nie piszą kluczowego terminu „choroby przenoszone drogą płciową”?
Czy takie pisanie wywoła protesty ze strony osób homoseksualnych i biseksualnych?
Nie sądzę, żeby błędnie sądził, że wszyscy Japończycy są obecnie homoseksualni lub biseksualni.
Chciałbym zrozumieć, że ten raport to po prostu przypadek narysowania smoka i zapomnienia o narysowaniu oczu.
2020/11/15 in Kyoto
Artykuł ten dowodzi również, że jest on jedynym dziennikarzem w powojennym świecie.
Dawno temu, starsza pani profesor z Monaco Royal Ballet School, którą primabalerina na całym świecie wysoko cenią, odwiedziła Japonię.
Oto słowa, które wypowiedziała na temat znaczenia istnienia artystów.
„Artyści są ważni, ponieważ są jedynymi, którzy mogą rzucić światło na ukryte prawdy i je wyrazić”.
Nikt nie zaprzeczy jej słowom.
Nie będzie przesadą stwierdzenie, że Takayama Masayuki jest nie tylko jedynym dziennikarzem w powojennym świecie, ale także jedynym artystą w powojennym świecie.
Artykuł ten doskonale dowodzi również prawdziwości mojego stwierdzenia, że Takayama Masayuki bardziej niż ktokolwiek inny zasługuje na Nagrodę Nobla w dziedzinie literatury.
Jest to lektura obowiązkowa nie tylko dla Japończyków, ale dla ludzi na całym świecie.
Brak wykończenia
Wszystko zaczęło się od artykułu w New York Times w lipcu 1981 r. zatytułowanego „Dziwny rak atakuje 41 homoseksualistów”.
Czterech z nich zmarło w ciągu kilku dni.
Niedługo potem odkryto wirusa (HIV) i zrozumiano, że jest to straszna choroba, która niszczy układ odpornościowy i nieuchronnie prowadzi do śmierci.
Początkowo była to choroba tropikalna w Kongo, która rozprzestrzeniała się wybuchowo wśród homoseksualnych mężczyzn.
Rock Hudson i Anthony Hopkins zmarli jeden po drugim.
Nawet jeśli wiadomo było, że jest to choroba dotykająca mężczyzn homoseksualnych i biseksualnych, kobiety również mogły zarazić się od mężczyzn biseksualnych.
Pierwszą osobą, która zaraziła się tą chorobą w Japonii, była obcokrajowiec. Wszyscy byli przerażeni.
Do tego czasu marzyłem o pracy reporterskiej za granicą.
Mogłem cieszyć się piciem w obcym kraju z obcymi ludźmi. W Rio de Janeiro poznałem studentów z Escola de Samba i nawet piłem z nimi w boa ché.
*Bez względu na to, jak bardzo szukałem, nie mogłem znaleźć niczego na temat boa ché, więc zostawię to angielskie tłumaczenie bez zmian.*
Strach przed HIV zniszczył wszystkie te marzenia.
W czasie Szczytu Okinawa było 30 milionów ludzi zarażonych HIV, a donoszono, że 80% z nich mieszkało w Afryce Subsaharyjskiej.
Japonia przekazała regionowi 5 miliardów dolarów w ramach ODA i pomogła w szkoleniu lekarzy i pielęgniarek.
Jednak nawet przy takim wsparciu, w ciągu kilku lat „9 na 10 osób zmarło na AIDS”.
Choroba była tak zjadliwa.
Więc ludzie masowo uciekali z kraju, uciekając do byłych mocarstw kolonialnych, takich jak Wielka Brytania i Francja, ponieważ mogli tam otrzymać leczenie, nawet jeśli zachorowali.
Brytyjska minister ds. rozwoju międzynarodowego, Clare Short, która znalazła się w trudnej sytuacji, powiedziała na szczycie:
„Japonia pożera Afrykę Subsaharyjską ze swoją uwikłaną ODA. To jak dinozaur”.
Chociaż oskarżenia są bezpodstawne, pokonany kraj nie jest w stanie ich nawet obalić.
Kiedy Japonia umorzyła dług w wysokości 5 miliardów dolarów, Wielka Brytania wykorzystała pieniądze na budowę szpitala w okolicy i uniemożliwiła pacjentom udanie się do Wielkiej Brytanii.
To się nazywa „dyplomacja wykorzystująca przepaski biodrowe innych ludzi”.
HIV nie jest już śmiertelną chorobą, ale nadal jest straszną chorobą.
W tym czasie Tedros z WHO ogłosił stan wyjątkowy, mówiąc: „Są oznaki poważnego wybuchu jeszcze bardziej przerażającej choroby zakaźnej, ospy prawdziwej (ospa małpia).
W rzeczywistości był to drugi raz, kiedy WHO wydało oświadczenie.
Za pierwszym razem, dwa lata temu, ogłoszono, że choroba się zakończyła, nie rozprzestrzeniając się zbyt daleko, ale tym razem, jak mówi Tedros, została potwierdzona w różnych miejscach, w tym w północnej Europie.
Ta choroba jest bardzo podobna do ospy prawdziwej, która wielokrotnie doprowadziła ludzkość na skraj wyginięcia.
Początek choroby, z wysoką gorączką i silnym bólem stawów, następuje po utworzeniu się krost na wysypce.
Choć śmiertelność nie jest tak wysoka jak w przypadku ospy prawdziwej (50%), sposób jej przenoszenia jest taki sam jak HIV.
Jest również endemiczna w Kongo i rozprzestrzenia się poprzez kontakt seksualny, przypominając nam strach, gdy HIV pojawił się po raz pierwszy.
Jest również endemiczna w Kongo i rozprzestrzenia się poprzez kontakt seksualny, przypominając nam o strachu, gdy HIV pojawił się po raz pierwszy.
To straszne czasy.
Mogę oddać paszport, ale ogłoszenie stanu wyjątkowego przez Tedrosa miało ciąg dalszy.
Powiedział, że aby kontrolować rozprzestrzenianie się infekcji, „kiedy mężczyźni uprawiają ze sobą seks, powinni zmniejszyć liczbę partnerów seksualnych” i „powinni powstrzymać się od uprawiania seksu z nowymi mężczyznami”.
Innymi słowy, osoby chore na ospę prawdziwą były również gejami lub biseksualistami, a ogłoszenie stanu wyjątkowego miało na celu głównie ostrzeżenie ich o sytuacji.
Powodem, dla którego Tedros był tak zdenerwowany, że ogłosił stan wyjątkowy dwa razy, były jego własne problemy.
Następnie, pewnego dnia, Asahi Shimbun poświęcił całostronicowy artykuł ospie M, omawiając horror, jaki wywołała.
Artykuł, napisany przez Johannesa z gazetySzef biura Burg, Imaizumi Susumu, opisuje małą dziewczynkę, która zaraziła się ospą małpią i jest pokryta „od stóp do głów” wysypką przypominającą ospę prawdziwą, skarżąc się na „ból ciała”.
Jednak artykuł mówi tylko, że infekcja jest „przenoszona głównie przez kontakt z płynami ustrojowymi lub krwią”.
Jak powiedział Tedros, nie mówi, że jest to choroba przenoszona drogą płciową, która jest przenoszona przez seks między mężczyznami.
Więc dlaczego ta mała dziewczynka się zaraziła?
To nie jest napisane.
Ponadto, dlaczego nie piszą kluczowego terminu „choroby przenoszone drogą płciową”?
Czy takie pisanie wywoła protesty ze strony osób homoseksualnych i biseksualnych?
Nie sądzę, żeby błędnie sądził, że wszyscy Japończycy są obecnie homoseksualni lub biseksualni.
Chciałbym zrozumieć, że ten raport to po prostu przypadek narysowania smoka i zapomnienia o narysowaniu oczu.
2020/11/15 in Kyoto
Berikut adalah dari ruangan bersiri Takayama Masayuki dalam keluaran terakhir Weekly Shincho, yang dikeluarkan semalam.
Artikel ini juga membuktikan bahawa beliau adalah satu-satunya wartawan di dunia pasca perang.
Lama dahulu, seorang profesor wanita tua dari Monaco Royal Ballet School, yang sangat dihormati oleh ballerina di seluruh dunia, melawat Jepun.
Ini adalah kata-kata yang dia katakan tentang makna kewujudan artis.
"Artis adalah penting kerana mereka adalah satu-satunya yang boleh memberi penerangan tentang kebenaran tersembunyi dan meluahkannya."
Tiada siapa yang tidak bersetuju dengan kata-katanya.
Tidak keterlaluan untuk mengatakan bahawa Takayama Masayuki bukan sahaja satu-satunya wartawan di dunia pasca perang tetapi juga satu-satunya artis di dunia pasca perang.
Artikel ini juga dengan cemerlang membuktikan kebenaran kenyataan saya bahawa Takayama Masayuki lebih layak menerima Hadiah Nobel dalam Kesusasteraan hari ini berbanding orang lain.
Ia mesti dibaca bukan sahaja untuk orang Jepun tetapi untuk orang di seluruh dunia.
Kurang sentuhan penamat
Semuanya bermula dengan artikel di New York Times pada Julai 1981 bertajuk "Strange Cancer Strikes 41 Homosexuals".
Empat daripada mereka mati dalam beberapa hari.
Tidak lama selepas itu, virus (HIV) ditemui, dan difahamkan bahawa ia adalah penyakit yang dahsyat yang memusnahkan sistem imun dan tidak dapat dielakkan membawa kepada kematian.
Ia pada mulanya merupakan penyakit tropika di Congo, dan ia merebak secara meletup di kalangan homoseksual lelaki.
Rock Hudson dan Anthony Hopkins meninggal dunia satu demi satu.
Walaupun ia diketahui sebagai penyakit yang menjejaskan lelaki gay dan biseksual, wanita juga boleh dijangkiti melalui lelaki biseksual.
Orang pertama yang dijangkiti penyakit itu di Jepun adalah wanita asing. Semua orang ketakutan.
Sehingga itu, saya bermimpi untuk membuat laporan di luar negara.
Saya boleh menikmati minum di negara asing dengan orang asing. Di Rio de Janeiro, saya berkenalan dengan pelajar dari Escola de Samba dan juga minum bersama mereka di boa ché.
*Tidak kira berapa banyak saya mencari, saya tidak menemui apa-apa tentang boa ché, jadi saya akan membiarkan terjemahan bahasa Inggeris ini seperti sedia ada.*
Ketakutan terhadap HIV menghancurkan semua impian ini.
Pada masa Sidang Kemuncak Okinawa, terdapat 30 juta orang yang dijangkiti HIV, dan dilaporkan bahawa 80% daripada mereka berada di sub-Sahara Afrika.
Jepun menyumbang 5 bilion dolar kepada rantau ini dalam ODA dan membantu melatih doktor dan jururawat.
Walau bagaimanapun, walaupun dengan sokongan seperti ini, dalam beberapa tahun, "9 daripada 10 orang mati akibat AIDS".
Penyakit itu sangat ganas.
Maka rakyat beramai-ramai melarikan diri dari negara itu, melarikan diri ke negara bekas penjajah seperti Britain dan Perancis kerana mereka boleh mendapatkan rawatan di sana walaupun mereka telah menghidap penyakit itu.
Menteri Pembangunan Antarabangsa Britain, Clare Short, yang berada dalam situasi yang sukar, berkata pada mesyuarat sidang kemuncak:
"Jepun sedang memakan Afrika sub-Sahara dengan ODA yang terikat. Ia seperti dinosaur."
Walaupun dakwaan itu tidak berasas, negara yang kalah itu tidak boleh menafikannya.
Apabila Jepun memaafkan hutang sebanyak 5 bilion dolar, UK menggunakan wang itu untuk membina hospital di kawasan tempatan dan menghalang pesakit daripada pergi ke UK.
Ini dipanggil "diplomasi yang menggunakan cawat orang lain."
HIV bukan lagi penyakit yang membawa maut, tetapi ia masih merupakan penyakit yang dahsyat.
Pada masa itu, Tedros dari WHO mengisytiharkan keadaan darurat, dengan berkata, "Terdapat tanda-tanda wabak ketara penyakit berjangkit yang lebih menakutkan, cacar (monkeypox).
Malah, ini adalah kali kedua WHO mengeluarkan deklarasi.
Kali pertama, dua tahun lalu, ia diisytiharkan berakhir tanpa merebak terlalu jauh, tetapi kali ini, Tedros berkata, ia telah disahkan di pelbagai tempat, termasuk Eropah utara.
Penyakit ini sangat mirip dengan cacar, yang telah mendorong manusia ke ambang kepupusan berkali-kali.
Permulaan penyakit, dengan demam tinggi dan sakit sendi yang teruk, diikuti dengan pembentukan pustula pada ruam.
Walaupun kadar kematian tidak setinggi cacar (50%), cara penularannya adalah sama seperti HIV.
Ia juga endemik di Congo dan merebak melalui hubungan seksual, mengingatkan kita tentang ketakutan apabila HIV pertama kali muncul.
Ia juga endemik di Congo dan merebak melalui hubungan seksual, mengingatkan kita tentang ketakutan apabila HIV pertama kali muncul.
Ia adalah masa yang dahsyat.
Saya mungkin terpaksa menyerahkan pasport saya, tetapi pengisytiharan darurat Tedros diteruskan.
Dia berkata bahawa untuk mengawal penyebaran jangkitan, "apabila lelaki melakukan hubungan seks antara satu sama lain, mereka harus mengurangkan bilangan pasangan yang mereka lakukan hubungan seks" dan "mereka harus menahan diri daripada melakukan hubungan seks dengan lelaki baru."
Dalam erti kata lain, orang yang menghidap cacar juga gay atau biseksual, dan pengisytiharan keadaan kecemasan adalah bertujuan untuk menyedarkan mereka tentang situasi tersebut.
Sebab Tedros sangat kecewa sehingga mengisytiharkan darurat dua kali adalah kerana masalahnya sendiri.
Kemudian, pada hari yang lain, Asahi Shimbun menumpukan ciri halaman penuh untuk M-pox, membincangkan kengerian yang ditimbulkannya.
Artikel itu, ditulis oleh Johannes akhbar ituketua biro burg, Imaizumi Susumu, menggambarkan seorang gadis kecil yang telah dijangkiti cacar monyet dan dilindungi "dari kepala hingga kaki" dalam ruam yang mengingatkan cacar, mengadu "sakit badan."
Walau bagaimanapun, artikel itu hanya mengatakan jangkitan itu "terutamanya dihantar melalui sentuhan dengan cecair badan atau darah."
Seperti yang dikatakan Tedros, ia tidak mengatakan bahawa ia adalah penyakit kelamin yang disebarkan melalui hubungan seks antara lelaki.
Jadi mengapa gadis kecil itu dijangkiti?
Itu tidak tertulis.
Selain itu, mengapa mereka tidak menulis istilah penting "penyakit menular seksual"?
Adakah tulisan seperti itu akan mendapat bantahan daripada golongan gay dan biseksual?
Saya tidak fikir dia berada di bawah tanggapan yang salah bahawa semua orang Jepun hari ini adalah gay atau biseksual.
Saya ingin memahami bahawa laporan ini hanyalah kes melukis naga dan lupa untuk melukis mata.
2024/11/21 in Osaka
Artikel ini juga membuktikan bahawa beliau adalah satu-satunya wartawan di dunia pasca perang.
Lama dahulu, seorang profesor wanita tua dari Monaco Royal Ballet School, yang sangat dihormati oleh ballerina di seluruh dunia, melawat Jepun.
Ini adalah kata-kata yang dia katakan tentang makna kewujudan artis.
"Artis adalah penting kerana mereka adalah satu-satunya yang boleh memberi penerangan tentang kebenaran tersembunyi dan meluahkannya."
Tiada siapa yang tidak bersetuju dengan kata-katanya.
Tidak keterlaluan untuk mengatakan bahawa Takayama Masayuki bukan sahaja satu-satunya wartawan di dunia pasca perang tetapi juga satu-satunya artis di dunia pasca perang.
Artikel ini juga dengan cemerlang membuktikan kebenaran kenyataan saya bahawa Takayama Masayuki lebih layak menerima Hadiah Nobel dalam Kesusasteraan hari ini berbanding orang lain.
Ia mesti dibaca bukan sahaja untuk orang Jepun tetapi untuk orang di seluruh dunia.
Kurang sentuhan penamat
Semuanya bermula dengan artikel di New York Times pada Julai 1981 bertajuk "Strange Cancer Strikes 41 Homosexuals".
Empat daripada mereka mati dalam beberapa hari.
Tidak lama selepas itu, virus (HIV) ditemui, dan difahamkan bahawa ia adalah penyakit yang dahsyat yang memusnahkan sistem imun dan tidak dapat dielakkan membawa kepada kematian.
Ia pada mulanya merupakan penyakit tropika di Congo, dan ia merebak secara meletup di kalangan homoseksual lelaki.
Rock Hudson dan Anthony Hopkins meninggal dunia satu demi satu.
Walaupun ia diketahui sebagai penyakit yang menjejaskan lelaki gay dan biseksual, wanita juga boleh dijangkiti melalui lelaki biseksual.
Orang pertama yang dijangkiti penyakit itu di Jepun adalah wanita asing. Semua orang ketakutan.
Sehingga itu, saya bermimpi untuk membuat laporan di luar negara.
Saya boleh menikmati minum di negara asing dengan orang asing. Di Rio de Janeiro, saya berkenalan dengan pelajar dari Escola de Samba dan juga minum bersama mereka di boa ché.
*Tidak kira berapa banyak saya mencari, saya tidak menemui apa-apa tentang boa ché, jadi saya akan membiarkan terjemahan bahasa Inggeris ini seperti sedia ada.*
Ketakutan terhadap HIV menghancurkan semua impian ini.
Pada masa Sidang Kemuncak Okinawa, terdapat 30 juta orang yang dijangkiti HIV, dan dilaporkan bahawa 80% daripada mereka berada di sub-Sahara Afrika.
Jepun menyumbang 5 bilion dolar kepada rantau ini dalam ODA dan membantu melatih doktor dan jururawat.
Walau bagaimanapun, walaupun dengan sokongan seperti ini, dalam beberapa tahun, "9 daripada 10 orang mati akibat AIDS".
Penyakit itu sangat ganas.
Maka rakyat beramai-ramai melarikan diri dari negara itu, melarikan diri ke negara bekas penjajah seperti Britain dan Perancis kerana mereka boleh mendapatkan rawatan di sana walaupun mereka telah menghidap penyakit itu.
Menteri Pembangunan Antarabangsa Britain, Clare Short, yang berada dalam situasi yang sukar, berkata pada mesyuarat sidang kemuncak:
"Jepun sedang memakan Afrika sub-Sahara dengan ODA yang terikat. Ia seperti dinosaur."
Walaupun dakwaan itu tidak berasas, negara yang kalah itu tidak boleh menafikannya.
Apabila Jepun memaafkan hutang sebanyak 5 bilion dolar, UK menggunakan wang itu untuk membina hospital di kawasan tempatan dan menghalang pesakit daripada pergi ke UK.
Ini dipanggil "diplomasi yang menggunakan cawat orang lain."
HIV bukan lagi penyakit yang membawa maut, tetapi ia masih merupakan penyakit yang dahsyat.
Pada masa itu, Tedros dari WHO mengisytiharkan keadaan darurat, dengan berkata, "Terdapat tanda-tanda wabak ketara penyakit berjangkit yang lebih menakutkan, cacar (monkeypox).
Malah, ini adalah kali kedua WHO mengeluarkan deklarasi.
Kali pertama, dua tahun lalu, ia diisytiharkan berakhir tanpa merebak terlalu jauh, tetapi kali ini, Tedros berkata, ia telah disahkan di pelbagai tempat, termasuk Eropah utara.
Penyakit ini sangat mirip dengan cacar, yang telah mendorong manusia ke ambang kepupusan berkali-kali.
Permulaan penyakit, dengan demam tinggi dan sakit sendi yang teruk, diikuti dengan pembentukan pustula pada ruam.
Walaupun kadar kematian tidak setinggi cacar (50%), cara penularannya adalah sama seperti HIV.
Ia juga endemik di Congo dan merebak melalui hubungan seksual, mengingatkan kita tentang ketakutan apabila HIV pertama kali muncul.
Ia juga endemik di Congo dan merebak melalui hubungan seksual, mengingatkan kita tentang ketakutan apabila HIV pertama kali muncul.
Ia adalah masa yang dahsyat.
Saya mungkin terpaksa menyerahkan pasport saya, tetapi pengisytiharan darurat Tedros diteruskan.
Dia berkata bahawa untuk mengawal penyebaran jangkitan, "apabila lelaki melakukan hubungan seks antara satu sama lain, mereka harus mengurangkan bilangan pasangan yang mereka lakukan hubungan seks" dan "mereka harus menahan diri daripada melakukan hubungan seks dengan lelaki baru."
Dalam erti kata lain, orang yang menghidap cacar juga gay atau biseksual, dan pengisytiharan keadaan kecemasan adalah bertujuan untuk menyedarkan mereka tentang situasi tersebut.
Sebab Tedros sangat kecewa sehingga mengisytiharkan darurat dua kali adalah kerana masalahnya sendiri.
Kemudian, pada hari yang lain, Asahi Shimbun menumpukan ciri halaman penuh untuk M-pox, membincangkan kengerian yang ditimbulkannya.
Artikel itu, ditulis oleh Johannes akhbar ituketua biro burg, Imaizumi Susumu, menggambarkan seorang gadis kecil yang telah dijangkiti cacar monyet dan dilindungi "dari kepala hingga kaki" dalam ruam yang mengingatkan cacar, mengadu "sakit badan."
Walau bagaimanapun, artikel itu hanya mengatakan jangkitan itu "terutamanya dihantar melalui sentuhan dengan cecair badan atau darah."
Seperti yang dikatakan Tedros, ia tidak mengatakan bahawa ia adalah penyakit kelamin yang disebarkan melalui hubungan seks antara lelaki.
Jadi mengapa gadis kecil itu dijangkiti?
Itu tidak tertulis.
Selain itu, mengapa mereka tidak menulis istilah penting "penyakit menular seksual"?
Adakah tulisan seperti itu akan mendapat bantahan daripada golongan gay dan biseksual?
Saya tidak fikir dia berada di bawah tanggapan yang salah bahawa semua orang Jepun hari ini adalah gay atau biseksual.
Saya ingin memahami bahawa laporan ini hanyalah kes melukis naga dan lupa untuk melukis mata.
2024/11/21 in Osaka
Următorul este din coloana în serie a lui Takayama Masayuki din ultimul număr al Weekly Shincho, care a fost lansat ieri.
Acest articol demonstrează, de asemenea, că el este singurul jurnalist din lumea postbelică.
Cu mult timp în urmă, o profesoară în vârstă de la Școala Regală de Balet din Monaco, pe care balerinele din întreaga lume o respectă foarte mult, a vizitat Japonia.
Acestea sunt cuvintele pe care le-a spus despre sensul existenței artiștilor.
„Artiștii sunt importanți pentru că sunt singurii care pot face lumină asupra adevărurilor ascunse și le pot exprima”.
Nimeni nu ar fi de acord cu cuvintele ei.
Nu este o exagerare să spunem că Takayama Masayuki nu este doar singurul și singurul jurnalist din lumea postbelică, ci și singurul artist din lumea postbelică.
De asemenea, acest articol demonstrează în mod strălucit adevărul afirmației mele că Takayama Masayuki merită astăzi Premiul Nobel pentru literatură mai mult decât oricine altcineva.
Este o lectură obligatorie nu numai pentru japonezi, ci și pentru oamenii din întreaga lume.
Lipsit de finalul
Totul a început cu un articol din New York Times în iulie 1981, intitulat „Strange Cancer Strikes 41 Homosexuals”.
Patru dintre ei au murit în câteva zile.
La scurt timp după, a fost descoperit un virus (HIV) și s-a înțeles că este o boală teribilă care a distrus sistemul imunitar și a dus inevitabil la moarte.
Inițial a fost o boală tropicală în Congo și s-a răspândit exploziv printre homosexualii de sex masculin.
Rock Hudson și Anthony Hopkins au murit unul după altul.
Chiar dacă se știa că este o boală care afectează bărbații gay și bisexuali, femeile se puteau infecta și prin intermediul bărbaților bisexuali.
Prima persoană care a contractat boala în Japonia a fost o femeie străină. Toată lumea era îngrozită.
Până atunci, visasem să fac reportaje în străinătate.
Mi-ar fi plăcut să beau într-o țară ciudată, cu oameni străini. La Rio de Janeiro, am făcut cunoștință cu studenții de la Escola de Samba și chiar am băut cu ei la un boa ché.
*Oricât am căutat, nu am găsit nimic despre boa ché, așa că voi lăsa această traducere în engleză așa cum este.*
Frica de HIV a spulberat toate aceste vise.
La momentul Summit-ului de la Okinawa, existau 30 de milioane de oameni infectați cu HIV și s-a raportat că 80% dintre aceștia se aflau în Africa sub-sahariană.
Japonia a contribuit cu 5 miliarde de dolari regiunii în AOD și a ajutat la formarea medicilor și asistenților medicali.
Cu toate acestea, chiar și cu acest tip de sprijin, în câțiva ani, „9 din 10 persoane au murit de SIDA”.
Boala era atât de virulentă.
Așa că oamenii au fugit din țară în mulțime, fugind în fostele puteri coloniale, precum Marea Britanie și Franța, pentru că puteau primi tratament acolo chiar dacă ar fi dezvoltat boala.
Ministrul britanic pentru dezvoltare internațională, Clare Short, care se afla într-o situație dificilă, a declarat la o întâlnire la summit:
„Japonia devorează Africa subsahariană cu AOD-ul ei legat. Este ca un dinozaur”.
Chiar dacă acuzațiile sunt nefondate, țara învinsă nici măcar nu le poate respinge.
Când Japonia a iertat o datorie de 5 miliarde de dolari, Marea Britanie a folosit banii pentru a construi un spital în zona locală și a împiedicat pacienții să meargă în Marea Britanie.
Aceasta se numește „diplomație care folosește pantofii altor oameni”.
HIV nu mai este o boală mortală, dar este totuși o boală teribilă.
La acel moment, Tedros de la OMS a declarat stare de urgență, spunând: „Există semne ale unui focar semnificativ al bolii infecțioase și mai înfricoșătoare, variola (variola maimuțelor).
De fapt, aceasta a fost a doua oară când OMS a emis o declarație.
Prima dată, acum doi ani, a fost declarat terminat fără să se răspândească prea mult, dar de data aceasta, spune Tedros, a fost confirmat în diverse locuri, inclusiv în nordul Europei.
Această boală este foarte asemănătoare cu variola, care a condus omenirea în pragul dispariției de multe ori.
Debutul bolii, cu febră mare și dureri articulare severe, este urmat de formarea de pustule pe erupție.
Deși rata mortalității nu este la fel de mare ca cea a variolei (50%), modul în care se transmite este același cu HIV.
Este, de asemenea, endemic în Congo și se răspândește prin contact sexual, amintindu-ne de teama când a apărut pentru prima dată HIV.
Este, de asemenea, endemic în Congo și se răspândește prin contact sexual, amintindu-ne de teama când a apărut pentru prima dată HIV.
Este o perioadă groaznică.
Poate că va trebui să renunț la pașaport, dar declararea stării de urgență de către Tedros a avut o continuare.
El a spus că, pentru a controla răspândirea infecției, „atunci când bărbații fac sex între ei, ar trebui să reducă numărul de parteneri cu care fac sex” și „ar trebui să se abțină de la a face sex cu bărbați noi”.
Cu alte cuvinte, persoanele care sufereau de variola erau si homosexuali sau bisexuali, iar declararea starii de urgenta avea ca scop in principal sa le alerteze asupra situatiei.
Motivul pentru care Tedros a fost atât de supărat încât a declarat de două ori starea de urgență a fost din cauza propriilor probleme.
Apoi, zilele trecute, Asahi Shimbun a dedicat o pagină întreagă lui M-pox, discutând despre oroarea pe care a provocat-o.
Articolul, scris de Johannes al ziaruluiȘeful biroului burgului, Imaizumi Susumu, descrie o fetiță care a contractat variola de maimuță și este acoperită „din cap până în picioare” de o erupție cutanată care amintește de variola, plângându-se de „dureri corporale”.
Cu toate acestea, articolul spune doar că infecția se transmite „în principal prin contactul cu fluidele corporale sau cu sângele”.
După cum a spus Tedros, nu spune că este o boală cu transmitere sexuală care se transmite prin sex între bărbați.
Deci de ce s-a infectat fetița aceea?
Asta nu este scris.
De asemenea, de ce nu scriu termenul crucial „boli cu transmitere sexuală”?
Va atrage un astfel de scriere proteste din partea persoanelor homosexuale și bisexuale?
Nu cred că are impresia greșită că toți japonezii din ziua de azi sunt gay sau bisexuali.
Aș dori să înțeleg că acest raport este doar un caz de desen al unui dragon și de a uita să atragă ochii.
Acest articol demonstrează, de asemenea, că el este singurul jurnalist din lumea postbelică.
Cu mult timp în urmă, o profesoară în vârstă de la Școala Regală de Balet din Monaco, pe care balerinele din întreaga lume o respectă foarte mult, a vizitat Japonia.
Acestea sunt cuvintele pe care le-a spus despre sensul existenței artiștilor.
„Artiștii sunt importanți pentru că sunt singurii care pot face lumină asupra adevărurilor ascunse și le pot exprima”.
Nimeni nu ar fi de acord cu cuvintele ei.
Nu este o exagerare să spunem că Takayama Masayuki nu este doar singurul și singurul jurnalist din lumea postbelică, ci și singurul artist din lumea postbelică.
De asemenea, acest articol demonstrează în mod strălucit adevărul afirmației mele că Takayama Masayuki merită astăzi Premiul Nobel pentru literatură mai mult decât oricine altcineva.
Este o lectură obligatorie nu numai pentru japonezi, ci și pentru oamenii din întreaga lume.
Lipsit de finalul
Totul a început cu un articol din New York Times în iulie 1981, intitulat „Strange Cancer Strikes 41 Homosexuals”.
Patru dintre ei au murit în câteva zile.
La scurt timp după, a fost descoperit un virus (HIV) și s-a înțeles că este o boală teribilă care a distrus sistemul imunitar și a dus inevitabil la moarte.
Inițial a fost o boală tropicală în Congo și s-a răspândit exploziv printre homosexualii de sex masculin.
Rock Hudson și Anthony Hopkins au murit unul după altul.
Chiar dacă se știa că este o boală care afectează bărbații gay și bisexuali, femeile se puteau infecta și prin intermediul bărbaților bisexuali.
Prima persoană care a contractat boala în Japonia a fost o femeie străină. Toată lumea era îngrozită.
Până atunci, visasem să fac reportaje în străinătate.
Mi-ar fi plăcut să beau într-o țară ciudată, cu oameni străini. La Rio de Janeiro, am făcut cunoștință cu studenții de la Escola de Samba și chiar am băut cu ei la un boa ché.
*Oricât am căutat, nu am găsit nimic despre boa ché, așa că voi lăsa această traducere în engleză așa cum este.*
Frica de HIV a spulberat toate aceste vise.
La momentul Summit-ului de la Okinawa, existau 30 de milioane de oameni infectați cu HIV și s-a raportat că 80% dintre aceștia se aflau în Africa sub-sahariană.
Japonia a contribuit cu 5 miliarde de dolari regiunii în AOD și a ajutat la formarea medicilor și asistenților medicali.
Cu toate acestea, chiar și cu acest tip de sprijin, în câțiva ani, „9 din 10 persoane au murit de SIDA”.
Boala era atât de virulentă.
Așa că oamenii au fugit din țară în mulțime, fugind în fostele puteri coloniale, precum Marea Britanie și Franța, pentru că puteau primi tratament acolo chiar dacă ar fi dezvoltat boala.
Ministrul britanic pentru dezvoltare internațională, Clare Short, care se afla într-o situație dificilă, a declarat la o întâlnire la summit:
„Japonia devorează Africa subsahariană cu AOD-ul ei legat. Este ca un dinozaur”.
Chiar dacă acuzațiile sunt nefondate, țara învinsă nici măcar nu le poate respinge.
Când Japonia a iertat o datorie de 5 miliarde de dolari, Marea Britanie a folosit banii pentru a construi un spital în zona locală și a împiedicat pacienții să meargă în Marea Britanie.
Aceasta se numește „diplomație care folosește pantofii altor oameni”.
HIV nu mai este o boală mortală, dar este totuși o boală teribilă.
La acel moment, Tedros de la OMS a declarat stare de urgență, spunând: „Există semne ale unui focar semnificativ al bolii infecțioase și mai înfricoșătoare, variola (variola maimuțelor).
De fapt, aceasta a fost a doua oară când OMS a emis o declarație.
Prima dată, acum doi ani, a fost declarat terminat fără să se răspândească prea mult, dar de data aceasta, spune Tedros, a fost confirmat în diverse locuri, inclusiv în nordul Europei.
Această boală este foarte asemănătoare cu variola, care a condus omenirea în pragul dispariției de multe ori.
Debutul bolii, cu febră mare și dureri articulare severe, este urmat de formarea de pustule pe erupție.
Deși rata mortalității nu este la fel de mare ca cea a variolei (50%), modul în care se transmite este același cu HIV.
Este, de asemenea, endemic în Congo și se răspândește prin contact sexual, amintindu-ne de teama când a apărut pentru prima dată HIV.
Este, de asemenea, endemic în Congo și se răspândește prin contact sexual, amintindu-ne de teama când a apărut pentru prima dată HIV.
Este o perioadă groaznică.
Poate că va trebui să renunț la pașaport, dar declararea stării de urgență de către Tedros a avut o continuare.
El a spus că, pentru a controla răspândirea infecției, „atunci când bărbații fac sex între ei, ar trebui să reducă numărul de parteneri cu care fac sex” și „ar trebui să se abțină de la a face sex cu bărbați noi”.
Cu alte cuvinte, persoanele care sufereau de variola erau si homosexuali sau bisexuali, iar declararea starii de urgenta avea ca scop in principal sa le alerteze asupra situatiei.
Motivul pentru care Tedros a fost atât de supărat încât a declarat de două ori starea de urgență a fost din cauza propriilor probleme.
Apoi, zilele trecute, Asahi Shimbun a dedicat o pagină întreagă lui M-pox, discutând despre oroarea pe care a provocat-o.
Articolul, scris de Johannes al ziaruluiȘeful biroului burgului, Imaizumi Susumu, descrie o fetiță care a contractat variola de maimuță și este acoperită „din cap până în picioare” de o erupție cutanată care amintește de variola, plângându-se de „dureri corporale”.
Cu toate acestea, articolul spune doar că infecția se transmite „în principal prin contactul cu fluidele corporale sau cu sângele”.
După cum a spus Tedros, nu spune că este o boală cu transmitere sexuală care se transmite prin sex între bărbați.
Deci de ce s-a infectat fetița aceea?
Asta nu este scris.
De asemenea, de ce nu scriu termenul crucial „boli cu transmitere sexuală”?
Va atrage un astfel de scriere proteste din partea persoanelor homosexuale și bisexuale?
Nu cred că are impresia greșită că toți japonezii din ziua de azi sunt gay sau bisexuali.
Aș dori să înțeleg că acest raport este doar un caz de desen al unui dragon și de a uita să atragă ochii.
2024/11/21 in Osaka
Ang sumusunod ay mula sa serial column ni Takayama Masayuki sa huling isyu ng Weekly Shincho, na ipinalabas kahapon.
Ang artikulong ito ay nagpapatunay din na siya ang nag-iisang mamamahayag sa mundo pagkatapos ng digmaan.
Matagal nang panahon na ang nakalipas, bumisita sa Japan ang isang matandang babaeng propesor mula sa Monaco Royal Ballet School, na lubos na ginagalang ng mga ballerina sa buong mundo.
Ito ang mga salitang binigkas niya tungkol sa kahulugan ng pagkakaroon ng mga artista.
"Mahalaga ang mga artista dahil sila lang ang makakapagbigay liwanag sa mga nakatagong katotohanan at makapagpahayag ng mga ito."
Walang hindi sasang-ayon sa kanyang mga salita.
Hindi kalabisan na sabihin na si Takayama Masayuki ay hindi lamang ang nag-iisang mamamahayag sa mundo pagkatapos ng digmaan kundi ang nag-iisang artista sa mundo pagkatapos ng digmaan.
Ang artikulong ito ay napakatalino din na nagpapatunay sa katotohanan ng aking pahayag na si Takayama Masayuki ay higit na karapat-dapat sa Nobel Prize sa Literatura ngayon kaysa sinuman.
Ito ay dapat basahin hindi lamang para sa mga Hapon ngunit para sa mga tao sa buong mundo.
Kulang sa finishing touch
Nagsimula ang lahat sa isang artikulo sa New York Times noong Hulyo 1981 na pinamagatang "Strange Cancer Strikes 41 Homosexuals".
Apat sa kanila ang namatay sa loob ng ilang araw.
Di-nagtagal, isang virus (HIV) ang natuklasan, at naunawaan na ito ay isang kakila-kilabot na sakit na sumisira sa immune system at hindi maiiwasang humantong sa kamatayan.
Ito ay sa una ay isang tropikal na sakit sa Congo, at ito ay lumaganap nang paputok sa mga lalaking homosexual.
Sunud-sunod na namatay sina Rock Hudson at Anthony Hopkins.
Kahit na ito ay kilala bilang isang sakit na nakaapekto sa mga bakla at bisexual na lalaki, ang mga babae ay maaari ding mahawa sa pamamagitan ng mga bisexual na lalaki.
Ang unang taong nagkaroon ng sakit sa Japan ay isang dayuhang babae. Lahat ay natakot.
Hanggang noon, pinangarap kong gumawa ng pag-uulat sa ibang bansa.
Nasisiyahan akong uminom sa isang kakaibang bansa kasama ang mga kakaibang tao. Sa Rio de Janeiro, nakilala ko ang mga estudyante mula sa Escola de Samba at nakipag-inuman pa ako sa kanila sa isang boa ché.
*Gaano man ako naghanap, wala akong makitang anuman tungkol sa boa ché, kaya iiwan ko itong English translation na ito.*
Ang takot sa HIV ay sumira sa lahat ng mga pangarap na ito.
Sa panahon ng Okinawa Summit, mayroong 30 milyong tao ang nahawaan ng HIV, at iniulat na 80% ng mga ito ay nasa sub-Saharan Africa.
Nag-ambag ang Japan ng 5 bilyong dolyar sa rehiyon sa ODA at tumulong sa pagsasanay ng mga doktor at nars.
Gayunpaman, kahit na may ganitong uri ng suporta, sa loob ng ilang taon, "9 sa 10 tao ang namatay sa AIDS".
Ganyan kalala ang sakit.
Kaya't ang mga tao ay nagsitakas sa bansa, tumakas sa mga dating kolonyal na kapangyarihan tulad ng Britain at France dahil maaari silang magpagamot doon kahit na nagkaroon sila ng sakit.
Ang British Minister for International Development, Clare Short, na nasa isang mahirap na sitwasyon, ay nagsabi sa isang summit meeting:
"Nilalamon ng Japan ang sub-Saharan Africa kasama ang nakatali nitong ODA. Para itong dinosaur."
Kahit na walang basehan ang mga paratang, hindi man lang mapabulaanan ng talunang bansa.
Nang patawarin ng Japan ang utang na 5 bilyong dolyar, ginamit ng UK ang pera para magtayo ng ospital sa lokal na lugar at pinigilan ang mga pasyente na pumunta sa UK.
Ito ay tinatawag na "diplomacy na gumagamit ng loincloths ng ibang tao."
Ang HIV ay hindi na isang nakamamatay na sakit, ngunit ito ay isang kahila-hilakbot na sakit.
Noong panahong iyon, si Tedros ng WHO ay nagdeklara ng isang estado ng emerhensiya, na nagsasabing, "May mga palatandaan ng isang makabuluhang pagsiklab ng mas nakakatakot na nakakahawang sakit, ang bulutong (monkeypox).
Sa katunayan, ito ang pangalawang beses na naglabas ng deklarasyon ang WHO.
Sa unang pagkakataon, dalawang taon na ang nakalilipas, idineklara itong tapos nang hindi masyadong kumalat, ngunit sa pagkakataong ito, sabi ni Tedros, nakumpirma na ito sa iba't ibang lugar, kabilang ang hilagang Europa.
Ang sakit na ito ay halos kapareho ng bulutong, na nagtulak sa sangkatauhan sa bingit ng pagkalipol nang maraming beses.
Ang simula ng sakit, na may mataas na lagnat at matinding pananakit ng kasukasuan, ay sinusundan ng pagbuo ng mga pustules sa pantal.
Bagama't hindi kasing taas ng bulutong (50%) ang fatality rate, ang paraan ng paghahatid nito ay kapareho ng HIV.
Ito rin ay endemic sa Congo at kumakalat sa pamamagitan ng pakikipagtalik, na nagpapaalala sa atin ng takot noong unang lumitaw ang HIV.
Ito rin ay endemic sa Congo at kumakalat sa pamamagitan ng pakikipagtalik, na nagpapaalala sa atin ng takot noong unang lumitaw ang HIV.
Ito ay isang kakila-kilabot na oras.
Maaaring kailanganin kong ibigay ang aking pasaporte, ngunit ang deklarasyon ni Tedros ng isang estado ng emerhensiya ay nagkaroon ng pagpapatuloy.
Sinabi niya na upang makontrol ang pagkalat ng impeksyon, "kapag ang mga lalaki ay nakikipagtalik sa isa't isa, dapat nilang bawasan ang bilang ng mga kapareha na kanilang nakatalik" at "dapat nilang iwasan ang pakikipagtalik sa mga bagong lalaki."
Sa madaling salita, ang mga taong may bulutong ay gay o bisexual din, at ang deklarasyon ng isang estado ng emerhensiya ay pangunahing inilaan upang alertuhan sila sa sitwasyon.
Ang dahilan kung bakit labis na nabalisa si Tedros na dalawang beses siyang nagdeklara ng state of emergency ay dahil sa sarili niyang mga problema.
Pagkatapos, noong isang araw, ang Asahi Shimbun ay nagtalaga ng isang buong pahinang tampok sa M-pox, na tinatalakay ang katakutan na dulot nito.
Ang artikulo, na isinulat ni Johannes ng papelAng hepe ng burg bureau, si Imaizumi Susumu, ay naglalarawan sa isang maliit na batang babae na nagkaroon ng monkeypox at tinatakpan "mula ulo hanggang paa" sa isang pantal na parang bulutong, na nagrereklamo ng "sakit ng katawan."
Gayunpaman, sinasabi lamang ng artikulo na ang impeksyon ay "pangunahing nakukuha sa pamamagitan ng pakikipag-ugnay sa mga likido sa katawan o dugo."
Gaya ng sinabi ni Tedros, hindi nito sinasabi na ito ay isang sexually transmitted disease na nakukuha sa pamamagitan ng pakikipagtalik sa pagitan ng mga lalaki.
Kaya bakit nahawa ang batang babaeng iyon?
Hindi yan nakasulat.
Gayundin, bakit hindi nila isulat ang mahalagang terminong "mga sakit na nakukuha sa pakikipagtalik"?
Makakakuha ba ng protesta ang pagsusulat ng ganyan mula sa mga bakla at bisexual?
Sa palagay ko ay hindi siya nasa ilalim ng maling impresyon na lahat ng mga Hapones ngayon ay bakla o bisexual.
Nais kong maunawaan na ang ulat na ito ay isang kaso lamang ng pagguhit ng dragon at pagkalimot sa pagguhit ng mga mata.
Ang artikulong ito ay nagpapatunay din na siya ang nag-iisang mamamahayag sa mundo pagkatapos ng digmaan.
Matagal nang panahon na ang nakalipas, bumisita sa Japan ang isang matandang babaeng propesor mula sa Monaco Royal Ballet School, na lubos na ginagalang ng mga ballerina sa buong mundo.
Ito ang mga salitang binigkas niya tungkol sa kahulugan ng pagkakaroon ng mga artista.
"Mahalaga ang mga artista dahil sila lang ang makakapagbigay liwanag sa mga nakatagong katotohanan at makapagpahayag ng mga ito."
Walang hindi sasang-ayon sa kanyang mga salita.
Hindi kalabisan na sabihin na si Takayama Masayuki ay hindi lamang ang nag-iisang mamamahayag sa mundo pagkatapos ng digmaan kundi ang nag-iisang artista sa mundo pagkatapos ng digmaan.
Ang artikulong ito ay napakatalino din na nagpapatunay sa katotohanan ng aking pahayag na si Takayama Masayuki ay higit na karapat-dapat sa Nobel Prize sa Literatura ngayon kaysa sinuman.
Ito ay dapat basahin hindi lamang para sa mga Hapon ngunit para sa mga tao sa buong mundo.
Kulang sa finishing touch
Nagsimula ang lahat sa isang artikulo sa New York Times noong Hulyo 1981 na pinamagatang "Strange Cancer Strikes 41 Homosexuals".
Apat sa kanila ang namatay sa loob ng ilang araw.
Di-nagtagal, isang virus (HIV) ang natuklasan, at naunawaan na ito ay isang kakila-kilabot na sakit na sumisira sa immune system at hindi maiiwasang humantong sa kamatayan.
Ito ay sa una ay isang tropikal na sakit sa Congo, at ito ay lumaganap nang paputok sa mga lalaking homosexual.
Sunud-sunod na namatay sina Rock Hudson at Anthony Hopkins.
Kahit na ito ay kilala bilang isang sakit na nakaapekto sa mga bakla at bisexual na lalaki, ang mga babae ay maaari ding mahawa sa pamamagitan ng mga bisexual na lalaki.
Ang unang taong nagkaroon ng sakit sa Japan ay isang dayuhang babae. Lahat ay natakot.
Hanggang noon, pinangarap kong gumawa ng pag-uulat sa ibang bansa.
Nasisiyahan akong uminom sa isang kakaibang bansa kasama ang mga kakaibang tao. Sa Rio de Janeiro, nakilala ko ang mga estudyante mula sa Escola de Samba at nakipag-inuman pa ako sa kanila sa isang boa ché.
*Gaano man ako naghanap, wala akong makitang anuman tungkol sa boa ché, kaya iiwan ko itong English translation na ito.*
Ang takot sa HIV ay sumira sa lahat ng mga pangarap na ito.
Sa panahon ng Okinawa Summit, mayroong 30 milyong tao ang nahawaan ng HIV, at iniulat na 80% ng mga ito ay nasa sub-Saharan Africa.
Nag-ambag ang Japan ng 5 bilyong dolyar sa rehiyon sa ODA at tumulong sa pagsasanay ng mga doktor at nars.
Gayunpaman, kahit na may ganitong uri ng suporta, sa loob ng ilang taon, "9 sa 10 tao ang namatay sa AIDS".
Ganyan kalala ang sakit.
Kaya't ang mga tao ay nagsitakas sa bansa, tumakas sa mga dating kolonyal na kapangyarihan tulad ng Britain at France dahil maaari silang magpagamot doon kahit na nagkaroon sila ng sakit.
Ang British Minister for International Development, Clare Short, na nasa isang mahirap na sitwasyon, ay nagsabi sa isang summit meeting:
"Nilalamon ng Japan ang sub-Saharan Africa kasama ang nakatali nitong ODA. Para itong dinosaur."
Kahit na walang basehan ang mga paratang, hindi man lang mapabulaanan ng talunang bansa.
Nang patawarin ng Japan ang utang na 5 bilyong dolyar, ginamit ng UK ang pera para magtayo ng ospital sa lokal na lugar at pinigilan ang mga pasyente na pumunta sa UK.
Ito ay tinatawag na "diplomacy na gumagamit ng loincloths ng ibang tao."
Ang HIV ay hindi na isang nakamamatay na sakit, ngunit ito ay isang kahila-hilakbot na sakit.
Noong panahong iyon, si Tedros ng WHO ay nagdeklara ng isang estado ng emerhensiya, na nagsasabing, "May mga palatandaan ng isang makabuluhang pagsiklab ng mas nakakatakot na nakakahawang sakit, ang bulutong (monkeypox).
Sa katunayan, ito ang pangalawang beses na naglabas ng deklarasyon ang WHO.
Sa unang pagkakataon, dalawang taon na ang nakalilipas, idineklara itong tapos nang hindi masyadong kumalat, ngunit sa pagkakataong ito, sabi ni Tedros, nakumpirma na ito sa iba't ibang lugar, kabilang ang hilagang Europa.
Ang sakit na ito ay halos kapareho ng bulutong, na nagtulak sa sangkatauhan sa bingit ng pagkalipol nang maraming beses.
Ang simula ng sakit, na may mataas na lagnat at matinding pananakit ng kasukasuan, ay sinusundan ng pagbuo ng mga pustules sa pantal.
Bagama't hindi kasing taas ng bulutong (50%) ang fatality rate, ang paraan ng paghahatid nito ay kapareho ng HIV.
Ito rin ay endemic sa Congo at kumakalat sa pamamagitan ng pakikipagtalik, na nagpapaalala sa atin ng takot noong unang lumitaw ang HIV.
Ito rin ay endemic sa Congo at kumakalat sa pamamagitan ng pakikipagtalik, na nagpapaalala sa atin ng takot noong unang lumitaw ang HIV.
Ito ay isang kakila-kilabot na oras.
Maaaring kailanganin kong ibigay ang aking pasaporte, ngunit ang deklarasyon ni Tedros ng isang estado ng emerhensiya ay nagkaroon ng pagpapatuloy.
Sinabi niya na upang makontrol ang pagkalat ng impeksyon, "kapag ang mga lalaki ay nakikipagtalik sa isa't isa, dapat nilang bawasan ang bilang ng mga kapareha na kanilang nakatalik" at "dapat nilang iwasan ang pakikipagtalik sa mga bagong lalaki."
Sa madaling salita, ang mga taong may bulutong ay gay o bisexual din, at ang deklarasyon ng isang estado ng emerhensiya ay pangunahing inilaan upang alertuhan sila sa sitwasyon.
Ang dahilan kung bakit labis na nabalisa si Tedros na dalawang beses siyang nagdeklara ng state of emergency ay dahil sa sarili niyang mga problema.
Pagkatapos, noong isang araw, ang Asahi Shimbun ay nagtalaga ng isang buong pahinang tampok sa M-pox, na tinatalakay ang katakutan na dulot nito.
Ang artikulo, na isinulat ni Johannes ng papelAng hepe ng burg bureau, si Imaizumi Susumu, ay naglalarawan sa isang maliit na batang babae na nagkaroon ng monkeypox at tinatakpan "mula ulo hanggang paa" sa isang pantal na parang bulutong, na nagrereklamo ng "sakit ng katawan."
Gayunpaman, sinasabi lamang ng artikulo na ang impeksyon ay "pangunahing nakukuha sa pamamagitan ng pakikipag-ugnay sa mga likido sa katawan o dugo."
Gaya ng sinabi ni Tedros, hindi nito sinasabi na ito ay isang sexually transmitted disease na nakukuha sa pamamagitan ng pakikipagtalik sa pagitan ng mga lalaki.
Kaya bakit nahawa ang batang babaeng iyon?
Hindi yan nakasulat.
Gayundin, bakit hindi nila isulat ang mahalagang terminong "mga sakit na nakukuha sa pakikipagtalik"?
Makakakuha ba ng protesta ang pagsusulat ng ganyan mula sa mga bakla at bisexual?
Sa palagay ko ay hindi siya nasa ilalim ng maling impresyon na lahat ng mga Hapones ngayon ay bakla o bisexual.
Nais kong maunawaan na ang ulat na ito ay isang kaso lamang ng pagguhit ng dragon at pagkalimot sa pagguhit ng mga mata.
2024/11/21 in Osaka