文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

こんな小さいころから世の無常と死を教え、身勝手な夢に酔うことなく心安らかにあれと諭す。

2023年01月11日 09時33分03秒 | 全般

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も、痛切に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

韓国人化

日本に逗留中のキプリングは今でいう震度5弱ほどの地震に遭った。 
床も壁も天井も踊り出し、死ぬ思いで表に這い出したら、その家の女たちが「とっくに終っていますよ」とにこにこ笑っていた。 
「日本人は最後の審判すら笑って通るのだろう」がキプリングの感想だった。 
下田に来たプチャーチンは安政の大津波に遭った。
彼のディアナ号はあの港の中をぐるぐる42回も回されて大破した。 
風が吹けば江戸の半分が焼ける大火を生み、長雨が続けば鉄砲水か、下手すれば川が氾濫して村ごと消えてなくなる。
地震も噴火も台風もない白人世界から来たら日本はまるでリバイアサンの巣窟に見えたかもしれない。 
しかしキプリングが見たように日本人はどんな災害も笑顔で受け入れる。 
エドワード・モースは大火に遭った人々が笑いながら町の再建に力を合わせる姿を記録している。 
後にスイス大統領となるエメ・アンペールは維新前の日本に来ている。 
母国と違って女の子も一緒に読み書きを習っているのに驚いたが、もっと驚いたのが子供たちが初めに習ういろは歌だった。 
色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず 
こんな小さいころから世の無常と死を教え、身勝手な夢に酔うことなく心安らかにあれと諭す。 
日本人の心にそれが根付いているのをモースはたまたま大火の焼け跡で垣間見たことになる。 
世界も3.11大震災のときにそれを目撃した。 
救援物資を届けられた被災者が「私はいいからもっと困っている人に」と固辞する姿だ。 
「救援物資」とは世界では「我先に略奪するもの」を意味する。
トルコの山奥でクルト人難民にトラック一台の救援物資が届いた現場を見たことがある。 
群衆が我勝ちに荷台によじ登り、トルコ兵が銃の台尻で殴りつけ、空砲まで撃つが誰もひるまなかった。 
その日本人は今もいろは歌の心を持っているのか。 
この国はいつも火山が噴火してきた。
阿蘇も雲仙普賢岳も有珠山も。
御嶽山も噴火して、登山客63人が犠牲になった。
山もまた無常だった。 
ただ犠牲者の家族は無常を拒んだ。
火山警報を出さなかった気象庁に責任がある、4億円の賠償金を払えと訴えた。 
一審は訴えを棄却した。
世は無常だと。 
この裁判と前後して東電福島の被災住民が「国は原発政策を導入し、加えて大津波を予測したのに東電に防潮堤を作れと命じなかった」から1人当たり3千万円を払えと訴えた。 
最高裁は国が原発導入を決めたことは認め、だから「無答責」と答えた。 
これが世界の通念なのに日本では敗戦利得者の南原繁がGHQに阿って国家賠償法を成立させた。 
それが殺人鬼にも悪用されたが、やっと最高裁が正気付いたことになる。 
何でも国にたかろうとするなというわけだ。 
2点目の防潮堤も、仮に予測に従って作ったところで「あの津波は(人知を)遥かに超えた規模で被害は免れなかった」と。 
人間が津波を予測しコントロールできると思うこと自体が尊大だ。
いろは歌にある大自然に対する畏敬の念を忘れた思い上がりだと判示した。 
東電福島事故の被害者は確かに耐え難い苦痛を嘗めてきた。
だから東電は莫大な補償を支払い、全国民も所得税の2%増額を負担し、国も特別会計を組んで支援は11年を超えた。 
それでも国民に感謝するでなし、津波まで国の責任と言い張る。 
最高裁の判決からまもなく産経新聞にソウル発の黒田勝弘のコラムが載った。 
「日本では自然災害は天災だが韓国では災難はすべて人災にしたがる」 
だから旱魃を恐れる王様は毎日雨乞いし、今の大統領は船の転覆にも責任を問われる。 
日本人もあちらさんに似てきたのかしらん。


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