人間とは十人十色である事、問題を抱えている人は無数にいる事は大人になると明瞭に分かるわけだが、家がねぐらである子供の時分には、事はそうではない。
大人になってから考えてみれば、何という事もない家庭の問題であっても、子供には致命的な苦しみになることは、これまた大人になれば理解できる事も言うまでもない。
家庭的な不幸に直面した場合、どんな子供であっても無傷でいることは出来ない。
逃げる手段を持った人間ならば、殆ど全ての者が逃げようとすることも言うまでもない。
私が中学生時分にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読破していた事は既述のとおり。
この小説の中で、長兄、ドミトリーの弁護人に語らせた大演説にあった…
「すべての父親が、子供にとって良い父親ならば、人間の問題は解決される」
というくだりが、私の心に一番深く残ったのは、当然だったのである。
神様が私に与えた頭脳と引き換えに、私に与えた苦しみの中でも、最も大きく辛いものだった家庭的な不幸(これについては、トルストイの世界最高の小説である「アンナ・カレーニナ」の冒頭から何度か言及した通り)から逃れるために、
文字通り、ル・クレジオの「逃亡の書」の様な、青年時代を送った事も既述のとおり。
その過程で、京都の商家で、住み込みでアルバイトをして糊口を凌いでいた事があった。
先日、その商家が伊藤若冲の生家の3件隣だった事を知って感慨したことも既述のとおり。
やがて、もはや恩師が私に命じた事『お前は京都大学に残って京都大学をその肩に背負って立て』
つまり、学問の世界に生きよ、には、もはや戻れない事を悟った私は、
以降、10年間、観たい映画も読みたい本も読まずに、ビジネスに専念することに決め、
馬車馬の様に働いたことも既述のとおり。
大阪を人生の舞台として裸一貫から実業家の道を歩んだ私は学者でも作家でもなかった事は言うまでもない。
この稿続く。
2023/11/26 in Kyoto