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再発信!カネも、技術も、人も来てもらいましょう。品質管理(TQC)の概念も、もちろん全部もらいます

2025年01月16日 21時46分17秒 | 全般
カネも、技術も、人も来てもらいましょう。品質管理(TQC)の概念も、もちろん全部もらいます
2021年02月14日
以下は2021年2月11日に産経新聞出版から、中国の電撃侵略2021-2024、と題して出版された、門田隆将と石平の対談特集からである。
御両名にとっても最新刊である。
私は有数の読書家である友人に強く勧められて購読している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
世界の人たちには私が出来るだけ知らしめよう。
中国が隣国として存在している日本国民全員は今すぐに最寄りの書店に購読に向かわなければならない。
 
鄧小平の元祖「千人計画」
門田 
それが問題の本質ですね。
中国は大躍進政策で何千万人という人が餓死しました。
あるいは文化大革命の10年間で権力闘争をして文化を破壊し、殺し合いでも千万単位の人間が死んでいる。
でも、それは国内の話ですから、他国への影響はなかった。
もちろん「人の命」の大問題ですが、国際社会に累が及ぶことはなかったということです。 
中国が国際社会に登場したのは1971年です。
71年10月にアルバニア決議が採択されて中華民国が国連を去り、それに代わって中華人民共和国が世界の五大国の一つとして登場しました。
いきなり中華民国の代わりに国連安全保障理事会の常任理事国になったわけですからね。
そこに至るまでの中国の工作は「小国でも一票は一票」と、丹念にアフリカなどの国にアプローチをかける凄いもので、ついにアルバニア決議が採択されるに至ったわけです。
石平 
アメリカは、1971年7月にヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が、72年2月にはリチャード・ニクソン大統領が訪中します。
門田 
日本は田中角栄首相が台湾(中華民国)を切り捨て、72年9月に中国との共同声明に署名して国交正常化へ持っていきましたね。 
その段階では中国は貧困で、どうすれば国が発展するか、共産党の幹部自身もわかっていなかったわけです。
改革開放は78年ですから、国交正常化から6年あります。
その間に日本が乗り出していきました。
例えば新日鉄の社長を務めた稲山嘉寛氏などが乗り込んでいって、世界でいちばん進んでいた新日鉄の技術を惜しげもなく伝えて「鉄は国家なり」として中国に大いに貢献しました。
つまり、上海に宝山製鉄所をつくらせて質のいい鉄をどんどん生ませることに成功したのです。 
そこから中国共産党の幹部は何を学んだか。
「今から自助努力をして、欧米の水準に追いつき、(イノベーションなどを通じて)国力を上げていくのはとても無理だ」。
共産党の幹部はこう悟ったのです。 
それから中国は「カネも、技術も、人も来てもらいましょう。品質管理(TQC)の概念も、もちろん全部もらいます」というわけです。
いわば“全部お任せ方式”言いかえれば「そっくり盗む」という方式です。
先進資本主義国が多大な努力と競争で生み出し、勝ち取ったものをそのまま中国に「移転させる」という形です。
石平 
そうして78年から改革開放路線が始まった。
門田 
1978(昭和53)年10月には鄧小平が来日します。
東京にも来ました。
ちょうど私が上京した年だったからよく覚えています。
彼は頭がいいから日本各地で、例えば新日鉄やら松下電器やらトヨタやら、日本の代表的企業の工場を実際に見学して、「ああ、これは自助努力では無理」と再認識したわけです。
石平 
ちなみに彼、頭いいでしよ。四川省の人はみんな頭がいいの。これはちゃんと書いておきたい(笑)。
門田 
四川省は石平さんを生んでいますからね、たしかに。
ところで、余談ですが、国共内戦の“関ヶ原”は「淮海戦役」です。
ここで中華民国軍と戦ったのが共産党人民解放軍の四川省出身である劉伯承将軍と政治委員の鄧小平ですからね。
この二人で第二野戦軍を率いて“関ヶ原”に勝ったわけです。
淮海戦役は1948(昭和23年)の11月から翌年1月まで。
中国共産党にとって「四川省」はキーワードですよ。
石平 
そう。共産党が政権を取った戦いで、それをやったのが二人の四川人。
門田 
鄧小平が何回、失脚しても、なぜ起き上がりこぼしのように復活してきたかと言えば、この淮海戦役の立役者だからです。
淮海戦役の勝利者というのは栄光の軍人であり、共産党員ですからね。
どこへ彼が追いやられようとも助けてくれる人がいっぱいいたわけです。 
話を戻すと、鄧小平は日本に来て「自助努力では無理」と再認識し、そこからさらに拍車がかかります。
今、中国の「千人計画」が問題になっていますが、この基本は鄧小平です。
ノウハウ、技術、おカネ、人材……すべてを他の国から持ってきてもらう改革開放路線。
鄧小平は二コニコしながら「将来、見ておれよ、必ず何十年後かにおまえたちを見返してやる。この野郎……」と思っていたわけです。
この稿続く。
 
 


 

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