以下は今日の産経新聞に、報告と論文の違い、と題して掲載された大阪大名誉教授加地伸行氏の定期連載コラム「古典個展」からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
老生、人生の終わりに近づきおるわ。
五感の衰えが酷い。
昔だったら、一を聴くや、パッと十を知る脳であったがの。
今や、その一を聰くも聴かぬも皆同じ。
すべて忘却の海へと沈んでゆきおるわ。
不景気な話、許されよ。
いずれ貴殿も。
失礼、失礼、貴殿はまだまだ行けますわ。
ともあれ、忘却の老生、なんとなくテレビを見ておる日々。
となりますと、素直に観ればよろしいものを、わが生涯の習慣、すなわち批評精神がむくむくと出てきますがな。
例えば、NHKの朝ドラ「らんまん」。
主人公は、かの牧野富太郎という設定。
牧野はご存じのように小学校に通っただけ。
しかし、東京帝大と縁ができて出入りを許された。
そこから生まれたさまざまな人間ドラマを描こうというわけである。
老生、中国思想という、まったく植物学には縁がない研究者だが、研究とか、研究者といった点では共通するものがあるので、次第にこのドラマをよく観るようになった。
もちろん、ドラマであるので、NHK側は、そうした立場で制作しているであろうから、その点では文句を言わない。
しかし、もし全国の視聴者が、いま放送中のこのドラマをもって、学問のイメージを持たれると困るなあと思うのが、この老生。
どういう点が問題なのか、申し上げたい。
学問のどの分野であろうと、共通する評価がある。
研究結果は、文系であろうと理系であろうと同じで、必ず印刷物として世に現れる。
その発表物に対して、まず最初の判断は、それは、論文か報告かということである。
報告は、個々のテーマについての厳密な調査報告書である。
これは研究の重要な基礎資料である。
論文は、そうした諸報告に基づいて、そこから生まれる新しい見解を〈説〉として出す文献である。
以上は、研究者の心得。
さて牧野富太郎の仕事。
大変、立派な業績を残されたことは論をまたないが、その多くは、植物に関する〈報告〉である。
もちろん、優れた報告には大きな価値があるが、報告はあくまでも調査なのであって、論説ではない。
この背景には時代があろう。
明治、大正のころ、論文と報告との区別は厳密ではなく、ゴッチヤになっていた。
当時は「博学多識」であることこそが重んじられたからである。
例えば、論文発表の数において、現在、その多さでは中国が圧倒的に多く、世界1位という。
だが、日本はトップの東大でも36位で、情けないというのが、マスコミの論調。
しかし、あえて言おう。
中国の論文と称するものの大半は報告なのである。
中国人には論文と報告との区別がない、という目も必要であろう。
『荀子』勧学に日く、高山に登らざれば、天の高きを知らず、と。
(かじ のぶゆき)
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