文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

加えて北京の思惑に合うようにクラーク・フィールド、スービック・ベイの米軍基地を閉鎖した。

2022年06月09日 11時51分54秒 | 全般
以下はラフの原稿である。
昨夜、今日、週刊新潮の発売である事に気づいた私は、高山正之について、以下の様な事を考えていた。
戦後の世界で、歴史について、彼以上に博覧強記なジャーナリストはいない。
それは、ジャーナリストの範疇にとどまらない歴然たる事実である。
彼の見事な業績に対してこそノーベル賞平和賞或いは文学賞は与えられるべきだな、そんな事を私は考えていた。
この稿続く。
以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る彼の連載コラムからである。
誰もが唸るはずである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
同時に、冒頭の彼に対する私の考えが正鵠を射ている事も証明している。

日系大統領
退職金を貰えなかった警官が、怒って銃を手に走行中の観光バスを乗っ取った。 
一昔前、マニラ市街で実際にあった騒ぎだ。
警官隊が包囲し、香港からのツアー客のうち女子供らを解き放てと交渉して10時間。
バスの中に男の乗客15人だけになったところで警官隊が突っ込んで犯人を射殺した。
ただ人質も大方が被弾して8人が死亡、3人が重傷を負った。
状況から警官隊が犯人もろとも銃弾を浴びせたのは明らかだった。 
フィリピンでは阿漕に稼いででかい顔をする支那人は嫌われていた。
香港政庁は「人質は香港人で支那人じゃない」と説得したが、フィリピン人の野次馬も警官隊もその違いはあまり気にしなかった。
だから犯人と一緒に撃ち殺した、では明らかなヘイトクライムだ。
それをどう言い訳するか。
難しい判断を迫られたのが時の大統領ベニグノ・アキノ3世だった。
アキノ家は名門で、曾祖父はフィリピンを奪いにきた米国と戦い続けたアギナルド将軍の右腕を務めた人物だった。 
祖父のベニグノ・アキノー世も民族派で、日本軍が米軍を追い出したあとにつくられた民族派政権では国会議長を務めた。
因みに純粋の民族派大統領は少なく、米統治時代の大統領ケソンは正真正銘のスペイン人だった。
戦後、マッカーサーに指名されたキリノは生粋の支那人。
就任式の祝いにモンテンルパに繋がれた日本人戦犯3人を吊るした。
彼はまた日本に法外な賠償を要求し、断られると14人の戦犯を一晩で吊るして日本を脅した。
いかにも支那人で、民にも尊大に当たり、それでしばしば華人街が焼き討ちに遭った。
支那人への悪評はアキノ家にも影を落とした。
なぜならベニグノ2世が娶ったコラソンはこの国の経済を牛耳る許寰哥(コフアンコ)ファミリーの娘だったからだ。
2世はそのカネで独裁者マルコスに挑むつもりだったが、米国から戻ってきたマニラ空港であっさり暗殺されてしまった。 
マルコスが仕組んだというにはあまりにあけすけな暗殺だった。
それでも素直なフィリピン人はアキノ家に同情し、マルコスは国を追われ、代わって支那人コラソンがすんなり大統領に就いた。 
コファンコならやりかねない華僑的国盗り物語に見えなくもない。
実際、彼女が就任するや支那人の流入が増え、今や「300万人を超える」(樋泉克夫・愛知県立大名誉教授)勢いにある。
加えて北京の思惑に合うようにクラーク・フィールド、スービック・ベイの米軍基地を閉鎖した。
基地経済は消滅し、民の貧困は進み、支那人だけが太っていった。
それから10年、コラソンの息子ベニグノ3世が大統領に就いてすぐ香港人の観光バスで不幸が起きた。
民の思いは実に素直だ。
で、3世はどうしたか。
南沙での北京の横暴を国際法廷に訴え、支那人の脱税に目を光らせ、名門アキノ家の面目を復活させた。
その後のデュテルテは北京に接近し、むしろ米国と距離を取った。
なぜなら彼は生粋の地元民で、出身はレイテ島。
アギナルドの時代に米軍に抵抗した廉で全島民が皆殺しにされた。
デュテルテ家は数少ない生き残り組で、反米も理解できる。
そして今回は独裁者マルコスの忘れ形見と華僑系のレニー・ロブレドが大統領の座を争い、マルコスJr.が競り勝った。
日本の新聞は何で独裁者の息子がと首を捻る。
考えても思い浮かぶのはイメルダの3000足の靴しかない。
華僑との確執も知らない。
この地はスペイン人、米国人、支那人がきては踏み荒らしていった。
でも民はちゃんと学んで、今は最も支那人を嫌う。
今度の選択も実は大統領の血筋にあるという。
検索すると彼の父は「日系」とある。
許寰哥より遥かにましに見える。




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