写楽爺の独り言

写真好き爺の撮った写真の
紹介をメインにしています

台徳院霊廟惣門と芝東照宮

2019年03月11日 | 神社仏閣
現在の増上寺のすぐ隣に「台徳院霊廟惣門」があります。
かつては増上寺の敷地だったと思いますが現在は、「ザ・プリンスパークタワー東京」の
中なる様です。

「台徳院霊廟惣門」は江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟の惣門として建設されました。
このほかの建物の多くは焼失してしまい、勅額門・御成門・丁字門は埼玉所沢「狭山不動寺」に
移築されこの惣門だけがここに残されたそうです。。

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 (3) 仁王像 
      元は現在の川口市にあるの西福寺の仁王門にあったものが浅草寺に移された後
      この惣門に安置されたそうです。




「芝東照宮」は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれ増上寺内にありましたが、明治の神仏分離令により増上寺から切り離されて「芝東照宮」となりました。

日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされています。
社殿は東京大空襲により焼失し昭和44年に再建されたものです。

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増上寺 No2 【境内散歩】

2019年03月08日 | 神社仏閣
「増上寺」No2は頭上寺の境内にある施設です。
かつては二十五万坪の境内に坊中寺院四十八・学寮百数十軒があったと言う事です。
現在はそれほど広くはありませんが幾つかある施設などを紹介します。

日比谷通りに面した東日本最大級を誇る「三解脱門(山門)」は残念ながら
耐震対策工事中で撮る事が出来ませんでした。


 (1) 西向き観音  


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 (3) 鎌倉時代北条時頼が観音山(現:東京タワー)に辻堂を建て鎌倉街道(現:六本木方面)に向けて、
      西向聖観世音菩薩像を安置したのが始まりの様です




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 (9) 徳川将軍家墓所の「鋳抜門」
      拝観冥加料大人500円で中に入る事が出来ますが今回は入りませんでした


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 (16) 熊野(ゆや)神社  (クマノと呼ぶのが多いですが増上寺ではユヤと読むそうです)
       元和10(1624)年、熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものです


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 (19) 神武東征の際、道案内をしたと言われる八咫烏の図が入っていました


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増上寺 No1

2019年03月06日 | 神社仏閣
 前回までの「皇居東御苑」で梅などを撮り終え、少々早い昼食を大手町で済ませました。
 この辺りで食事の出来る所は12時前後なると多くのサラリーマンたちが一斉に食事に出て来て、
 大混雑になるので混む前に済ませました。
 食事後地下鉄で数駅の「御成門」に出て増上寺・芝東照宮・芝公園を撮り歩いてきました。

まず今日は『増上寺』です。
『増上寺』は「三縁山広度院 増上寺」と言い室町時代の開山と言われています。
開山当初は現在の千代田区平河町から麹町にかけての場所にあったのですが、
その後現在の地に移ったようです。
室町時代から戦国時代にかけて東国の浄土宗の本山として発展しました。

特に安土桃山時代には徳川家康が関東の地に移り、徳川家の菩提寺となりました。
昔は二十五万坪の境内の広さだったのが明治になって多くの土地を召し上げられました。
境内には徳川家の墓所があり二代秀忠・六代家宣等6代の将軍とその正室や側室の墓が
あります。

 (1) 大殿本堂 




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 (7) 鐘楼堂
      現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものですが大梵鐘は1673年に7回の鋳造を経て
      完成したと言われ東日本で最大級江戸三大名鐘の一つに数えられています 


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所沢 松林寺

2019年02月22日 | 神社仏閣
    2月上旬に蠟梅の「全徳寺」を紹介しましたが、
     同じ頃に撮った所沢市の『松林寺』です。

 『吟龍山 松林寺』は嘉永3年頃には伽藍などは完成していたようですが、
  其の後火災などに会い本堂を含む多くの伽藍が焼失していまい
  本堂などは昭和に入って再建されたそうです。

 (1) 山門 




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 (5) 本堂




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 (7) 薬師堂 


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所沢 全徳寺 No3

2019年02月08日 | 神社仏閣
「全徳寺」No3は鐘楼と境内にあった石仏等です。
 石仏等どれも新しいのでこれまであまり撮っていなかったので、
 今回撮ってきました。

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 (5) 以下 十六羅漢像  境内の植え込みの中に集会でもしている様に置かれていました


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所沢 全徳寺 No2

2019年02月06日 | 神社仏閣
「全徳寺」No2は本堂周辺の境内です。
墓地エリアを除くとそんなに広い境内では無いんです。
梅の木が数本あり少しながら開花していました。

 (1) 本堂 



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 (4) 観音堂



 (5) 太子堂

 
 (6) 境内に咲く梅 開花はしてても数輪程度でした


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所沢 全徳寺 No1

2019年02月04日 | 神社仏閣
先日は都内の寺院巡りを紹介しましたが、今回は埼玉県所沢の『全徳寺』です。
このお寺は当プBlogでも何回か紹介してきました。
山門周辺のロウバイが植えられているのでロウバイと建物が絵になる所です。

全徳寺は所沢北野にあり『梅林山 全徳寺』と号し、
永禄年間に地区内にあった住職の存在しない数寺を統合して作られたと伝えられています。

本堂など建物は新しい感じがしました。
本尊は釈迦三尊(釈迦如来と脇侍の文殊・普賢菩薩の三尊仏)で
観音堂には普悲観世音菩薩が安置されていて武蔵野三十三観音霊場12番になっています。


 (1) 山門と蠟梅


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 (6) 山門を入ると六地蔵が参道の両側に3体づつ並んでいます


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 (9) 「梅林山」の額のある山門 



 (10) 山門の彫刻は「梅林山」名に因んでか梅の彫刻があります 


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深川周辺の寺巡り No3 【心行寺・不動寺・霊巖寺】

2019年01月25日 | 神社仏閣
寺巡りNo3は「心行寺」「不動寺」「霊巖寺」の3寺です。

『心行寺』は元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立、その後現在の深川に移転したとの事。
 前回までの寺院と同じく関東大震災や戦災に会い、現在の本堂は昭和42年に完成した
 そうです。
 境内には「六角堂」があり福禄寿が安置されていて、「深川七福神」の一つになっています。

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 (3) 福禄寿が安置されている六角堂


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       (5) 影窓院地蔵



『長専院不動寺』は元々「長専院」「不動寺」と別々の寺院であった様です。
『長専院』は、德川四天王の一人榊原忠次により霊巌島(現在の茅場町辺り)に創建され、
 霊巌寺とともに現在地に移転したとの事です。
『不動寺』は近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中に本尊の不動尊像が現れ
 「手助けをしたいので江戸に連れて行くように」とお告げがあり、お堂を霊巌島に建てて
 安置したのが始まりの様です。

1658年霊巌寺と共に長専院・不動寺も現在地に移転し、昭和初期に長専院と不動寺は
合併し「長専院不動寺」となり「深川の出世不動」として広く信仰を集めて来たとの事です。

 (6) 長専院本堂


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        (10) 深川の出世不動


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『霊巖寺』は1624年雄日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島(現在の東京都中央区新川)
 に創建され、其の後江戸の大半を焼失した明暦の大火で焼失し現在地に移転。

 (12) 本堂


 (13) 江戸六地蔵の一つ 第5番 (江戸の出入口6箇所の丈六の地蔵菩薩坐像)      




 (14) 松平定信の墓 (徳川11代将軍家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行う)



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深川周辺寺院巡り No2 【深川不動・法乗院】

2019年01月23日 | 神社仏閣
寺巡りNo2は「深川不動」と「法乗院」です。

『深川不動堂』は千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。
開創は江戸時代元禄16年と言われ、成田山新勝寺の御本尊を江戸に奉持し
特別拝観したことが始まりだそうです。
この不動堂の御本尊「不動明王」は成田山新勝寺の御本尊の御分霊を勧請した分身だそうです。

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 (2) 左側に壁一面に「真言梵字」があるのが新本堂、右側が旧本堂です
     平成24年に開創320年記念事業として建立されたのが新しい本堂で。


 (3) 新本堂の「真言梵字壁」
      不動様のご真言に包まれ仏の力に守護された空間となっている事だそうです


 (4) 旧本堂



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  『法乗院』
  法乗院(深川えんま堂)は、1629(寛永6)年深川富吉町(東京・江東区)に創建され、
  寛永18年に現在地に移転したそうで、江戸三えんま『深川ゑんま堂』として親しまれて
  来たそうです。

 (6) 左側の建物が閻魔堂 


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 (9) 日本最大の「閻魔大王座像」(全高3.5m全幅4.5m重量1.5t寄木造り 平成元年建立)


 (10) システム化無化された賽銭箱
       写真の様な賽銭箱が19個並んでいます、祈願したいところへ賽銭を投入すると
       仏様のそれぞれの説法を聞くことが出来るそうです



 (11) 曽我五郎の足跡石
      日本三大仇討ちの一つである曾我兄弟の仇討ち、
       兄 曾我十郎と共に父親の敵である工藤祐経を討ち工藤祐経の菩提と老母父の仇の報告をした帰りに
       残されたものと言い伝えられています。
       歌舞伎「曽我物語」として上演されており歌舞伎に縁のある当時に移転されたそうです。





(おまけの一枚) 1月21日のスーパームーン 年明け一番始めの満月 1月21日18時25分


深川周辺の寺巡り No1 【富岡八幡宮】

2019年01月21日 | 神社仏閣
1月11日初詣と言う訳ではないんですが「富岡八幡」から「深川不動」「法乗院」など清澄通り沿いの
寺院などを巡って歩て来るました。
清澄通り沿いの辺りは大通りから一本入ると寺が並ぶようにあるエリアがあります、
おそらく20ケ寺以上あるのではないかと思います、全てを巡った訳ではありません。
有名所では会社等からの初詣客が多く集団で来られている方が多かったです。
写真としてはこれと言うようなものは撮れませんでしたが、記録として整理しているところです
 今日は『富岡八幡宮』です。

『富岡八幡宮』は寛永4年(1627年)当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により
創建されました。
当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれてたそうですが其の後埋め立てが進み現在の様な商業地の
中になった様です。
社殿は1683年(天和3年)に焼失した後も元禄年間の地震や関東大震災でも損壊、
更に空襲による被害など度重なる修復再建が行なわれ昭和31年に現在の鉄筋コンクリ―ト造りになりました。

徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれてきましたが、
2017年第21代宮司が第20代宮司とその妻に日本刀で襲われると言う事件が起り、
宮司職の跡目争いの様ですが殺人事件となり21代宮司は自殺し世間を騒がせました。


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 (7) 日本一の黄金の神輿
      屋根は純金製で鳳凰の目などにはダイアが使われているとの事です
      ガラスの反射が少ないアングルをと考えましたが、覗き込む人も多く断念しました


 (8) 幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許され、江戸勧進相撲発祥の地でもあります、




  (9) 伊能忠敬像



   江戸時代の測量家である
   伊能忠敬は当時深川界隈に
   居住し測量に出かける際に
   安全祈願のため富岡八幡宮
   に必ず参拝してたそうです。