写楽爺の独り言

写真好き爺の撮った写真の
紹介をメインにしています

長崎ハウステンボス-3

2007年03月30日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。

『ハウステンボスのチューリップ』
ハウステンボスの魅力には外国の様な街並み以外に花がある。

特にチューリップは風車やそこに流れる運河とマッチしてゆったりとした気分になれる風景がある。

この時は3月下旬だったがごらんの様にチューリップの花盛りであった、各季節にそれぞれの花々が咲くようだ。

<「ハウステンボスのチューリップ①」><「ハウステンボスのチューリップ②」><「ハウステンボスのチューリップ③」><「ハウステンボスのチューリップ④」><「ハウステンボスのチューリップ⑤」><「ハウステンボスのチューリップ⑥」>
「ハウステンボスのチューリップ」

  長崎市内旅行・ハウステンボスは完了です。

長崎ハウステンボス-2

2007年03月28日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。

下の写真は園内タワーの上から見たハウステンボスのほぼ全景。



『ハウステンボス』はいくつかのゾーンになっていて街並みもあれば風車とチューリップなど花のエリアもある。
園内には運河があり遊覧ボートが運行され、また別荘地もあるとの事だった。

運河には遊覧船が周遊していて運河からの街並みを観賞できるほか、クラシックバスやクラシックタクシーが走り移動には便利であった。

この時は園内のホテルに宿泊したため、閉園後から翌朝の開園時間までは人が少なく散策するには最高であった。
写真を見ても人影が少ないのは早朝開園前の撮影である。




街角では大道芸人のパフォーマンスが行われている。


宿泊したホテルの部屋からの夜景、ここでは夜になると光と音のショーが開催され花火も打ち上げられた。


長崎ハウステンボス-1

2007年03月23日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。

時間節約のため飛行機で長崎空港へ行き、空港から高速クルーザ船で大村湾を縦断して直接ハウステンボス園内の船着場から入場した。(右写真が乗船した船)

港には園内ホテルの受付窓口があり園内ホテル宿泊者は荷物をホテルへ届けてくれるので、到着後すぐ手軽に園内散策が出来る。

『ハウステンボス』は大型テーマパークであるが、ディズニーランドが子供向けディズニーシーは大人も楽しめるとすると、ここは大人がゆっくり散策するに適した所と言えたが、その後経営不振とかで経営が変わった様で遊園地の様なアミューズメントが増えたようである。

『ハウステンボス』はオランダの『パレス ハウステンボス』宮殿の街並みを再現する形で街が作られており、外国に来たような雰囲気が楽しめる。

今回入場した船着場からの風景、正面が宿泊したホテル、まるで船旅で異国に着いた感じだ。



幕末の帆船を復原した観光船「観光丸」、大村湾周遊ができる。

長崎-5

2007年03月20日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。

『崇福禅寺』
長崎にも数多くの寺院等が有る特に中国系の寺院など建物も異国情緒溢れるものがある。

それらの中でも『崇福寺』は竜宮門と呼ばれる三門や国宝に指定されている「第一峰門」や「大雄宝殿」があって長崎でも有名な唐寺で、1600年代に建てられた日本最古の黄檗宗寺院と言う事だ。

右写真は竜宮門と呼ばれる「三門」でまさしく竜宮城の入り口の様である。

またこの寺院には大釜(飯炊釜)がある、長崎で不作による飢餓がありこの釜で施粥(せじゅく)したとの事、一度に4000合以上を炊いたそうだ。

国宝『第一峰門』写真では分からないが軒下には複雑な木組みになっていてなにやら文様が描かれている。
これは日本国内だけでなく中国でも珍しいそうだ。
また即非禅師の扁額「第一峰」も有名だそうだ。


国宝『大雄宝殿』
大雄とは釈迦如来のことを指し、本尊である釈迦如来三尊坐像が安置されているの事から大雄宝殿と言うらしい。


『媽祖門から媽姐堂を望む』(マソドウ)
媽祖様とは1000年以上昔宋に実在したらしく神様となり海の神として唐船主たちが航海安全を祈願したらしい。

長崎-4

2007年03月18日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。

『孔子廊』(中国歴代博物館)

大浦天主堂からオランダ坂に向かう途中に『孔子廊』がある。

中国人が海外に建てた廊で他には無いとの事だった。

本堂前の庭には中国の賢人像が立ち並んでいる。


本堂の後ろには「中国歴代博物館」があり、北京の「故宮博物院」の国宝級の展示物が公開されている。









長崎-3

2007年03月16日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。

グラバー園の『グラバー邸と三浦環像』

『グラバー園』は英商グラバーの旧住宅など移築復原した洋館が立ち並び異国情緒溢れる。
オペラ「蝶々夫人」で有名な三浦環やプッチーニの銅像などがある。


『眼鏡橋』市内を流れる中島川に架かる石橋。
中島川には10以上の石橋がありその一つで、川面に写るとメガネに見えることから「めがね橋」と呼ばれ
やがて正式に「眼鏡橋」の名称となった様だ。水害などにより修復が何回か行われ現在の姿がある。 

長崎-2

2007年03月14日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮った写真のデジタル化したものを紹介しています。


『大浦天主堂』日本二十六聖人殉教聖堂

1864年に建てられた日本最古のゴシック様式の教会。
入口にはマリア像が立っている。

二十六聖人の霊に捧げられた教会で、殉教の地「西坂の丘」に向いて建てられており正式には「日本二十六聖人殉教聖堂」と言う。


『日本二十六聖人』とは、
豊臣秀吉によるキリシタン禁令により捕らえられた外国人宣教師と子供を含む日本人20名が長崎に送られこの地で処刑されたと言う。

ローマ法王より26名は聖人に列せられ、殉教の地にレリーフが作られ巡礼の地とされているとの事。


下記写真が殉教の地に建つ『日本二十六聖人レリーフ』


長崎-1

2007年03月11日 | 写真
8年前に長崎に行った、まだ35mmフィルムで撮っていた。
前に沖縄旅行の時のデジタル化を行ったが、今回第2弾として「長崎旅行」時のデジタル化を行った。
この時は長崎市内とハウステンボスに行ったが取り合えず長崎市内から始めたので紹介します。

『長崎』は異国情緒溢れる街だ。
ポルトガル・オランダなど国際貿易港で、またキリスト教の日本中心地として、江戸時代には「出島」での鎖国下の外国窓口として異国文化のまちである。

1945年8月9日米軍により原爆が投下され、長崎市は壊滅した。
近頃では長崎県民でも若い人達にこの日を知らない者が増加しているのは嘆かわしい。

『平和公園』では水を求めながら亡くなった犠牲者のためにいつも水をたたえていると言う。
          ・・・・・・・・・
              のどが渇いてたまりませんでした
          水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
                どうしても水が欲しくて
             とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
  (石碑に刻まれたあの日のある少女の手記)
 


『平和祈念像』平和公園の正面にある。
       上に伸ばした手は原爆の猛威を、横に伸ばした手は地上の平和を、
       閉じた瞼は犠牲者の冥福を表していると言う。


『長崎の鐘』被爆地には魚雷や戦車などを生産する多くの軍需工場があり、
       動員学徒・女性挺身隊と呼ばれた女学生を等をはじめ、
       多くの人々が働いておりこれらの方々の冥福を祈って作られたと言う。

伊豆お花見旅行-5

2007年03月07日 | 旅行など
『みなみの桜-夜桜』(河津桜)
今回は列車の旅なので三脚は持参せず、手持ちでは限界であった。

左の写真は橋の欄干にカメラを置きシャッターを切ったが1秒が限界それ以上だとブレテ見られなくなった。
右写真は手持ちでつきを撮ってみた、UOFが逆さまに落ちて行く様な写真となった手振れがこれだけ大きい。


下の写真はストロボを発光させて撮った。
⑤の写真に小さく三日月が写っている上右の写真と同じ月だ。
<「夜桜①」><「夜桜②」><「夜桜③」><「夜桜④」><「夜桜⑤」>
「夜桜⑤」
『みなみの桜と菜の花』計31枚を写楽爺のフォトギャラリー 『花の館』 「特別展示館」に展示中です。

伊豆お花見旅行-4

2007年03月04日 | 旅行など
『みなみの桜-Ⅱ』(河津桜)
ここ「みなみの桜」では出店やイベント会場場所が決められていて桜並木沿いには提灯などが無くスッキリとしていて静かな雰囲気の写真が撮れる。

一番上の写真の様にボリューム感ある桜の木が並ぶのをを見るとUPを撮る気がしなくなる。
かろうじて撮ったのが下段2枚であった、曇天にしてはまあまあの写りだったと思っている。